第六十一話
食事に誰かが欠けたことはない。
必然的にナコの不在は騒ぎになった。警備隊として一緒に活動するルカルーをはじめ、誰もナコの居場所を知らない。
クロリアと二人で街のいたるところに作られた駐屯所に顔を出す。
だが誰も行方を知らない。最後の駐屯所でやっと聞き出せたのは、
「砦の様子がおかしいから見てくるって、お一人で向かわれました。何度もお止めしたんですが……」
気弱な青年警備員の不安そうな声だった。
クロリアと顔を見合わせる。雲行きが怪しい。勢いの強い雨もよくない。
陰鬱な天気に負けないようにクロリアが頭を振って、すぐに呟いた。
「クルルに連絡する。腕利きのナコが戻ってこないのは気になるからな」
「……そうだな」
少しでも待てば仲間たちは集まってくるだろう。
なのになんだ。妙に嫌な予感ばかり膨らんでいくのは。
いてもたってもいられずに、俺はクロリアに手を差し出した。
「クロリア。パンツ貸してくれ」
「はあ!?」
顔を真っ赤にしながら問われたが、こちらは本気だ。
「一足先に確認しにいってくる。元魔王のお前のパンツなら戦力になるからな」
「……それだけか?」
「他に何があるんだよ」
「かぶったりはいたりしないか?」
「しねえよ! 一応ほらこれ、いまシリアスモードだからね! そういうつもりはないから!」
「でも匂い嗅いだり股布チェックするんだろ?」
「……」
「黙ったな! この変態め!」
「ついだよ! 敢えてはしないから! 頼むから貸して!」
にらみ合いを続ける俺たちと、居たたまれない顔でいる警備員たち。
彼らの視線に気づいたクロリアが渋々、深いため息を吐いた後に物陰に隠れた。
しばらくして手招きされる。押しつけられた布きれを確かめようとしたらスネを蹴られた。
「見るな! 嗅ぐな! いいか、極力触りもするなよ! わかったな!」
「はいはい」
雑に返事をする俺に怒り心頭のクロリアだが、俺は構わず告げることにした。
「クルルへの連絡頼む。救援と……あとは警備体制の強化。他に何か異変がないか確認させてくれ」
「……ふん。わかっている」
頷くクロリアにほっとして、ジャケットの中にパンツを突っ込んで駆け出した。
雨水を含んでどんどん服が重たくなっていく。
けれど構わず砦に向かって走る。合戦用に築かれた施設は次の合戦でも扱えるよう残してある。煙のように巻き上がる雨の粒の中をひた走り目をこらす。
淡い光が地面からふわふわと浮かんできた。進めば進むほど量が増える。ナコがよくやる精霊術で起きる現象だ。けれどあいつが詠唱代わりに歌う声が聞こえない。
ここへきて異常は明白。何かが起きている。
クロリアのパンツに念じて右手を前に突きだした。腕に出る武器は何かと思えば、不気味な悪魔の像がついた杖だった。そういや最初の旅での戦いでクロリアは杖を使っていたっけな。
なるほど、つまりは魔法が使えるということか。呪文を知らない俺に活用できるのかはわからないが、ないよりはいい。
こんなことならクルルに魔法を教えてもらえばよかったな。雨を払えば砦に行きやすいだろうに。
我慢して進む。
辿り着いた合戦場で二つの砦を見た。雨でよく見えないが、どちらの砦もふわふわ漂う光に包まれている。強いて言えば光の量は破壊神と魔界の連中が陣地とした砦の方が多い。
誘われているような気がするな。ナコの歌声は聞こえないままだ。獣耳を意識して動かしてみるが、雨と風の音しか聞こえない。
けど、なあ。
「どういうわけか」
嫌な予感がする。あそこへいくべきかどうか、二の足を踏む。
クルルたちを待つか? みんなで立ち向かえばだいたいの困難は覆せるだろう。
けれど、待て。しばし。
ナコが帰ってこないのだ。俺の後ろを容易に取るほど強いあのナコが。
尋常ならざる事態に手をこまねいているわけにもいかない。
深呼吸をして、それから砦に向かった。
雨風を浴びる砦の玉座を見て、嫌な予感が的中したことを悟った。
淡い光の透けた肉体をした馬が腰掛けている。一角。光の中に浮かぶどろりとした暗闇からなにから、見覚えしかない。
歩み寄っていっても奴は喋らなかった。愉悦に歪んだ顔で俺をずっと待ち続ける。
足下に転がる少女を見て、それから奴を睨んだ。
「よう、ニコリス。久しぶりだな」
『生きていたのか、とは問わないわけだ』
最初の旅で対峙し、何度となく戦った馬の精霊。処女を育て、懐胎させ、子を産んだ肉体を食らい、そうして生き延びてきた存在。ナコの村の守り神。そして……クロリアに悪魔にさせられてクルルとクラリスを穢そうとした俺の敵。
『積もる話はあるぞ? 破壊神により世界をやり直しておきながら、この僕が出る前に解決したり……そもそも、魔王戦で悪魔の成分を打ち払って以来放置されたこの僕がどんな目にあったのか、とかね』
杖を握りしめて笑う。
内心では冷や汗が出る思いだった。ナコは裸に剥かれ、その肌には蹄の痕が見える。先に奴と戦い負けたのだろう。あのナコが。信じられない。けれど事実だというのなら、俺でも手に余るだろう。どうにかして仲間が来るまでの時間を稼がなければならない。
「聞かせてくれよ。久々に会ったんだ。今はもう悪魔じゃないはずだろ?」
『ヒイイイーヒヒヒヒヒヒヒ!』
甲高い笑い声をあげる。突然の大声に身構えた。
『処女じゃなくてもおいしくいただける精霊だよ。この身を穢した罪を……償ってもらわないとね。ナコはすでに罰を与えた』
立ち上がるニコリスはやる気満々だった。
巨体で立ち上がり、その足でナコを踏みつける。
「ぐうっ――……」
「てめえ!」
『けど……お前の匂いがする女を穢すなんて吐き気がする! ここはお前の国なんだろう? なら……うまそうな女は片っ端からいただいてやるよ! ざまあみろ!』
笑う奴の顔に頭の中の何かがぶち切れた。
瞬間的に杖をかざす。叫ぶ呪文は俺にとっては馴染みあるもの以外にあり得ない。
「リュミエイレ!」
果たして、どうなるか。俺の心配なんて笑い飛ばす勢いで、悪魔像の目が光り輝き放たれた。
極太の光の束が。それは容易くニコリスの身体を飲み込む――はずだった。
やつは光の粒子に弾けて消えやがったのだ。
『くくく……ナコがいなければ精霊に触れる術ももたない君たちでは僕を倒せはしない。指をくわえて見ているんだな! 君の国民が陵辱される様を! 今夜だ! 今夜からはじめよう!』
その光は消え去って、ニコリスの耳障りな笑い声がどんどん遠ざかっていった。
途方に暮れる俺に足音がいくつも近づいてきた。仲間たちだ。
ペロリが即座にナコの治療に当たり、クロリアとクルルが魔法で警備隊に連絡を飛ばす。
俺に寄り添うクラリスとコハナに、俺は俯きながら吐き出した。
「敵が来た。厳戒態勢を――……」
こうも正面切って戦いを挑まれたんじゃあ、しょうがない。
倒してやるさ。絶対に。俺の仲間を襲ったツケは払わせてやる。
なにより……国のみんなに手を出そうってんなら、絶対に許さないからな。
つづく。




