第六十二話
破壊神、魔王ときてニコリスか。
最初の旅から考えると順調に後半につれて下降している気がするのだが、しかしナコを倒したとなると放置はできない。ゲスな奴だからな。
ペロリによる治癒の奇跡で回復したナコは、痛みをこらえるように顔を歪める。
いつしか雨の上がった砦で、雨粒が目元から落ちるのを指で拭って呟いた。
「すまない……簡単には、倒せなかった」
言葉を濁す彼女を見ていると複雑だな。
食べるためとはいえそばについて成長してきた。複雑すぎるが相棒というべき時期もあったはず。それゆえに初手でぶっとばそうとは思えなかった。聞いてみればナコの敗北の理由は情ゆえにであった。
しょうがない。最初の旅の終焉間際の決戦ですら、ナコはニコリスを思わず気遣った。
彼女に倒せるわけもない、か。とはいえな。
「精霊ってのはどうやったら倒せるんだ?」
俺の問い掛けにみな、一様に暗い顔をする。
「……世界を構築するための力そのものだ。土地や物、生物の意思に宿る。そもそも滅ぼせる類いのものじゃない」
「クロリアの言うとおりかな。タカユキは忘れてるみたいだけど」
元魔王の説明をクルルが引き継ぐ。
「人間世界と魔界の狭間にあるこの世界には、殺すことを禁じる女神さまの力が働いている。元々倒せない精霊相手に殺傷禁止のこの世界でどう立ち向かうつもり?」
「ううん……」
唸った。女性を害する悪意の権化を相手に、まともにぶっ飛ばすことさえできない。
「手はある」
痛みを堪えるように呻きながらナコが立ち上がった。
「人間世界か魔界に転移させて、ニコリスを分解して無害になるくらい小さく粉々にすればいい。巨大に見える精霊は、実際には小さな精霊の集合体でしかないから……粉々にすれば、大きいときの意識は消え去る」
ナコの言葉におお、と思わず頷いた。
思えばいつだって、ナコが扱う精霊術はそうだった。小さな精霊を集めて巨大な精霊へと変えて使役する。ならばあのニコリスだって。
「急ごう。おびき出して、クルルの魔法で転移。みんなで倒して終わり」
「私は……別にいいけど」
クルルが躊躇いを見せた。理由は一つ。ナコにできるのか、ということだ。
「ナコ……いいのか?」
俺の問い掛けにナコは頷いた。
「一緒に育ってきた家族だ。大事な奴には違いない……けど、同時に私の祖先を食い物にしてきた事実も変わらない。愛憎の縁はこれで終わりにする」
はっきりとした断言に俺たちは顔を見合わせた。
ナコが決断を下した今、もはや迷うことはない。
ニコリスを倒す。
そのために俺たちは街へと急いだ。
◆
「作戦は単純だ」
中央広場を取り囲むように俺たちは散開していた。
腕の中にクロリアがいる。建物の屋上から睨む先には噴水があった。
そこにミリアさんが腰掛けている。白く透けたローブ姿だ。名付けるならおおかた、傾国のロー……ううっ! やばいくらい頭が痛む!
「あの変態馬好みの美しい処女をエサにする」
「え。ミリアさん、え?」
突然の情報にテンパる俺に構わず、クロリアはどす黒い笑みで言いましたよ。
「くくく……淫魔であの美貌。にもかかわらず処女! これは食いつくに違いない!」
ど、どうしよう。突然の個人情報に俺は戸惑いを隠せないんだけど。
「他にも撒き餌を放ってある。公務員兼処女の可愛い女子連中をな」
「お前……」
どうやって処女だという把握を? そしてどうやって彼女たちを従わせたの?
元魔王の情報把握と作戦に俺は震えが止まらないんですけど。
「きたぞ」
クロリアが指差す先。ピジョウの住民区から悲鳴を上げて少女が駆けてくる。
涙目になって助けてと叫ぶ女の子の後ろに奴がいた。
なんていうか……悲しいな。雄の本能って。具体的にはちょろすぎて悲しい。
「同類相哀れむか」
「別に俺は強引に襲ったりしませんし、物理的に食べたりしませんから!」
「はいはい」
「流さないで!? 大事なとこだからね!?」
「いくぞ」
噴水広場に少女が辿り着いて、ニコリスが笑い声を上げる。
『うまそうな匂いばかり! まさに楽園じゃあないか! ……ん?』
奴が見渡した時にはもう、俺たち仲間全員で取り囲んでいた。
『ちぃっ、罠か――』
「問答無用かな! トラディオ-!」
奴が飛び退ろうとするよりも早く、クルルが魔法を放つ。地面に一瞬で描き出された魔方陣が光り輝き、一瞬で俺たちは林の中に躍り出た。
転移したのだろう。そこがどこかは知らないが、事前にクロリアが提案した作戦通りならここはルーミリア帝国にあるナコの村近くの林だった。
「――……」
ナコが間髪入れずに歌う。
そこかしこから淡い光が浮かび上がり、それは手のひらサイズの兎や馬へと姿を変えていく。
『グ、ァア!』
うなり声をあげて身を震わせる。苦しそうだ。ニコリスに効いているのか。
「ペロリ、いくぞ!」「わかってるよ、クロちゃん!」
二人の少女がその拳を精霊の土手っ腹に叩きつける。
黒と白。魔王と聖女の相反する力が同時に腹部を抉り、貫いた。
二つに分かれようとする。光に分解して逃れようとするニコリスの身体を、
「コンジラチオ!」
クルルの魔法が凍り付かせた。
悲鳴すらあげない。飛び退るペロリとクロリアの眼前で氷と化したはずの奴が身体を震わせる。みるみるうちに修復していくではないか。
だとして、止まる俺たちじゃない。
入れ替わりで懐に飛び込んだルカルーが空へと打ち上げた。
「タカユキ!」
強烈すぎる金的に思わず腰が引けそうだが、そんなことをする気はない。
「わかってる!」
ナコのパンツから取り出した弓を構える。
空中で身を翻すたびに、ニコリスが怒りで顔を歪めた。
『ほ、本当に僕を滅するつもりなのか! ナコ、ナコ! ナコォオオオオ!』
ナコの歌声に苦しみが滲む。
だから言うんだ。
「しつこい男は嫌われるらしいぜ」
矢を放つ。勇者の力。世界を乱す悪を打ち払う力は一つにして無限。
数え切れない軌跡を描いて馬の精霊をおびただしい数の粒子へとちりぢりに分解させた。
空から降ってくる光は本当に小さな馬だった。
あいつの名残なんてない。歌い終えたナコが一つの粒子を受け止める。
「……アンタがどれだけ悪いことをしても、やっぱり家族だった」
呟く声の重さに誰も何も言えない。
弓を消して大きく息を吐く。
ルーミリアの夜空はため息が出るほど美しかった。
少女の嗚咽が小さくこぼれた。
つぶらな瞳で少女を見上げる小指サイズの馬が鳴く。
狐の少女の目から降る雨を浴びて、不安に襲われながらも元気を出せと叫ぶように。
林の中で確かに雄々しく響いたのだ。
真摯ないななきこそ、きっと少女がずっと昔から求める願いだったのだ。
つづく。




