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ロウ・オブ・イベント(Law of Event)

邦題『事象の理』

 ビルの室内、内装は手付かずで40畳ほどはあるコンクリート打ちっぱなしの広々した部屋の隅に、脚折畳式の長机が1卓設置されている。

 その机上に、白シャツに黒パンツに黒のベストという執事然とした服装の婀娜なプロポーションの20代半ばの温厚篤実そうな女性──奥津城おくつき桃花とうかが空き缶を4つ、等間隔で並べて行く。

「これで宜しいでしょうか、ご主人」桃花が、この部屋に居るもう一人の人間──廿はたちばかりの外見年齢をした、長身痩躯にして全身黒尽くめの背広姿の男装の優女やさおんな、桃花の主人である──比良坂ひらさか千迅ちはやに問うた。

「結構だ。少し離れているように。万一にでも怪我をさせたくない」千迅が命じると桃花は壁際まで移動して、そこで姿勢正しく佇立した。それを確認して千迅は呟く。「──では、私本来の適正である<風>から試そう」

 その後にパチン、と指を鳴らすと、一瞬後バスッと音がして、一番左の空き缶の腹に500円玉大の穴が穿たれる。衝撃波ソニックブームを的の空き缶の中心に一点集中させて撃ったのだ。

「次は<水>」千迅がパチン、と指を鳴らすと、一瞬後バスッと音がして、左から2番めの空き缶の腹に500円玉大の穴が穿たれる。空気中の水分を集めて小石大の水球を作って空き缶を射撃したのだ。

「次は<火>」千迅がパチン、と指を鳴らすと、一瞬後バスッと音がして、右から2番めの空き缶の腹に500円玉大の穴が穿たれる。穴の周りが若干溶けたようになっている。念動発火で小石大の火球を拵えて空き缶に向かって撃ったのだ。

「最後は<土>」千迅がパチン、と指を鳴らすと、一瞬後バスッと音がして、一番右の空き缶の腹に500円玉大の穴が穿たれる。千迅本人にもよく判ってないが、恐らく物品取寄アポーツ現象の一種なのだろう、何処からか瞬間的に空間移動してきた小石で、空き缶を撃ち抜いたのだ。

 4つの空き缶に全て風穴が空いた時、「お見事です」世辞のつもりか桃花がふんわりとした口調でいった。継いで、ニコリと朗らかな笑顔を浮かべると、問うた。「それで、使ってみた感想のほどは如何でしょうか?」

「変わったな。一皮剥けた感じだ。殊に<風>以外の属性が物凄く扱いやすくなった。これだと相剋の相性でも大して苦にならず使い熟せそうだ。高い金出して体感しただけの価値はあった」そう応えて千迅はタバコを咥えた。



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 比良坂千迅は東洋の山岳修験系の魔術で秘儀参入を果たし、その後に西洋魔術を修めた魔術士である。魔術士であるので当然魔術を使い熟せる。位階的には<大達人アデプタス・メジャー>の業前に達している。

 かなり若い頃の千迅は、些事に拘泥せずで──若い見た目年齢と異なり既に300年以上を生き存えているが──習得した魔術を使えて何が不思議な事があるか、と考えていた時期がある。

 だが時代が下り、実際この世界の事象は全て数式で証明できる、という数学者的常識を知り得てからは、今までのその気楽な述懐に、それでいいのだろうか、と疑問が沸き起こることになる。

 謂わば物理法則と相反する魔術の秘儀が、施行すれば何故、数学的構造で成り立つはずの世界に矛盾するのに普通に効力を発揮するのか、平仄の合わぬ齟齬が非常に気に掛かるようになった。

 しかし、更に時代が下った1976年、とある大学の研究室の友人を訪ねた時、その場にあった外部モニターに接続されたコンピュータIBM 5100上で走るライフゲームの画面を偶然目撃した時に、その謎を氷解すべく鍵になるかも知れない何かが千迅の脳裡に閃いた。

 その閃きは、インテル社の創立メンバーの一人であるゴードン・ムーアが論じた有名な法則『1つの集積回路上のトランジスタ数は18か月で倍になる』に沿うように急速に進化していくコンピュータ事情により、千迅の中でかなり信憑性の高い仮説に変じた。

 そして1977年、アップル社から個人向に生産販売された世界初のパーソナルコンピュータApple(アップル) II(ツー)が登場し、1980年にウルティマ、1981年にウィザードリィといったコンピュータRPGの祖が誕生し発売された。

 半導体メモリの中に構築される箱庭的仮想世界。それに触れた千迅は直感的に、自らの棲むこの世界も、限りなく高性能化したコンピュータの厖大なメモリ上でシュミレートされた仮想現実である可能性が極めて高いのでは、と確信に近いものを感じた。

 この世界この宇宙の全ての事象を数式で記述するのが可能であれば、それは裏を返せば、極端な話、数式でこの世界は構成されていることと同じになる。

 或る種の狂人めいた発想だが、ならば超高性能なコンピュータがあれば、データさえ用意すればそのメモリ上にこの世界と寸分違わぬ同じ世界を再現できることになる。

 この世界の数字には、有理数だけでなく無理数も多く存在する。円周率を例に上げれば3.1415926535……と小数点以下の桁は無限に続く無理数にして超越数である。

 この世界をコンピュータ上に正確にシュミレーションしたいならば、当然この無理数や超越数も正確に取り扱わなければならない。無限に続く割り切れない数字をどうやってコンピュータの変数で取り扱えばいいのか。

 難しい問題だが、量子力学的に考えるならばそれは比較的簡単に解決する。あらゆる物理量は無限の精度で測定はできないからである。ならば観測不可の部分を切り捨てて扱えばいいのだ。

 量子力学理論に則るならば、物理量の観測には限界があるのだ。実際の円周率の桁は無限でも、プランク長以下のスケールは存在しないのと同じに扱えるので無視してしまっても何の問題にもならない。逆にそれが問題となるようなら、量子力学の理論自体が破綻する。

 要するにどんな無理数や超越数でも、量子力学的に観測可能な範囲で収めるならば、有限の数字として扱うことは可能なのである。であれば、コンピュータ上にこの世界の事象の全てをシュミレーションすることは、当然可能となる。

 この世界がコンピュータ上のシュミレーションで再現可能であれば、ゲーデルの第二不完全性定理『自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない。』に基けば、かなり強引だが、この世界をシュミレーションとして扱っても構わないことになる。

 自らが住まう世界が仮想か現実か、その世界の中の住人は証明する術を持たないのである。完璧なシミュレーションは現実と区別がつかない。区別の付かないものは仮想だとして扱っても、必ずしも間違いにはならない。だから仮想だと仮定して考えてみる。

 ──すると。数字と数式で厳格に成り立つこの世界でも、隠し要素的な裏技に頼れば、魔術や超能力という、事象のことわりに反する物理法則無視の超常的な力が発現することがある、と強引な理屈をつけて解釈すると、気になっていた疑問が納得のいく解決をみせるのである。

 我々が存在するのはシミュレーションソフトの中のヴァーチャルワールドであると提唱すれば、誰も否定はできないが、かといって証明もできない。論理としては思考実験の『水槽(Brain )の脳(in a Vat)』の類似である。非常に胡散臭い。

 千迅自身もそんな仮説を鵜呑みに信じて良いのか否か、かなり懐疑的ではあった。いや、信じるべきな気はする。だが1980年代初頭には、そこまでの高等な処理を行える超高性能なコンピュータが本当に存在するものなのか? と少し斜めに逸れた疑問が生じた。

 尤もそれ以前に、この世界が超高性能コンピューターの中に存在するとしたら、それを設計し操作する“知性ある何か”が存在することになる。正に創造科学のインテリジェント・デザイン説を地で行く仮説となるのだが。

 因みに蛇足な余談ではあるが、1980年代にはまだ、創造に関わる“偉大な知性”の一柱として後に多くの人間に信奉される、空飛ぶスパゲッティ・モンスターは誕生していない。


 そして1987年。当時としてはかなり高性能なグラフィック機能を有する個人ユース向けコンピュータX68000がシャープから発売となった。これは同時期のアーケードゲームのシステム基板に多く採用されていたモトローラのMC68000をCPUに使った、国産ホビーパソコンである。

 美しいCGが描写できるX68Kを、新しいもの好きの千迅は定価¥369000の本体と専用モニターをセットにして約¥40万を出して購入した。更に、狭くていいので箱庭的な仮想世界を疑似的に散策し景観を愉しめるプログラムを作って欲しい、と業者に外注した。

 やがて、開発費に¥150万ほど請求されたが望みのソフトウェアは程なく完成。X68Kの内蔵用オプションであるSCSIボードを拡張し、何故か互換性があったNEC製20Mの外付けSACIハードディスクを接続し、フロッピーディスクレスでソフトウェアを走らせる。

 MC68000は、同時期に販売されていたNECのPC98シリーズに採用されていたインテル80286CPUと比べると、同クロック動作での演算性能は劣っていたが、大容量のVRAMと強力なグラフィックチップの搭載があったので、ビジュアル的な表現力で比較すると他の競合製品を凌駕していた。

 そんなX68K上で再現される仮想世界は──この時代のパソコンのポリゴン性能は貧弱で、このソフトの場合、背景の高速書き換えと強力なスプライト機能で街の景色を表現していた──千迅が充分に満足するものであった。

 また1980年代末葉には、量子ゲートを組み合わせた量子回路で構成されるハードウェアの量子コンピュータが考案されつつあった。その背景も加味して、今後100年掛かるか200年掛かるかは不明だが、いずれシュミレーションで宇宙を丸ごと再現可能な高性能コンピュータは誕生する、と千迅は確信した。

 その瞬間、”インテリジェント・デザイン説”や“偉大な知性”はこの際考えないことにして、千迅は己の修めた魔術の業前が一気に昇華し、今よりもずっと高い位階まで到達したのを悟ったのである。



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(自分の魔術の実力で、今どの程度のことが可能なのだろう)そう考えた千迅は、ビフォー・アフターの違いを測る指標とするのに、元々己と相性の良かった<風>以外の4大元素(エレメンタル)を、以前よりもどの程度扱い易くなったのか、実験してみることにした。

 それが、先刻行った空き缶撃ちなのである。4大元素の力を使役して得られる効果として尤も簡単であろう、単純な放出系の魔術。それをざっと試してみたのだ。結果は、予想以上の好感触であった。

「この世界の真理うらじじょうを理解して、悟りの境地に至ったということか。興味は深かかったが、実際確信してみれば、何とも興醒めの阿呆らしい事象のことわりだったが。……しかしこれで、この世界の中の神仏の類であれば喧嘩を売れそうだな」

 千迅がやや気の抜けた表情で、タバコの灰を落とそうとすると、桃花が恭しく灰皿を差し出した。

 X68Kは非常に夢のある素敵なパソコンでした。グラディウスが付属品としてついてきたのが凄かったですね。めっちゃ遊んだ記憶があります。沙羅曼蛇もやりました。処理落ちが激しかったけど。更に同人ハードなんてのも頒布されてましたしね。実機はもうないですが、シャープがBIOSとOSを無料で配布してくれたおかげで、今でもエミュで使えるのは凄いです。

 とはいえ、X68KはRPG少なかったんで、その系のゲームは値落ちしまくってたので買ったPC-88Mk2SRかPC98VM2で遊んでました。PC-88Mk2SRは4MHz駆動モードしかなく(次の世代は8MHz)、PC98VM2はCPUがV30でめっちゃ処理が遅く、RPGの2Dマップのスクロールが波打ったりしました。

 因みにPC-98DO+のV33Aって処理速度どうだったんだろ?


 ロウ・オブ・イベントこれで終わり。

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