フライング・シャーク(Flying Shark) #3(end)
結局、下半身麻痺で自立歩行不可なエリエルは、ドッジがロープで背中に括りつけて背負うことになった。背中と背中を合わせる形で、エリエルは進行方向とは逆向きに、ロープで身体を固定された形での同行となる。
当初は持ち帰る予定だった、一番最初に斃した飛翔鮫の頭部は取り敢えず放置することになった。それまではドッジが背中に担いでいたのだが、エリエルを背負った状態で飛翔鮫の頭部まで担いでは行動の妨げになると判断したのだ。帰りに拾うなりすれば良い。
センサー役のエリエルが妖気の濃い方向を教えて、ドッジが前方に注意を傾けながら突き進む。マッジとサッジはそれぞれ左右に陣取り横方向の護りを固め、エリエルは万が一に後方から敵に襲撃された場合に、火球を叩き込んで対処する役である。
魔術の施行は術者の精神力を大きく削る。エリエルは自分の治療でかなり疲弊しているが、練度の高い火球を使った攻撃ならば、まだまだ100発200発と撃ち出す余裕があった。既に熟練の域で火球を操れるので、精神力を殆ど消費せずに軽々と使い熟せるのだ。
この時点で、日没までの残りは既に1時間を切ってしまっていた。果たして周囲が完全な闇に包まれて視界が利かなくなるまでに、この妖霧の発生源を叩き潰すことが出来るのか? 一行の胸中に焦りの色が濃くなっていく。
──そして日没まで残り約30分を切った。薄暮が刻一刻と宵闇に変化する頃、妖霧が濃密に立ち籠め、異様なまでに<水>気が瀰漫する地点へと一行は到着した。周辺には複数の木々がなぎ倒されて転がる。巨大な何かがぶつかって、圧し折った痕跡のように見える。
実際、目を凝らして見えれば、立ち木が消え失せ、ちょっとした広場にようになっているらしい濃い妖霧溜まりの一帯を旋回するようにゆっくりと泳ぐ、10メートル近い長さの流線型の化物の影を捉えることが出来た。皆の面に緊張が走る。
「アレが親玉みたいだな」ドッジが小声で呟いた。ここまでの道筋で5匹で群れた飛翔鮫の一団にエンカウントし、全力で殲滅した。エリエルの火球が大活躍したのはいうまでもないが、戦士系の3人も奮迅して得物で斬り捲っていたので、皆の全身は血塗れである。
「デカイな。どうやって片付けるよ。……なあ、嬢ちゃん。先制攻撃でアレに最大火力を撃ち込んで、屠れないか?」ドッジが、背から下ろされて今は地べたに座るエリエルに尋ねた。「さあ何とも。ここは<水>気が強いので、<火>系魔術は威力減少なんですよ」
「コレまでの戦闘の感じから考えると、その条件でも充分に強力だと思えたがな。まあいい、アレはここらを旋回してるようだが、こっちに一番接近した時に、一発デッカイ火力を咬まして削れるだけ削ってくれるか。その後に、オレ様たちが突貫して止めを刺す」
「……精一杯、可能な限り頑張ってみます。でもアレ、凄く頑丈そうに思えます。わたしの最大火力一発では多分殺せないですよ。寧ろ怒らせて反撃が確定するような。撤退の時は、わたしを拾って下さいね」木の幹に背を預けながら、エリエルはドッジに確認した。
「当然だろ。嬢ちゃんの身はこのオレ様が全力……否、3人で全力で護ってやる。前轍を踏まねえように旨くやるさ」ドッジがニヤリと野太い笑みを浮かべる。この男、美形ではなくどちらかというと醜男の部類に入るが、笑顔には他人を安心させる逞しさがある。
「皆さんのことは勿論信用していますよ」エリエルは頷くと空中にドッジボール大の火球を創造した。それを圧縮してソフトボール大にまで圧縮すると、その上に重ねるように再びドッジボール大の火球を創造し圧縮して……の工程を5回繰り返した。
今、エリエルの眼前の空間には、燦然と輝く灼熱のソフトボール大の火球が形成されていた。これはエリエル自身は知らない話だが、その表面温度は恐るべし、実に3000℃にも達していた。実際、酸素アセチレンバーナーの焔に比肩する高熱である。
エリエルの瞳は、濃密な妖霧の澱みの中をジッと凝視している。そして視線の先に、黒くて太くて長い魚影の泳ぐ様を捉えた時、超高密度に圧縮した高温の火球を、標的に向かって発射した。「ハァッ!」火球は魚影へと、一直線に向かって高速で飛翔した。
火球は射線上に存在する木の枝葉等を接触した一瞬で蒸発させ、見事に魚影の腹部に着弾した。だがしかし、熱エネルギーを高圧縮で凝縮し過ぎたのが裏目に出てしまったようだ。火球は怪物の胴体を綺麗に裏まで貫通してしまい、与えたダメージは最小に留まった。
土手っ腹に風穴を開けられたのだから、怪物は勿論、熱と激痛でのたうち廻った。しかしそのダメージだけではやはり殺し切れなかった。自分に危害を加える存在を感知した怪物は、木の陰に潜んでいるエリエル含む4人を発見し、倒懸を堪え怒りを露わに突進する。
「チッ! 手負いになって激怒したか。獰猛さに却って拍車が掛かったな。マッジ、嬢ちゃんを頼むぞ。サッジはオレ様に付き合え。アレを片付けるぞ」このパーティーのリーダーであるドッジが指示を飛ばす。「「応ッ!」」マッジとサッジが答を返す。
「エリエル。オレの首に手を廻せ。確りと掴まっていてくれよ!」「ハイ!」マッジはエリエルを抱き上げて、こちらに迫りくる化物から何時でも回避出来るように身構える。怪物の突進する軌道上に、斧を構えたドッジとマチェーテを構えたサッジが立ち塞がった。
駛走するが如くに宙を泳ぐ怪物の周囲で妖霧が畝り渦巻く。怪物がドッジたちに接近するに連れて、その姿が段々とはっきりしてくる。その正体はやはり飛翔鮫である。只管長大な飛翔鮫であった。ボス格存在に違いないだろう。何本もの木を薙ぎ倒して侵攻する。
ドッジは、真正面にボス格を据えて自ら走り距離を詰めた。彼我の距離が残り3メートルの時点で、斧を高く振り上げて跳躍する。瞬間、飛翔鮫より高い位置を取ったドッジは、落下しながら飛翔鮫の脳天目掛けて斧を振り下ろした。
「ドリャアッ!」落下の運動エネルギーを乗せたドッジの渾身の一撃。斧刃が飛翔鮫の肉に深く打ち込まれた。だが、当然これくらいではボス格の飛翔鮫は終わらない。腹部にエリエルの火球攻撃に因って生じた直径30センチ程度の穴が穿たれているにも拘らずだ。
流石は巨体の化物と賞賛すべきか、凄まじき生命力である。斧の柄を握る、150キロ近い体重を誇るドッジの巨体をぶら下げながらも、エリエルを抱かえたマッジの佇む方向への突進は止まらない。その頃サッジは飛翔鮫の向かって左側に廻り込んでいた。
「フンッ!」飛翔鮫とすれ違うその一瞬、サッジは身体ごと飛び込んで、マチェーテの切っ先を眼球に向けて突き刺した。飛翔鮫の右目にマチェーテの刃が深々と潜り込む。しかしそれでも突進は止まらない。マチェーテの柄を握るサッジの身体が一緒に引き摺られる。
「おいおい。人間2人ぶら下げても勢い変わらずかよ。……悪夢だな」「これは拙いですね。お2人を捲き込む可能性を考えると、火球が撃てません」エリエルを抱き抱えるマッジは、急接近する飛翔鮫を、ギリギリまで引き付けて機敏に横に飛び退いて避けた。
目標を逃した飛翔鮫は、素早く反応して身体を90°横向きに捻ると、お誂え向きにそこら根付いている太目の木樹に胴体を打ち付けて、その幹を圧し折る代わりに急制動を得た。停止の反動で、飛翔鮫の身体にへばり付いていたドッジとサッジが吹っ飛んで行く。
飛翔鮫は再びエリエルを狙ってその方向へ泳ぎだす。視覚ではなく嗅覚で相手の位置を捉えているようだ。魔術士への報復が目標らしい。「さっき、お2人が振り飛ばされたように見えましたが?」妖霧の所為で視界は非常に悪い。「ああ、オレにもそう見えたな」
「でしたら攻撃しても可いですね。……お2人に怪我がないか心配ですが」「なぁに、2人共頑丈だから大丈夫だろう」エリエルは頷くと、急拵えの火球を30メートル手前まで迫っている飛翔鮫に撃ち出した。「ハァ!」
だが、初撃とは異なり単体未圧縮の火球では火力が足りていないのか、その身に強い<水>気を纏っている飛翔鮫の表皮で火球が立ち消えたように霧散し、殆どダメージが通っていないらしい。突貫の勢いを削ぐ為の牽制にすらもなっていなかった。
前回と同じように、マッジは飛翔鮫を眼前ギリギリまで引き付けると、紙一重といっていいタイミングで横に跳んで躱した。避けられた飛翔鮫もまた、前回と同じく自身を木樹にぶち当てて急制動を試みた。
「マッジさん。或る程度の威力の火力じゃないとアレにはダメージが通らないみたいです。でも大きな火力をゆっくりタメてる時間もないので、0距離からの攻撃を試したいと考えます。アレを直前まで引き付けてから、わたしを頭上辺りへ放り投げて貰えませんか?」
「それは……幾らなんでも無謀過ぎるんじゃないか。勝算はあるのか?」「師匠の元で戦闘訓練だけは散々体感しましたから、旨く殺れる自信はあります。下半身の感覚がなくて自分で動かせないのが辛いですが、貼り付いてしまえば何とかなると思います」
「判った。アレが自然にくたばるまで逃げ廻れる自信もないしな。エリエルに賭けるよ」「有難う御座います」マッジは頷くと、側に生えていた木の枝──高さ1メートル程──に跳躍を使い器用に飛び乗った。エリエルを抱き抱えた状態で、驚くべき身軽さである。
地を這うように迫り来る飛翔鮫を間近まで引き付けたマッジは、エリエルの身体を高く宙へと放り上げると、自分は今回も横に跳んで避ける。エリエルは白鞘の短刀の柄を左手で握り鞘から引き抜くと、飛翔鮫の頭部に落下すると同時に、その刃を肉に突き立てた。
エリエルは、短刀を握り締める左手だけで、飛翔鮫の頭部に必死で膠着する。下半身は麻痺しているのでこの状態を維持するのが非常に辛い。エリエルの短剣は魔術的聖別が施された業物の魔術道具であり、それを突き立てられた飛翔鮫は激痛に身をくねらせた。
決して振り落とされるまいと左腕に力を込めながら、エリエルは右手で何処かしがみつける取っ掛かりはないかを探る。上手い具合に背鰭の前に位置する棘状の部位に掴まることに成功する。姿勢の維持に成功したエリエルは、急拵えに火球を次々生み出して行く。
エリエルは撃ち出した火球の軌道を自在に設定出来る。飛ばした火球を誘導してUの字に曲げて、飛翔鮫の口の中へとドンドン叩き込んでいく。この火球の一個一個の威力は大したものでは無いが、爆ぜるタイミングを任意に遅延可能という特徴が付与されていた。
質より量を標語に、エリエルはこれでもかという大量の火球を量産し、飛翔鮫の腹の中に片っ端から詰め込んでいった。飛翔鮫の胃がドンドンと膨らんで、大した時間は掛からず、腹ン中がパンパンだぜ、という見た目にまで膨張していた。
対象の頭部に貼り付いて、常に薄く開いたその口腔内に火球を放り込むのは、振り飛ばされないよう必死に気張るのが大変なことを除けば、エリエルにとってはそう難しい作業ではなかった。もし逃げ廻りつつ遠距離から同じことをするなら、苦労したに違いないが。
(仕込みは上々。……後は離脱なんだけど、どうやって短刀を抜こう?)エリエルは悩んだ。飛翔鮫に突き立てた短刀はちゃんと回収したい。だが抜けない。腹に火球を詰め込まれた飛翔鮫は、その苦しさに無茶苦茶に暴れ捲くっている。周囲の木樹を圧し折りながら。
既にエリエルの身体も、木の幹や枝にあちこちがぶつかって切創、擦過傷、坐創と無数の負傷だらけである。物理防御力上昇の指輪を装備してなかったら疾っくに死んでいても不思議でない。(そうだ。全体重を短刀に掛ければ)エリエルは思いつき、右手を離した。
再び左手一本でぶら下がる形となり、暴れ狂う飛翔鮫の動きに合わせて、エリエルの身体が上下左右にと振り廻される。「ヒィーッ!」悲鳴を上げて、暴力的な変位に翻弄されるエリエル。が、突然何処かに身体が引っかかった感覚。
一瞬遅れて、エリエルは背中から何かに叩き付けられ衝撃を受けた。瞬間息が止まる。痛みだす背中。気付けば天地が逆になっている。脚元の方に視線を向ければ、折れて先端が鋭利な槍のように尖った木の枝に、モズの速贄めいて太腿が串刺しになっていた。
状況は最悪だが、エリエルの左手には確りと白鞘の短刀が握られていた。どうやら回収は無事成功のようで思わずホッとする。胃に火球を大量に詰め込まれた飛翔鮫は、暴れ狂い20メートル程先まで直進している。その腹部が、ランプめいてほんのり紅く灯っていた。
「周囲に捲き込むような人は居ない」エリエルは(火球よ爆ぜろ!)と念じた。一刹那後、飛翔鮫の胃の中の火球は全て一斉に弾けた。飛翔鮫の身体は空気を入れ過ぎた風船みたいに大きく膨らむと……Bomb! 一気に爆発四散して、辺り一帯に血と肉片が飛び散った。
気付けばすっかり夜の帳が下り切って、森の中はもう何処も彼処も真っ暗である。昏い闇の中に突如、紅い爆炎が立ち昇った。マッジは少し離れた場所から、それを目撃する。一瞬遅れて降り注ぐ飛翔鮫の血と肉片。
血と肉片の雨に打たれ、細かい肉の破片を身体のあちこちにこびりつかせ、血を浴びて自身も真っ赤に染まりながら、マッジは無意識に親指を立てていた。笑みの形に歪めた口元から覗く歯だけが皓い。思わず呟く。「Groovy!」
最後は爆発。B級以下のクソ映画的な怪物打倒の〆といえば、やはりこれ。
フライング・シャーク(Flying Shark)終わり。イニシエーション・イント・ザ・セクシャルプラァクティシィズ (Initiation Into The Sexual Practices)に続く。