フライング・シャーク(Flying Shark) #2
低予算Z級サメ映画っぽさが目標!
(前回あらすじ:農業地帯に隣接した原生林の一部が、発生した妖霧の中に呑み込まれる。近辺の農民たちは、猟人会に森の調査を依頼する。依頼を受けたのはドッジをリーダーとするパーティ。魔術士見習いエリエルはそのチームに臨時参加する。)
(原生林に広がる妖霧の中に調査の為に踏み込む一行。そこには、空飛ぶサメの化物、飛翔鮫が群れていた。なんと危険な状況か。そして、調査を終了し脱出の段になり、妖霧の中では方位盤が正常に動作しない不具合が発生していることに気付いた。)
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どうやってこの妖霧の中から脱出するか。ドッジをリーダーとするパーティーメンバー4人は、方法について緊迫の表情で協議を交わす。現状、完全に方位盤は機能を失っている。方向を確認しながら妖霧の終わりを目指して歩くという一番確実な選択肢はないのだ。
そして他の脱出案をゆっくりと捻出している時間もなかった。先刻斃した一匹目の飛翔鮫の血の匂いを嗅ぎ付けて、この妖霧の中を泳ぐ別の複数の飛翔鮫たちが、ここに惹き寄せられてくるのは確実である。のんびりしていたら、延々と新たな敵にエンカウントだ。
「帰る方向が定まらないのであれば、妖霧の発生源を処理するというのは?」エリエルが案を出す。「ナイスなアイデアだな……発生源を突き止める方法があれば、だが」何か良い手があるのか? と期待を込めた表情でマッジが問い返した。
「妖気の流れがあるので、これが手掛かりになるかと。妖気の濃くなる方へ方へ遡っていけば、やがて大元に辿り着くと思うのです」「問題は、どうやって妖気の濃い薄いを判断するんだ?」「わたし、感覚的に判りますよ」「ホントかよ。凄いな。大したもんだ!」
エリエルとマッジの応対でこれからの方針が粗方固まって行く。仮想世界で、本人にとってはリアルと大差ない戦いの経験を積んで何時の間にか、エリエルの霊的な勘覚は万物の気配を正確に感取する鋭敏なセンサーと化していたのだ。実際、驚くべき進歩!
「妖気は向こうへ行くほど濃くなってます」エリエルが指差すことで協議は終了した。路は示された。他に代案はなく、全員賛成で一行の侵攻方向はあっさり可決された。陽が落ちたら森は暗闇に包まれる。視界は狭まり行動に大幅な制限が掛かる。
日没までは残り3時間程度。それまでに妖霧を何とか祓ってしまうしかない。条件をクリア出来なければ生還の可能性はぐっと下がるだろう。生き延びる為には前進あるのみだ。ドッジが先頭、その後にエリエル、マッジ、サッジが続く。皆、小走りである。
旺盛に繁茂した下生えで脚元は悪い。妖霧で見通しが悪く3メートル以上先は白い闇に呑まれて霞む。その中を駆ければ突如眼前に樹の枝や幹がフッと出現したりする。油断すれば障害物に衝突するか、何かに足を掬われて転倒するか、最悪条件下での駆け足である。
先頭を走るドッジの目の前に、当然ヌッと大口を開いた飛翔鮫の大きな頭部が出現した。「チィッ!」ドッジは斧の柄で飛翔鮫の咬み付きを受け止めた。その勢いでドッジの相撲取りめいた230センチの巨体が、受け止めた飛翔鮫と一緒に後方へと押し遣られる。
「エッ?」 エリエルは、前触れもなく行き成り己の目の前に迫ってきたドッジの大きな背中を咄嗟に……何とか旨く回避した。しかしその後方の2人、マッジとサッジは……、激突という形でドッジの背中を受け止めることになる。
3人団子状態になって仰向きに転がる。ドッジの斧の柄には、まだ飛翔鮫が喰らいついている。それは2メートル程の個体だった。「「イヤーッ!」」素早く起き上がったマッジとサッジは、マチェーテの切っ先をそれぞれ飛翔鮫の右と左の目に突き刺した。
眼窩から刃で脳漿を串刺しにされた飛翔鮫は暴れた。ドッジの斧の柄に掛かっていた力が緩んだ。ここでドッジが漸く上半身を起こした。斧の刃を飛翔鮫の顎に対して垂直になるように縦にして口腔内に突っ込んだ。飛翔鮫の体内を斧刃が斬り裂いて行く。
その時、初戦で全く何も活躍がなかったエリエルは今度こそ頑張る! と張り切っていた。白鞘の短剣を杖の代用品とし──発動媒体なしでも既に魔術は使えるようになっていたが、用いる方が威力が増す──呪文無詠唱でドッジボール大の火球を形成していた。
とはいえ、この妖霧の中は<水>気が非常に強い。<火>系の魔術を使用するには大きくマイナス方向の修正を受ける。五行思想で謂う相剋──相手を打ち滅ぼす陰の作用──の関係が強く働いている。<水>剋<火>。<水>気は<火>気を消滅させるのだ。
生半可な実力では、この妖霧の中で<火>系の魔術を使い熟すのは非常に難しい。威力を削がれつつもエリエルが火球を形成可能なのは、<火>魔術の扱いに関して達人の域に達しつつあることの裏付けである。
「ハァッ!」エリエルは火球を、尾を激しく振りながらビチビチもがいている飛翔鮫の少し右の空間を狙うように撃ち出した。火球は左に鋭いカーブを描きながら、飛翔鮫の側面に垂直の角度で命中した。火球を曲げたのは、味方に当てないようにとの配慮である。
ゴウッ! 火球は飛翔鮫の腹部にめり込み、そこを中心として魚体の約1/3を一瞬で強力な火力により燃やし尽くした。頭部と尾部を残して躯幹部のみが消し炭に代わっていた。その攻撃で、生命力の強い飛翔鮫も流石に死んだ。
味方を捲き込まない防止策として、敵に命中した火球を爆発四散させることなく、効率よく熱エネルギーに変換して対象に伝導させる。こうして飛翔鮫の腹部周辺を昇華めいた瞬間燃焼で炭化させたのである。エリエルの業前や見事の一言である。
「やるなぁ嬢ちゃん」「すげぇな」「ああ全く」ドッジ、マッジ、サッジが感嘆の声を上げる。「今回は何とか役立てたようで……危ない!」エリエルは血相を変えると、拳大の小さめの火球を急速に10個出現させ、ドッジたちの背後に向けて撃ち出した。
「ナッ?」「ンッ?」「エッ?」ドッジ、マッジ、サッジは後ろを振り返った。そこには妖霧の中から出現した2匹の飛翔鮫が大口を開いて今、正にマッジ、サッジに喰らいつこうとしていた。頭からガブリと。
だが、乱れ飛ぶ10発の火球は3人を旨く避けつつ次々と飛翔鮫に命中し、その魚体を後方に弾き飛ばした。火球が魚体に触れると同時に小規模の朱い焔がボッ! ボッ! と斑模様に立ち昇り、飛翔鮫を焼き尽くしていった。
焔に散々蹂躙されて2匹の飛翔鮫が地に墜ちた時には既に、両方共にピクピクと虫の息状態であった。辛うじてまだ生きてはいる。が、あからさまにもう人間に襲い掛かる力は残っていないと見て取れる。止めを急がずとも、現状でも殊に危険はないだろう。
「「助かったよ」」マッジ、サッジが声を揃えて礼をいった。「お二人がご無事で良かったです」照れた笑顔を見せるエリエル。が、反対に3人の顔色は突如青褪めて、悲鳴のような叫びを上げた。「「「おい、後ろ。後ろッ!」」」
「エッ?」瞬間キョトンと呆けた顔になり後方確認に振り向こうとしたエリエルの視界が突然塞がれ真っ暗になった。次に腰の辺りに強い圧迫を感じて……。多数の刃物が刺さるような感覚……。熱い。灼熱めいた痛み……。刺された? エリエルは混乱する。
それは4メートルを超えているであろう体長の怪物。妖霧の白濁に紛れて気配を殺し背後から忍び寄った、これまでに出現した個体のどれよりも遥かに大きい飛翔鮫の大口の中に、エリエルの上半身はガブッと痛快丸齧りされてしまっていた。
「チィッ!」エリエルの惨事を目撃したドッジは、斧を握って大型飛翔鮫に向かって走った。右側に廻り込む。側面攻撃を試みるのだ。飛翔鮫を輪切りにする心算で斧を振り下ろす。「オラッ!」胸鰭の手前、鰓孔の辺りを狙う。斧刃はザックリと魚体を斬り裂いた。
ドッジ渾身の一撃は、飛翔鮫の頭部を胴体から8割方切断した。骨は完全に断ち斬っている。飛翔鮫の頭部は今や僅かな肉と皮だけで胴体と繋がっていた。相撲取りめいた巨体の怪力は、攻めに転じれば凄まじい破壊力を発揮する。
「イヤーッ!」サッジが止めを刺すようにマチェーテで追撃し、飛翔鮫の頭部を完全に斬り落とした。「大丈夫か!?」マッジが飛翔鮫の落ちた頭部の綴じた口からエリエルを救出しようと、マチェーテでその顎を力任せに抉じ開けようとする。
エリエルの下半身だけが飛翔鮫の閉塞した口元から飛び出しているのは、恐ろしくシュールな光景である。鋭い歯列がエリエルの腰辺りの肉に深く喰い込んでいた。血が滲んでいる。上半身と下半身が幸運にも、まだ決別を告げていないのが僅かに救いだ。
ドッジ、マッジ、サッジの3人掛りで、周囲に多大な警戒を払いつつ、何とか飛翔鮫の口腔を開放してエリエルの身体を引っ張り出した。背面、尻の上辺りの肉が割創と切創でズタズタだ。瘡瘢から白黄っぽい脂肪層や桃色の筋が覗いている。その割に出血は少いが。
前面も酷い状態だった。臍の下辺りをザックリ噛まれ、腹壁を喰い破られ、腹腔から血塗れのハラワタ──小腸か──がヌルリとはみ出し掛けていた。マッジはこれは拙いと、溢れるハラワタを体内へと押し戻した。やはりこちらも損傷の程度に反し出血は少ない。
「妙だな。怪我の重篤に反して出血の度合いが異常に少ない。……そうか、防御力上昇の指輪のお陰か。凄い効果だな。これなら助かるか?」マッジが驚愕めいた表情で呟いた。「……う……うん」昏眠にあったエリエルの意識が覚醒の兆しを見せる。
「……死んだ母様が」まだ少し意識が朧々としているのか、エリエルは囈言を呟いた。「臨死体験か? 緊急事態だから、さっさと目を醒ませ。腰の辺りが大変なことになってるぞ。治癒魔術使えるんだろ。自分の治療は出来るか?」マッジはエリエルの頬を軽く叩く。
「エッ? ……アッ、ハイ! 治癒魔術は使えますが、わたしどのような状態なのでしょうか?」状況を把握しきれていないエリエル。「今はオレが塞いでるけど、腹が破けて腸が飛び出してる。腰の辺りの肉もズタボロだな」マッジが身体の具合を説明してやる。
「ヒッ!? ……なんか偉いことに。治します。直ぐに治します。……ああ、師匠の治癒魔術の手解きに感謝を」エリエルは疵を掌で弄りつつ“治れ! 治れ!”と強く念じる。すると見る見る間に治癒力が活性化されて飛翔鮫の顎に因る刺創と切創が閉じていった。
「何これ、凄いなぁ。……治癒魔術の処術は何度も見たことがあるし、自分も世話になったことがあるが、その速度で怪我が恢復するのは初めて見た」マッジが感嘆の声を上げる。シャツは破れたままだが、エリエルの創は何の疵痕も残さず真っさら綺麗に全快していた。
「はぁ。……流石に自分の大怪我を自分で治療するのは疲れますね。でも、師匠が治癒魔術の初歩を教えて下さったお陰で命拾いしました」胸を撫で下ろすエリエル。「防御力上昇の指輪がなけりゃ、即死で治癒魔術に頼る暇もなかったかもな」マッジがしみじみ呟く。
「師匠への謝意が尽きません。……弟子になれて僥倖でした」「まあオレたちも指輪の魔術道具を貰って大感謝だがな。……さあ、怪我を治したばかりで悪いが、まずはここから脱出だ。こんな危険な場所でのんびりと休憩している暇はないからな。立てるか?」
マッジが問い掛けながら手を差し出す。「アッ、ハイ!」エリエルはその手を取って、立ち上がろうとするが……立てなかった。脚が動かない。力が入らない。……否、状態はもっと悪い。動かそうと意識しても腰から下がピクリとも反応を返してくれないのだ。
脊髄損傷──実はエリエルの脊髄は、飛翔鮫に喰い付かれた時に重篤な損傷を被っていた。腰椎部分を破壊され、中枢神経が離断した故に神経伝達機能が絶たれた状態に陥り、腰から下を動かせなくなってしまったのだ。治癒魔術で恢復したのは外観だけであった。
嘗ての猟人会のメンバーで、登坂に失敗して高所から落下したのが原因で下半身が麻痺してしまった人間を知っているので、エリエルの症状を見た瞬間、マッジはそれが同様の病態だということにすぐに思い至った。魔術を使っても簡単に治癒しない症状だとも。
何故、治癒魔術での治療が困難なのか? 魔術の原動力として重要なのはイメージであり、治療を成功させる最低の条件として、治癒魔術の処術者が患者の怪我の治る様をアリアリと想起出来るということが絶対なのだ。
この世界の治癒魔術で、神経の離断──身体の欠損などの病態も含めて──の治療が難しいのは、偏に処術者が人体の内部構造を把握してないのが原因である。逆に、解剖学や病理学に明るく人体構造を熟知した処術者であれば、それらの症状すらも治療可能となる。
残念ながらこの世界の文明レベルは低く、同時に医学も未発達なので、解剖学的病理学的に人体構造に明るい治癒魔術使いは未だ存在していない。エリエルも当然の如く、その辺りの知識に精通してはいない。因って、この場での脊髄損傷の治療は不可能だった。
「アレ? ナンデ!?」下半身が全くいうことを聞かないことに首を傾げるエリエル。その姿を見下ろしながら、マッジは苦虫を噛み潰したような表情になる。「これは参ったな。非常に拙い状況だ。さて、どうすっかな?」弱りきった声でごちた。
フライング・シャーク(Flying Shark) #2終わり #3へ続く。