第六十四話
よく晩酌を共にするナコやルカルーは酒癖がいい方だ。
絡まないし泣かないし口汚くならないし、なによりめんどくさくない。
……という事実を、俺は勇者の胃袋で実感していました。ちなみに誘ったのは俺で、クラリスとクロリアには遠慮してもらった。上司役が多いと気を遣うだろうからな。
でも、失敗だったかもなー。
「きいてまふか!」「だからだめなんですよ! ぼうっとして!」「そうです! 人に仕事させるだけさせて慰安について考えてらいんれす!」
他にも口々にああだこうだと、据わった目つきと酒臭い息を俺に向けて怒りをぶちまける女性公務員たち。矢面に立つのはなかなかしんどい。
男女の交際に発展すれば、なんてあわよくばを考えて警備隊の面々を誘ったのは失敗だったかな。みんな女子の乱れっぷりに引いている。
唯一黙っているミリアさんだけが警備隊の面々の心の癒やしになっているようだが、彼女は彼女でブラウスのボタンをいくつか開けて熱っぽい息を吐くのはどうなんだ。妙に色っぽいんだが。あなたそれで経験ないとかなんなの? どういう生き方してきたの? 逆に気になる。
「……ふう」
瞼を伏せての吐息に俺たち男性陣の意識は吸い取られるばかりです。
「みんな……代わりにいい?」
女性陣がああでもないこうでないと言い始めた頃合いを見計らって、ミリアさんが口を挟んだ。妙に通る声だからか、テーブルに集まった連中が一斉に黙る。
「領主……タカユキ」
「は、はい」
「……ピジョウは平和と幸福を願った国。ですよね?」
「え、ええ」
明らかに俺より年上の女性が丁寧に、なのにけだるげに話すこの状況にどきどきしてきた。不謹慎か。
どぎまぎする俺の隣に移動してきて、ミリアさんが身体を寄せてくる。
コハナもそうだが、悪魔属性がある女性はみんなこうなのか? 妙に身体が吸い寄せられるような引力を感じる。あと、単純に気持ちいい。柔らかくて。
「でも私たちの仕事はまるで戦場のように忙しく、日常を削っているのであまり幸福ではありません」
「……すみません」
俺いまめっちゃドキドキしてます。
「困るんです」
「……はい」
俺もいま困ってます。退職届を引っ込めてもらうケアのために来ていて、女子連中の不満を受け止めなきゃいけないのに勇者の懐刀がおっきしそうで。
「きちんと保証してくださらないと。私たちもまたピジョウ国民なのですから」
「……仰るとおりです」
少し平静を取り戻した。
「でた、ミリアさんの密着交渉」「あれで落ちない男はいない……」
女子達のひそひそ声な。聞こえてるからな。あと男子連中、そんなに恨めしい目つきでこっちみんな。
「書類の条件、飲んでいただけます?」
「……善処しますが、すべてはちょっと。すぐにやるのも難しいかなあ、と」
デリケートな問題もあったと思うんだ。男性職員に風呂入れっていうのとか。
「辞めちゃおうかな……」
「そ、それはこまります!」
「じゃあ……がんばってくださいます?」
乳首ドリルすな! ああ、もう! 誘ってんの、みたいな顔して言われたら辛抱たまりません!
「が、が、がんばります!」
「よかった。じゃあ領収書きっておいてくださいね」
すっと立ち上がって、彼女は素の顔になって「店を変えましょう」と女子連中に呼びかける。
ずらずらと立ち上がって去って行く女子連中を見送る男子たち。そして俺。
なんか……敵う気がしない。
「……せめてクルルについてきてもらえばよかったかな」
ぼやいたけれど、時既に遅し。
俺たちなんのために呼ばれたんすか、と落ち込む警備隊を放ってはおけるはずもなく。
自棄気味に笑って俺は声を上げた。
「お、俺たちを店を変えよう! な? な? いい店あるから! 連れていくから! な?」
領収書をばっちり切って、俺は彼らを連れ出した。
行きたい場所を尋ねたら、せめて構ってくれる女子のいる店がいいと誰かが声をあげた。そしてすかさず誰かが声を張り上げる。
ルーミリアか魔界の色町、と。
ならばと魔界でルカルーが働かされそうになった、あの風俗がある街へ行くことにした。
独り者男子が多い警備隊だからよかれと思って誘ったけど、手強すぎて無理だな。あれな。ほんとごめん。
◆
風俗となると、ノリが良い奴もいれば苦手な奴もいる。
酒が入っているとはいえ、いわゆるヌキありみたいなお店だとハードルが高い。
誘ってはみたけど、一人頑固に絶対にいやだと言うやつがいたのでやめた。
「すみません、領主さま。新入りが妙に身持ちが堅い奴で」
「いいっていいって」
まとめ役らしいノリの良い魔族に笑って答える。
普通にお姉さんたちと酒を飲む店にしました。風俗は三軒目に行きたい奴が行けばいいさ。
魔界のお姉さんたちに歓待してもらって、さんざん上機嫌になったところで解散。くだんの新入りはずっとしかめ面で俯いていたから、ノリの良い奴に任せた。申し訳ない。
ピジョウにはまだこの手のお水なお店がないからなあ。気楽に遊べるなら、もう少し構えずにいられるのかもしれないが……このへんはちょっと考えた方がよさそうだな。
風俗いくぞ、と盛り上がる面々を見送り、スフレから来たばかりの新人の肩を抱く。
「だいじょうぶか?」
「……う、うう。ひっく」
すっかり酔いつぶれてんな。
「……勇者さまあ。おれあね、おれあ……」
「なんだよ」
「すふれの……きしらんの……で、らんす」
なんて? と思いながら適当に相づちを打つ。覚えのある声だなあ。
「ルーミリアか魔界の店がいいって言ったのお前か?」
「そうれす……」
うぷ、と今にも吐き出しそうな音を出すから急いで排水溝のそばへ寄る。
「……あこがれのひとがいたんす!」
「おう」
やっぱり聞き覚えのある声だ。どこで聞いたんだったっけな。今日より以前か?
「う、お、う……」
いまにも死にそうな声を出すから、あわてて背中を撫でる。
「いいから吐いとけ。楽になるから」
まずったなあ。
クルルがいたら転移でさくっと戻れるんだが、俺にあの手の魔法は使えない。
ピジョウに繋がる門へは電車かタクシーで移動せにゃあならん。ちょっと手間だよなー。
「……いいんれすか? はいて……」
「いいって。好きなだけ吐け。楽になるから」
「じゃあ、いわせてもらいますけどねええ!」
「おっと」
急に抱きついてきたから受け止める。
その時だった。腹部に妙な熱を感じたのは。最初はマジで吐かれました? と思ったのだが、すぐに違うと気づいた。
痛いのだ。激烈に。
「……あんたがゆるせないんすよ。ずっと、ずっとねえ」
俺から離れる新入りの手には短剣が握りしめられていた。
腹部を見下ろす。服が裂けていた。次いで出血と共に灼熱が広がっていく。
「クルルさまと姫さまを毒牙にかけて……ずっとゆるせなかったんだ! あんたは覚えてねえだろうけどなあ!」
肩を突き飛ばされて尻餅をついた。
「あんたをエルサレンで、初めて見たときから……気に入らなかったんだよぉ!」
「お、まえ……」
エルサレンの駐屯所にいた騎士。俺に妙に辛辣で、何もしてくれなかった……あの騎士か。
そうとわかった時にはもう、身体から流れる血に意識が遠のいていく。
「死ねよぉ!」
新入りの短剣は、真っ直ぐ俺の頭へ向かってきた。
パンツはなく、防ぐ手立てなし。
意識の遠のく俺の頭蓋を悪意と憎悪が確かに貫いたのだった。
◆
まばたきした次の瞬間には、見慣れた教会にいた。
「え、ええと」
若い神父がきょどった目で俺を見て、それから周囲を見渡す。
「え? なに? 急に来たけど……お宅、誰?」
最後に俺を訝しむように睨んできた。
咄嗟に額に手を当てる。傷跡はない。思えばいつだって、死に戻った時はそうだった。
深呼吸をする。
「……タカユキ」
頭を貫かれて記憶喪失とか、そういう今更お前そりゃあないよ、みたいな展開はなかった。
とはいえ頭痛がする。
元いた世界の知識が浮かんだせいでもなければ、頭を貫かれて殺された後遺症とかでもなく。
もっとも単純で純粋な理由からだ。
「まあ……冷静に考えてみれば」
世界を救おうが、みんなの平和と幸福のために働こうが……死ぬときは案外あっけないという現実に頭痛がする。
今後の対応を考えると余計に頭が痛い。愛憎の果てにあっけない幕切れが訪れました、なんて洒落にもならない。
仲間に知らせず、知らせるとしてもクロリアだけに知らせて内々に処理するしかないか。
「――……そういうわけには、いかないよな」
背後へとふり返った。死神である彼女に知られないはずがなかったのだ。
「コハナ」
呼びかけると、彼女はいつものように笑って言ったよ。
「重罪人の処刑はどのような内容をご希望で?」
誰より冷徹で、誰よりも辛辣な彼女のその言葉に俺は俯いた。
真紅の髪、背中に生えた翼。大鎌を振るう前であれど、俺に凶刃を突き立てた男の運命など容易く終わりにできる。地面を這うアリ程度にも感じていないだろう冷たい声に喘ぐ。
「……いや、待て」
「わかりあいたいと? ピジョウに連れ戻して決着をつけたいですか?」
「――……ああ」
縋る思いで頷いた。思い出すのは、そう。最初の旅。コハナに翻弄され、辛辣な目にばかりあったあの時のつらさ。
思い出すのは当然だった。
「自害して果てましたよ。悔しいから遺体は灰も残さず燃やしておきました」
微笑みの辛辣さ。元いた世界からこちらへきて歪み、掴んだ彼女の本質は。
「残念でしたね」
今はもう、死に寄り添うものでしかなかったから。
生きているとは言わなかった。処刑したとも言ってない。
この期に及んで俺を揺さぶる彼女に詰めより、襟元を掴んで。けれど、何も言えなかった。
「……どうして」
「あなたを殺したから」
理由はそれだけで十分だ、と微笑む彼女を見て初めて理解した。
「怒って、るのか?」
「知りませんでした?」
にこにこしている彼女のそれが、怒りの感情表現なのだと知る。
「よかったですね。コハナしか知らなくて。すべてが壊れて砕けてしまいかねない事件でした……迂闊すぎますよ」
俺の強ばる手をそっとほどいて、俺を抱き締める。
優しい声を出している。にこにこ笑ってくれている。なのに、理解してしまうとどう受け止めればいいのかわからなかった。
真紅の髪が燃えている。激情を表すように。
「さあ、帰りましょう。あんまり遅いと子供たちが心配してしまいますもの」
……彼女はずっと、怒っていた。
ナコを襲い俺に復讐を果たそうと挑んできたニコリスよりも、俺を貫く凶刃と新入りよりも。
コハナが笑顔の陰で怒りをこらえていた真実に気づけなかったことこそが、俺を深く傷つけ苦しめたのだった。
つづく。




