008 煮込みハンバーグ、まだいただいてません
<西宮月視点>
リビングで兄貴、西宮陽と佐々木瑞菜が向かい合っている。まるで映画のシーンのようだ。
妹の月から見てもいい感じだ。
テレビカメラが赤色の光を点灯しながら二人の顔をアップでとらえている。
兄貴、頑張れ!一世一代の晴れ舞台だよ。ヘタレ兄貴の汚名ばん回だ。
「あのう」
そうだ。行けー、兄貴。ほら、言って!月、西宮月の願いをかなえるのだ。
「・・・」
やばい。完全に電池が切れた顔をしている。無敵美少女に圧巻されている。んーん。やっぱり、ヘタレ兄貴じゃ無理か。
「あのう」
おっ、意外!瑞菜様に動きが!!
「えっ」
おおーっと兄貴も復活か?
「これ」
佐々木瑞菜がポケットにしまっていたラブレターを取り出した。西宮陽の顔を覗き込む。
キター!今、それを出すか。最終兵器じゃんかよー。さすがは名女優様。心得ているじゃん。
「ドキドキしました」
うっ。興奮マックスで心臓が痛い。恐るべし、国民的無敵美少女。今、テレビの前で何人の男どもが絶命したことか。
「えっ」
兄貴、死ぬな!耐えろ。生きるんだー。
「私とお付き合いしてください」
でたー。逆告白じゃん。心臓が止まった。今、一瞬、月の心臓は鼓動を停止したぞ。兄貴、骨は拾ってあげるから、死んでも彼女の思いを受け止めろ。兄貴の人生はこの瞬間を迎えるためにあったのだ。
「ストップ、ストップ。ちょっと待って!」
マネージャーが飛び出そうとするのを、髭の紳士、番組プロデューサーの三浦が肩を押さえて制止する。
「邪魔するな。いいぞ、いい絵がとれそうだ」
どうした、兄貴。答えろ。答えてくれー!
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
兄貴、やった。すごい。見直した。感動したよ。やばい。おしっこ、ちびった。脚に力が入らない。
月、西宮月は床に崩れ落ちた。
佐々木瑞菜のマネージャー1人を除いて、スタッフ全員の間から割れんばかりの拍手がわき起こる。
「はい、CM準備。よーし、カッート」
髭のプロデューサー、三浦が興奮している。
「最高の絵が取れた。AD、今の視聴率は?」
「55%です」
スタッフの間に興奮した声が飛ぶ。再び割れんばかりの拍手の渦と熱狂。
「紅白を超えたな。ありがとう。西宮陽くん」
「・・・」
兄貴、よくやった。ってかもう死んでいるか。まったく動く気配がない。
「よーし。引き上げるぞ。夕食時にお邪魔したな」
「行くわよ。瑞菜さん」
マネージャーに引き連れられて佐々木瑞菜は、プロデューサーやスタッフと共に家を出て行った。兄貴と月は、ただ茫然と見送るしかなかった。
西宮家を襲った嵐は去った。
どれくらい時間が経っただろうか。
ピンポーン。
玄関の呼び鈴が鳴った。
「戻ってきちゃった」
佐々木瑞菜が顔をのぞかせる。天使のようなその笑顔は、いつも凛として張り詰めたようなクールビューティーと違って親近感がグッとわいた。凍りついた兄貴の心を溶かすには十分すぎる。今日この時を、兄貴の復活祭として記録しておこう。
「だって、煮込みハンバーグ、まだいただいてませんから」
最高。月、もう死んでもいい。兄貴、ありがとう!