ペットの生活
○月×日
お風呂に入って食事をしたら、少し落ち着いたみたい。まだ戸惑ってたけど、しばらくしたら眠っちゃった。猫みたいに体を丸めていて、可愛くて思わず見つめてたら、起きちゃって。怒られた。失敗、失敗。
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「じゃあ、私は仕事だけど。部屋の掃除よろしくね」
瑞希さんは朝日と同じくらい爽やかな笑顔で、そう言った。
「……はい」
私は、ムスッとした表情で言った。
それを見た瑞希さんは楽しそうにクスクス笑う。
「言っておくけど手を抜いたりしたらダメよ?当然、部屋から出てもダメ。何かあったらこの写真はすぐにネットにばら撒くからね?ちなみに、私に何かしても直ぐにネットに出るよ。それから……」
そう言って瑞希さんは、私のスマホと生徒手帳を取り上げた。
「あ!そ、それ」
「変に連絡取られたらこまるしね。へー、名前奥井 凛ちゃんっていうんだね。しかも高校2年か。本当に子供じゃん、最近の子供は本当に発育がいいし生意気よね」
「こ、子供じゃないもん」
そう言うと瑞希さんは吹き出し「子供が言いそうなセリフ言ってる」と言ってお腹を抱えて笑う。
「ちなみに私のパソコンはパスワードがかかってるから、触っても無駄だからね」
「っ……なんで」
そう言うと、瑞希さんは念押しするように指を胸に付きつけ言った。
「子供は子供らしく、大人の言うこと聞いてればいいの。いい?」
瑞希さんはそう言うと「じゃあ、私のためにしっかり家事よろしくね」と言って上機嫌で仕事に行ってしまった。
「最悪……」
私は一人っきりになった部屋で、そう呟いた。
なんで、こんな事になったのかいまだにわからない。いや、説明されたって納得は出来ないが。
「ペットって……」
まさかこんなことになるとは思わなかった。
あの後、瑞希さんこうも言った。
『でもペットっていっても、それだけじゃなんだし。せっかくだから部屋の掃除でもしてもらおうかな。仕事しながらだとなかなか満足に出来ないし、ペットといえども運動は必要だし』
『な、なんで……』
『あ、ごめんね。仕事はこれだけじゃないから。もっとお願いするけど、取り敢えずね』
『そ、そういうことじゃなくて。なんでこんな事するのかってこと!』
そう言うと瑞希さんは顎に手を置き、首を傾げ言った。
『うーん、面白いから?暇だったし、あなたは丁度いいおもちゃになってくれそうだしね』
『おもちゃって……』
『私、子供のくせに自分は一人で出来ますって、勘違いしてるバカが一番嫌いなのよね』
『そ、そんな理由?』
『親がいないと何も出来ない年齢で、どうせたいした理由も無いくせに家出したんでしょ?、それで友達の家に泊まる?挙げ句の果てに犯罪予備軍の家に行こうとしてて。それで自分でどうにか出来てるって思ってるんでしょ?バカの見本じゃない。そういうの見てると腹立つのよね』
『っ……』
私は何も言い返せなくて黙り込む。瑞希さんはその様子を見て、また楽しそうに笑う。
『大人を舐めてるからこうなるのよ。いい勉強になったでしょ?まあ、もう遅いけどね』
瑞希さんはそう言ってニヤリと目を細めた。
——そうして今に至るのだ。
最初は唖然としていて状況を把握も出来なかったが、ある程度時間が経って冷静になると自分の置かれている状況の絶望具合がわかってくる。
瑞希さんが撮った写真にはバッチリ私の顔と裸が写っていた、ネットに載せられたら確実に私だとわかってしまう。
流石に私もネットに載れば取り返しが付かないことくらいわかる。しかもスマホでも簡単に拡散出来てしまう。
スマホを取り上げられたのも痛い。この部屋には電話もパソコンもあるが、友達の番号はスマホを見ないとわからない。最悪なことに自分の家の番号もちゃんと覚えてなかった。
さらに友達は私が家出していることを知っている。皆んなが皆んな私が誰かの家にいると思っていたら、連絡がなかったり会わなくても疑問に思わないだろうし、探しもしないだろう。そもそも閉じ込められている事も気が付かない。
それに、上手く連絡が取れたとしても写真を拡散されたら終わりだ。
「取り敢えず、今日は言われた通りにするしかないか……」
何も思い付かない。私は、言われた通り掃除をする事にした。
掃除をしていると、お昼頃瑞希さんが帰って来た。どうしたのかと思ったらスーパーの袋一杯入った食料をキッチンに置いた。
「昼休憩だから戻ってきたの。ちゃんと働いてるか確かめとこうと思って。ついでに食料買ってきたからこれで晩御飯作ってね。私、ハンバーグが食べたいな」
瑞希さんは一方的にそう言って、用意周到に料理の本まで置いていった。
やけに楽しそうで腹が立つ。
瑞希さんは私がちゃんと掃除していたか確認すると、満足したのかまた仕事に行ってしまった。
腹が立つがどうすることも出来ない。仕方なく私はまた作業を再開した。
掃除や食事を作っていたら、あっというまに時間が経つ。
そうしていると、瑞希さんが仕事から帰ってきた。
「よしよし、ちゃんと作ってたね。やっぱり家帰ってきて食事があるのは最高」
瑞希さんは帰ってくるなり嬉しそうに言った。相変わらず楽しそうだ。瑞希さんは私の掃除したところをチェックして、ちゃんと仕事をしていたか確認すると「お腹すいた」と言って食事を催促してくる。
私はムスッとしたまま、作った食事を出した。
「ん!美味しい!凛ちゃん料理上手いのね」
「べ、別に……」
一口食べると、瑞希さんがびっくりしたように言った。私をペット扱いして嫌いとまで言ったのに、褒めると思ってなくてちょっと驚く。
思わず顔が赤くなる。もごもごと答えながら私も一緒に食べ始めた。
瑞希さんは私の態度を気にすることなく、食事をしている。
側から見たら平和な食事風景だ。
しかし、実際は私は軟禁されていてペット扱い、なんだか変な感じだ。
「はぁー、今日も仕事疲れた。足ぱんぱん。凛ちゃんマッサージよろしくね」
瑞希さんは食事が終わってお風呂に入ると、ベッドに寝転がり言った。
「はい……」
私は大人しく従う。
今は大したことはないが、機嫌を損ねて変な事を命令されても困る。
色々考えたが、結局この状況を打開するには、あの写真をどうにかするしかなさそうだ。
なんとか油断させて、写真のデーターを取り返すしかない。
「じゃ、そろそろ寝ようか。凛ちゃんこっち来て」
寝る準備が終わると、瑞希さんがベッドの中からそう言った。
「え?そ、そこに?」
「うん、今日最後のお仕事」
「え?し、仕事……」
私は瑞希さんの言葉に硬直する。変な想像が頭を巡る。
瑞希さんは固まっている私の腕を掴み、強引にベッドに引き込む。何をされるのかわからないけど、抵抗するわけにもいかない。
ベッドに入ると瑞希さんの顔が近づいてきて、頭がさらにパニックなる。
「じゃ、おやすみ」
「え?」
目をぎゅっとつぶって覚悟を決めた私は、あっさりおやすみと言われて呆気に取られる。
そっと目を開けてみたが、瑞希さんは私を抱き枕みたいに抱きしめただけで、本当に眠っていた。
なんだか、変な事を想像していた自分が馬鹿みたいで恥ずかしくなってくる。
でも、これはチャンスかもしれないと思い直す。
撮られた写真はスマホにあるはずだ。なんとか瑞希さんが寝ている間に、そのデーターを探せれば、消せるかもしれない。
「よし、寝静まった頃を見計らって探そう」
恥ずかしいのを誤魔化しつつ、こっそりそう呟く。
私は、瑞希さんの眠りが深くなるまで少し待とうと思って、目を閉じた。
**********
◯月◇日
のら猫みたいにツンツンしてたあの子が、今日は一生懸命料理を作ってくれた。味が少し変だったし形も歪だったけど美味しかった。何よりもその気持ちが嬉しかった。
私にも少しずつ慣れてくれてるのかな?睨まれる回数が減った気がする(笑)早く仲良くなれるといいのだけれど……
**********
「おはよう」
「え?」
目を開くと朝日が差しているのが目に入った。
私は慌てて飛び起きる。ちょっと目を瞑っただけだと思っていたのに、いつのまにか眠ってしまっていたらしい。
瑞希さんはベッドから出ると欠伸をしながら「凛ちゃん朝ごはんもよろしくね」と言いながらシャワーを浴びに行ってしまった。
私はがっくりと膝をつく。いつ眠ってしまったのか記憶にない、昨日掃除をして疲れていたにしても寝付きが良すぎる。
まあ、確かに抱きしめられた時の感触とか温もりは気持ち良かったけど……
とはいえ、相手は人を軟禁してペット扱いするような人間だ。それなのにぐっすり寝てしまった自分が信じられない。
「ま、まだチャンスはあるはず……。取り敢えず朝食を作ろう……」
私は自分にそう言い聞かせ、キッチンに向かった。
それから、数日後。
私は相変わらず、データを取り返せずにいた。
「なんで……」
私は一人部屋で、テーブルに突っ伏してそう呟く。瑞希さんは仕事中だ。
私はというといつも通り言いつけられた仕事をこなしている。
ただ、最近は家の掃除を出来るところも少なくなって、部屋の掃除が終わって料理の下ごしらえが終わるとやる事がなくなってしまう。
すると、瑞希さんは私に勉強をしろと言って、問題集を買ってくるようになった。
『そのおバカな頭、どうにかした方がいいと思って』
と嫌味付きで。
そのお陰で、私はいまテーブルに向かって問題集を解いている。
因みに問題集は毎日瑞希さんにチェックされていて、ちゃんと勉強していたか調べられる。私をこき使って楽しようとする癖に、嫌がらせには手を抜かない。
「何してんだろう私……」
あれから、状況は何も変わっていない。むしろ今の生活に慣れてしまった気すらする。
食事を作る事も掃除も手馴れてきて、逆に必要の無い瑞希さんの情報が増えていく。
瑞希さんの仕事は歯科衛生士、年齢は25歳。嫌いな食べ物はブロッコリー、好きな食べ物は林檎。趣味は数独。
そして冷たい印象があるけど、実は涙もろい。
いつだったか一緒にテレビを見ていた時、動物の実話が放送されていた。捨てられたか親とはぐれたかして死にかけていた子猫が、優しい飼い主に拾われて無事成長するお話だ、いわゆるお涙頂戴のよくある話だなあと思って、瑞希さんを見るとボロボロ泣いていて驚いた。私が見ているのに気がつくと慌てて涙を拭き、何も無かったような顔をしていた。それでも、耳が少し赤くなっていて思わず可愛いと思ってしまった。
「ハァ……本っ当、何してんだろう私」
こんな事をしている場合じゃないのはわかっている、それなのに上手くいかない。
夜、寝ている間にどうにかしようと思うが、いつも気が付いたら眠っていて。
朝になっているの繰り返しだ。しかも最初はもっと変なことや酷い命令をされるかと思っていたが、それもない。
食事も寝るとこも困らず、日に日にこの部屋に慣れてしまった今、逃げ出す気力自体が薄くなっているのだ。
「今日は帰りが遅いのかな……」
私は時計を見てそう呟いた。いつもならこれくらいに帰ってきているのにまだ帰ってない。最近たまに帰りが遅いことがあるのだ。
「って、別にいつ帰ってきても、私には関係ないし……」
慌てて自分の言葉を打ち消す。むしろその方が私には都合がいいのに。
「ああ、調子狂うな……」
私はぐしゃぐしゃと頭をかく。
この状況に慣れていく事に焦るのに。どうにもできない。しかも、瑞希さんに変な親しみを感じてしまっている。
「あ、あんまり深く考えないでおこう。うん」
私は頭を振り。問題を棚上げにして、目の前の問題集に取り掛かることにした。