027 また、トイレに走らなきゃ
<西宮月視点>
「兄貴!」
兄貴が出場したクラス対抗リレーの後、月は学校の奥にあるトイレに駆け込んでしばらく泣いた。運動会中だから、ここまで離れれば誰もやってこない。思いっきり泣き叫んでも大丈夫だ。
「兄貴が帰ってきた。ヘタレじゃない本当の兄貴が帰ってきた。小学校まで、ずっと憧れていた兄貴。月の目標で、憧れで、尊敬するたった一人の兄貴が帰ってきた」
トイレットペーパー1本分を使い切っても涙と鼻水が止まらない。兄貴は月のヒーローだった。『完璧』を表すものがあるとするならばそれは兄貴だった。『究極』と言う言葉は兄貴のためにあると信じていた。それくらい小学校6年までの兄貴はすごかった。
六年生のあの日までは。
兄貴が名門、修学館中学校を受験することが決まった日、父と母は中学校への提出書類を準備していた。その中には小学校から受験校に提出する調査書があった。
月と兄貴は父と母が買い物に出かけているすきを見て、ふざけてそれを盗み見た。その中には兄貴が『天才』であることの証がこれでもかと記されていた。もう、それだけで合格間違いなしだった。月は自分のことのようにそれを喜んだ。
書類の中に薄っぺらの紙が一枚はさまっていた。
「お兄ちゃん。これ。お兄ちゃんの名前のところに書かれているヨウゴって何?」
「どれっ。月はバカだな。これは養子って読むんだ。・・・」
「お兄ちゃん、養子って何?」
その時の青ざめた兄貴の顔は今でもハッキリとまぶたに焼きついている。月が調査書を見ようなんて言い出さなければ、兄貴は『天才』のままだったはずなのに。兄貴がヘタレなのは月のせいだ。
その後、兄貴は狂ったように帰ってきた父と母を質問攻めにした。4年生だった月は締め出されて、その時に父と母が何を兄貴に話したか知らない。おそらく本当の両親のことを教えたのだろう。
肩を落として部屋を出てきた兄貴は月に告げた。
「お兄ちゃんなー。もう目立つことはやめた。これからは月のヒーローではいられないんだ。ごめん」
「何でだよー。お兄ちゃんは、ずっとずっと月の憧れなんだから」
月はお兄ちゃんにしがみついて泣き叫んだ。
「お兄ちゃんな。目立っちゃいけないんだ!見つかったら連れていかれるかもしれない。月のお兄ちゃんじゃなくなっちゃうんだぞ。だから許してくれ」
それ以来、兄貴はヘタレを演じるようになった。でも、月は納得していない。兄貴は兄貴であるべきだ。兄貴がたとえ西宮家の子供でなくなったとしても、血がつながっていなくても、月にとって兄貴は永遠のヒーローなんだから。
トイレから戻った後も、兄貴は月のヒーローに返り咲いたままだった。リレーの後の兄貴は正に学園のヒーローそのものだ。走り、飛び、跳ねまわり。兄貴のチームを優勝へと引っ張っていく。学校中が兄貴に熱狂した。すべてを吹っ切った兄貴の顔がまぶしくてまぶしくて。
『おおーっと。2年3組西宮陽。超人的な動きで棒の上の旗をとった。信じられません・・・』
もう、アナウンスなんて続けられない。また、トイレに走らなきゃ。
こうして兄貴は名門私立修学館、中高合同運動会のMVPを獲得して輝かしい学園の伝説となった。そして月は『誰もいないはずの中等部の女子トイレから、恐ろしい呻き声と共にトイレットペーパーが消える・・・謎のトイレットペーパー妖怪出現』と言う学園の新たな闇の都市伝説をつくった。
うひょひょ!やばい。これは絶対に秘密なのだ。




