第七十三話
門が近づいてきた時だった。
足を踏み込んだはずなのに、すっと吸いこまれて。
咄嗟に伸ばした手をクロちゃんが掴んでくれたけど、穴にそのまま落ちちゃった。
落ちた先にはベッドがあって、まばたきすると見慣れたペロリの部屋だった。
笑顔で手を振るコハナお姉ちゃんがいる。続いて落ちてきたクロちゃんが悲鳴をあげる中、コハナお姉ちゃんは実に悪い笑顔で言いました。
「このまま無難に終わっちゃうなんてえ……退屈ですよねえ」
思わずクロちゃんと顔を見合わせちゃったよね。
何か抗議しようとしたんだけどさ。離れた部屋から聞こえてくるんです。
「今回の優秀者は明らかにレオです。レオのがんばりがあればこそ、ルナの良さが光ったのです!」
「別にそういうわけじゃないと思うけど! 普段からレオがあそこまでお利口さんにしてたら問題はなかったってことの証明でしかないかな!」
「「 ふぬぬぬ! 」」
クルお姉ちゃんとクラお姉ちゃんがケンカしてる……。
笑うような声だけど二人とも限界寸前だよ。他のみんなの声が聞こえないあたり、あれかな。もう諦めてるのかな。
「お察しいただけました?」
コハナお姉ちゃんにクロちゃんが唸る。
「つまりあれか。トラブル起こして、二人のどっちが優秀か示さないと母親のケンカが終わらない、と」
「クロちゃん……そうは言うけどさ。どっちが勝ってもケンカがよりひどくなるだけだよね」
二人でコハナお姉ちゃんを見る。
メイド服姿が何年経ってもずっと似合っているんだろうなあ。
至福の笑みを浮かべて「でもきっと二人の限界値がみれますよう」と楽しそうだ。
人の不幸でご飯たべれるタイプだよね、絶対……。言ったら標的になりそうだから絶対言わないけど。
「お兄ちゃんはなんていってるの?」
「お二人の代わりに見守りに行きました」
あいつめ、とクロちゃんが唸る。お兄ちゃんの責任はとても大きいし、下手に傷を負われても困る。領主さまなんだから。それにお仕事も山ほどあるだろうに、もう。放っておけなかったんだろうなあ。我慢の限界がきて、見に行っちゃったんだろう。
……そういうところが好きなんだけど。
「ペロリ、でれでれしてるところ悪いがこれじゃ二人の様子がわからないぞ」
「あっ」
「コハナ。タカユキは観察用のカメラかなにかは持っていったのか?」
いいええ、と頭を振るコハナお姉ちゃん。
「代わりにナコ様が精霊を放ちました。実況がなくなるのは残念ですが、状況はそのうちにわかるかと」
「はあ……」
それにしても。
「コハナお姉ちゃん、楽しそうだね」
「あら。これはいけませんね。子供とはいえあの人が苦労していると思うと、ちょっとぞくぞくしちゃうんです」
「……屈折してるね」
「お褒めにあずかり恐縮デス★」
触らぬ死神に祟りなし。居間に行こうと切り出して、ペロリはそそくさと逃げ出しました。
◆
「え!? 門がふーさ?」
門番さんになんでって言ったけど、教えてくれなかった。
どうしよう。かえれないんだけど!
「いつになったらピジョウにいけますか?」
オレの代わりにルナが聞いてくれたけど、門番さんはわからないしか言わない。
じゃあどうすればいいの。オレ、こういうのわからないよ。
ママが何度もいったよ。ルナにやさしくしろって。
女の子にやさしくできない男はもてないって。それはこまる。オレは女の子が大好きだから。
やさしくする方法をママからたくさん聞かされた。正直ねむたくなったけど、がんばって聞いたよ。
だってさ。
ルナはかわいい。めっちゃかわいい。パパゆずりの女の子ずきとして、ピジョウのあらゆる女子を見たオレはさいきん気づいた。ルナのかわいさに。
たとえばルナは、どんなやつに対してもそっけない。
けど、オレにだけは笑ったり文句を言う。そういうの、特別って言うらしい。みんなオレを子供だと思って優しくしてくれるけど、そんなの期間限定だ。
パパの息子ってだけで大事にしてくれるけど、そういうのなしにして。
ただの男の子としていっしょにいられるの、ルナだけだ。三つ子は論外ね。あいつらうるさいし。
とにかく、オレにとってルナは大事だ。
けつろん、ルナ尊い。
ママに聞かれたらおこられるから言わないけど、ルナ尊い。
「ちょっと。ぼーっとしないでよ」
ぺち、とほっぺをぶたれた。
「なんだっけ?」
「だから。おうちにかえるの」
「どうやって?」
「……しらない」
「えー。まほーつかえないの?」
「……転移は教えてもらってない」
いつものくせでつい「使えねーなー」とか言いそうになるけど、がまん。
言ったら泣く。ルナぜったい泣く。
「じゃあ門が使えるようになるまで、ここにいる?」
「……今日、元に戻るかもわからない。明日になるかも」
「どーすんの」
「しらない! レオも考えてよ!」
あ、やばい。泣きそう。ルナめっちゃ泣きそう。
「んー。じゃあ宿いく?」
「……お金ない」
あ、そっか。さっき使っちゃったんだ。
こまったなあ。わかんねえなあ。
んー。
「……パパ、ママ」
このままでいたら、ルナ絶対泣いちゃうよなー。
ママにばれたらすっごい怒るよなー。それはいやだ。
ルーちゃんもママもおっかないからな。
その点クルちゃんは優しいからいいよ。かわいいし。ルナがうらやましーですよ。
しょーがねーなー。
「いこうぜ。ルーちゃんに野宿について教わってっから。だいじょぶ。まかせろ」
ルナの手を引いて歩き出す。
たしか、ルーミリアのそばには葡萄畑があるって聞いたことある。
力をかりればなんとかなるでしょ。
らくしょー。らくしょー。
◆
「レオめ。あいつ絶対行き当たりばったりだろ……」
我が息子の振る舞いを見て、思わずため息が出た。
レオがルナの手を引いて歩き出す。泣きべそを掻きそうになったルナがレオに素直についていく。
今回の趣旨を理解してなかったら、飛び出ていろいろと話さずにはいられなかったな。きっとペロリは我慢できなかっただろう。あいつはとびきり優しいから。
「それにしたって、なあ」
お金がないなら帝都の店に戻って服と交換してお金を返してもらうとか。
そうでなくても救助を求めるならあの店だろうとか。
色々やりようはあるだろ。
でもなあ。五歳児だしなあ。
過度に求めすぎか。そんなこと教えてないしなあ。
そう考えると、レオの行動は決して悪くないのかもな。
ルカルーの教育の成果が見られると思うと楽しみですらある。
だから心配なのは、ルナだ。
クルルが可愛がりすぎて、魔法を教えてインドアに育てているからな。家の外の刺激に弱い。もっと外に出してやらないと。友達がいるという話も聞いたことがないしなあ。
日曜学校に行かせるというのが一番手っ取り早いんだが、クルルが家庭教師になれば十分だという話もあってな。
「そりゃあ内弁慶に育つか」
クルルのルーツを見ているような気持ちにもなる。
クルルが幼い頃に魔法学校に入って、社会に揉まれて酒浸りになったことを考えると……。
「もうちょっと、考えないとな」
ルナまで酒浸りになったら、それはちょっと切ない。
「まあ……」
様子を見るか。
クルルはあれで芯が強いのだが、ルナはどうか。
レオへの態度を見るに、大人に対しては良い子でいようとしすぎて本心を晒してないからな。
レオと二人きりでいるからこそ、見えてくる面を知りたい。
いつだったかペロリに言われた言葉を思い出して思わず苦笑いが出た。
「あいつの言うとおり、俺は子供のことを何も知らないな」
だから教えてくれ。お前たちのこと。
肩に乗っかるちび兎の精霊の頭を撫でる。ナコが出してくれた精霊だ。こいつが見ている映像がそのままピジョウに送られている。
二人に気づかれないように離れたところから、俺はそっと後をつけた。
空に雨雲が集まってきている。
一雨きそうだが……レオ。お前は好きな女の子を守れるか?
つづく。




