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route 116  作者: 青鷺 長閑
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三.

 小学生の一日の楽しみと言ってまず真っ先に挙げられるのは給食だろう。

 火曜日が麺類、隔週金曜日がカレーと主食がある程度決まっていて、それを軸に主菜、副菜などバランスよく献立が考えられている。

 普通の味覚を持った人が普通に食べてみれば大して美味しくもないような給食でも、僕には家で食べるご飯よりずっと美味しく感じられた。みんなでおしゃべりしながら食べていたからというのもあるだろうし、僕の味覚がそれなりに狂っていたというのもあるだろう。


 三年に上がった時、千葉香穂子という女子とクラスメイトになった。子供の頃はよく男子より女子の方が成長がいいなんていうが、それを差し引いても彼女は人一倍長身で、心身共に大人びている印象を受けた。

 容姿端麗より眉目秀麗――そんな言葉が似つかわしい千葉は見かけ通り頭もよかった。基本的に僕は千葉とはそんなに関わりがなかったけど、周囲からは僕もそれなりに勉強ができると思われていたからなのか座学の授業の時だけは僕と千葉は結構な頻度で引き合いに出されることになってしまっていた。

 千葉と隣同士の席になったことが一度だけある。隣ということは班組も同じということで、僕らの学校ではそれは大方給食の支度班も一緒だということを意味している。一週間ごとのローテーション制で、当番の週は毎日四時間目が終わるとすぐに割烹着をつけて配膳の準備をしなければならず、正直進んでやる気はしなかった。人間生活として必要な団体行動力みたいなものを養うのに致し方ないというのも、言われなくても分かっていたけど、ある日テレビで東京の私立学校の特集を見たとき、小学校の分際で昼ご飯がバイキングだったのには流石に驚いた。

 そんなこんなで給食の時間、廊下側から向かってご飯、汁物、サラダ、牛乳という順番に白い長机に並べられ、配膳係が適当に皿に盛りつけたものをそれ以外がこの順に取って進んでいく。

 三十人分の量のおかずが入ったバットはいつもそれなりに大きくて、盛り付けた皿を置く場所があまりない。四つか五つがせいぜいだった。

 なのに千葉はいつも限界ギリギリまでおかずのストックを増やそうとしていた。どうやっているのか眺めていると、バットの奥、若干余裕のある所にまず四つ。それからバットとその右隣、汁物ゾーンとの間にもう三つ。ここまではまだ分かる。置くスペースがなくなると彼女はバットを自分の側に引き寄せ、自分の腹部を支点にするかのように絶妙なバランスを取りつつ最初の四皿に並べて更にもう四皿。それも終わるとまたバットを引き寄せ……という風にしていたのだった。

 十五ほどストックしていた時に一度だけ、

「もうやめた方がいいんじゃないか」

 と聞いたことがあった。それでも千葉は一切手を緩めることなく、

「まだいけるろう」

 そう答えた。途中でバットをひっくり返そうものならおよそ一クラス分のおかずが丸々一品減りかねない。器用で優秀な千葉のことだからまさかそんなことはしないだろうな、とは思っていたが、一体何が彼女をそこまで追い詰めるのかという疑問は、果たして最後の最後まで分からなかった。


******


 それからしばらくして、僕は一か月ほど入院することになった。

 ある日を境に左腕を曲げる度にズキズキという違和感を覚えるようになって、それは次第に明確な痛みへ変わっていった。もう少し早く気付けばよかったのだけど、いよいよ耐え切れず医者に行った時にはもう手術は免れなかった。

 とは言っても命に関わるような重い病気ではなく、手首の関節から肘にかけて内傷がある、ということだけだった。主治医からは軽い手術をしてリハビリを何日か続ければすぐ元に戻ると言われていたのですっかり安心していたけど、ここからの病院生活が本当に地獄だった。

 まず「軽い手術」というところからもう嘘で、それはオペレーションが順調に進んでいれば、の話だった。手術中は全身麻酔を打たれていて記憶がない(祖母に言わせれば死んでいた)から人伝てになるけど、傷口を塞いだまではよかったが、手首と腕の血管が繋がらず、縫合できなかったという。通常三時間もあれば終わる手術のはずが、僕に至っては十一時間もかかってしまった。

 その後はもっと辛かった。片手がまるで使えなかったから暇を潰すにもテレビを見るくらいしかなかったし、病院食はおいしくないし。

 二日に一回の経過観察が僕は一番嫌いだった。その度に左腕を縫った所から開いて骨や肉の状態を見る。しかも部分麻酔でだ。自分の皮膚がぱっくり開いているのを直視するなんてできるわけなかったし、目を瞑っていても筋肉の中からゴリゴリと鈍い感触が伝わってくるのでさえ、気持ちが悪くてもういっそ死にたいくらいだった。


 そんな折、入院して二週間くらい過ぎた頃だっただろうか。クラスのみんなが作ってくれた千羽鶴とメッセージを束にして、担任の先生が持ってきてくれた。

「早く元気になってね」とか「また学校で遊ぼう」とか、そんな月並み、と言っては失礼だけど、色々書かれていたんだと思う。クラス一のお調子者なんかは、激励なのかただのギャグなのか分からないようなメッセージで流石だな、と思った。

 その中に一枚、これは一体何の脅迫状だろうか、というような一言を見付けた。何年経っても印象に残っている。千葉からだった。


「お前の分の牛乳は全部私が飲んでやる」


 好きにしろよ、と思った。



 世の中にはいわゆる「変なヤツ」がいる。変なヤツの中には、子供の頃から既にその片鱗を見せるような人もいる。

 そう考えると、彼女も一種の「変なヤツ」なのかもしれない。


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