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 機体の整備に来たことさえ忘れて、俺はバザードの横に立ち尽くしていた。名前を間違えられたのがショックだったわけではない。パイロットにはあるまじきことだが、俺は自分の目が信じられなかった。

 目の前にいる女は、栗色の髪をしている。それだけなら潮風で色が落ちただけかもしれない。

彼女の目は、澄み渡ったような空のように蒼かった。


「氷川さん、ですよね?」

「そうよ。もしかして、目の色?」


西瑞穂に住む人間は黒髪黒目の天津人がほとんどだ。顔立ちにこそ驚いたが、彼女は間違いなく空軍指定の作業服を着ているし、天津語にもなまりがない。


「はい……どうか、したんですか?」

「親が帰化人なのよ。アタシは西瑞穂生まれの西瑞穂育ち。あなたは?」


そういう事か。俺は納得する。俺が彼女を知らないように、彼女も俺を知らないようだ。本名よりコールサインを名乗った方が話が早そうだと判断し、俺はコールサインを彼女に名乗る。


「ハンターです。今日機体に割り当てられていたパイロットです」

「……ってハンターね」


氷川の淡い色の瞳が一瞬動揺した。


「私の機体、トモエに割り当てられることが多いから、トモエの癖に合わせて調整してたからまずいこととかなかった?」

「いえ、素直でやりやすかったです。今までで一番馴染んだかもしれません」

「そう……よかった……のかしら。トモエと同じ人種なのかしら。やっぱり、操縦の癖が似てると気も合うのかしら?」


トモエというコールサインやTACネームは聞いたことがなかったから問い詰めたい気持ちもあったが、まずは機体整備だ。注意事項を聞かなければ。


「えーと、特に気を付けておくべき個所ってあるのか?」

「そうね。砂や粉塵による汚染や機能不全などの損傷を受けやすいエンジン、燃料、オイル、油圧、ピトスタティックとかの機器や系統には、特に注意しなきゃいけない。砂浜から砂が吹き込んでくるし、あとは潮気のせいで錆びやすくなってる部品もあるし。私の指示したところを特に確認してもらえると助かる」

氷川は端末を畳み、立ち上がる。革手袋をはめ、機体に触れる作業を始めた。俺も彼女の指示に従ってバザードの状態を精査する。

「他には?」

「エンジン吸気ダクトに砂が溜まっていないか確認。あとは――」


氷川の指示に従って俺はバザードの機体を確認していく。部品交換をてきぱきと進める氷川の様子は、バザードをいたわっているかのようだった。どこまでも機体に寄り添い、任務に堪える状態に仕上げていく。あくまでもエイルはテキパキと整備をこなしているが、まるで恋人に触れているかのような情感があった。

接敵したため、普段より整備すべき場所が多い。長い作業の途中、ぽつりと氷川が言った。


「パイロットから見て、トモエってどんな人なの」

「トモエ?」

「TACネームブリュンヒルド」

「ああ、スポッター」

「呼び方はなんでも良いのよ。あなたから見て、彼女はどんな人?」

「好戦的な一方で、飄々とした人だと思う」

「で、あなたは彼女のこと、好きなの?」

「好き、って……」


 考えたこともなかった。たしかに彼女とはレーダー基地攻撃任務の後、無人機の話で盛り上がるには盛り上がったが、それだけだ。敵地でポストストールマニューバを決める胆力がある空の覇者としての印象が強すぎて、惚れた腫れたといった関係に自分と彼女がなる事など想定できない。だが、整備員の間では自分とスポッターが付き合っているという噂でもちきりらしい。氷川も噂好きの一人という事なのだろう。


「どうなの? 男ならハッキリ言いなさいよ」

「パイロットとして、見習うべき人だと思っている」

「なによ、それ! 煮え切らないわね!」


氷川は吐き捨てる。


「そういう氷川さんこそ、スポッターのことをどう思っているんだ」

「トモエのこと?」


 突然氷川は口ごもった。うつむき加減になり、細かい表情は見えない。ほのかに頬を染めている気がするのは気のせいか。


「最悪で、最高よ。トモエは。アイツは空を飛ぶことしか考えてない。だから強い。自分が強くあるためには全てを踏みにじっていく女。知ってる? 彼女、何機も戦闘機を壊してるのよ。平時で。車の運転が下手な人は恋人の扱いも下手というし、絶対恋人の扱いも乱暴よ。アイツと付き合うのは、最悪の選択だと思う。きっと安らぎとかそういった物は全く期待できない」

「俺とスポッターは付き合っていない。手さえつないでない。俺はフリーだ」

「でも、ゆきの舞でえらく親密に語り合ってたじゃない」

「無人機の話をしていたんだ」


 俺は氷川にあの時の話をする。帰投命令を無視したかのように無人機が敵機に追い詰められたスポッターの援護に入ったこと。無人機が作った隙を利用してスポッターが敵を落としたこと。スポッターが無人機の開発に携わっていたこと。その話を聞くうちに、氷川は石のような無表情になった。


「そっか。そうだよね。男と女が並んで話してたって、色っぽい話になるとは限らないしね。誤解してごめんなさい。トモエ、何で話してくれなかったんだろう」

「スポッターとは親しいのか?」


 俺が何の気なしに聞くと、氷川は真っ赤になった。


「しししししししし親しいっっつっって、ま、まあそそそそうだけど、こ……古来よりの付き合いなの! せ、せ整備員とパイロットの関係よ! くされ縁で!」

「古来より、か」

「あーもう! 天津語おかしいのは気にしないで! とにかく! アタシはアンタよりトモエについて知ってるの! だからね、噂ではアンタがトモエとデキてるって話だったから、トモエはひどい女だってことを大火傷する前に忠告しといてやろうと思って!」

「そうなのか……もしかして、スポッターにはこっそり付き合ってる彼氏とか、本土に婚約者がいたりとかするのか? 氷川の知り合いの」

「いないわ、そんなの」


 氷川は即答する。何なんだこの態度は。今までのやり取りから、氷川は俺にスポッターを諦めさせようとしていることはわかった。なにか言いづらいことがあって、それに触れられないようにスポッターがひどい人間だと言っているような印象を受けた。噂では付き合っていることになっている俺とスポッターを別れさせようとしていることから推測すると、スポッターには隠れて付き合っている恋人がいて、氷川は二人の仲を壊さないようにしているのではないだろうか。そう考えて尋ねてみたのだが、そんなのはいないと即答されてしまった。なんなんだ。親友に恋人ができて妬ましいのか。俺はひたすら困惑した。


「あんたどうしてパイロットになろうと思ったの?」

「空を、飛びたかったんだ。だけど一般庶民だから自家用のセスナとかグライダーを買えるような身分じゃなかった。民間機は自動操縦ばかりだから、飛ぼうと思ったら軍に入ってパイロットになるしかなかったんだ」

「飛びたいだけ? 愛国心とかじゃないんだ」


 何がどうやったら恋愛の噂から俺がパイロットを志願した理由を尋ねようという気分になるのか。女はさっぱりわからない。唐突な質問になるたけ誠実に俺は答えたが、氷川は小ばかにしたように鼻を鳴らした。


「ああ。ただより高いものはないって痛感してる」


自分でも褒められるような理由ではないと知っている。素直に答えた俺に対して、氷川は何か言おうとしていたが、後ろからやった来た足音に、彼女は口を閉じた。


 俺が振り向くと、そこにはスポッターが立っていた。

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