第六十話
祭りも無事に終わったある日の朝のこと。
朝飯を食べていた時に気づいた。ナコが食事に手を付けず妙にそわそわしていた。
「ナコ……どうした?」
「……あ、その」
顔を上げて、それから俺たち全員の顔を見渡してから俯く。それっきり黙り込んだ。
いや気になるだろ。そういう沈黙、めっちゃ気になるだろ。
「どうかしたのか?」
「食事、お気に召しませんでしたか?」
コハナの気遣う声にナコが頭を振る。
「妙に精霊がざわついていて、落ち着かないんだ」
「精霊が?」
「女神と破壊神が来てから、その存在に当てられたのか精霊が元気になっていたんだけど……」
「それでざわつき続けてるっていうのか?」
俺の問い掛けに違うんだ、と訴えるように切実な顔を向けてきた。
「悲鳴に似た声がするんだ。よくないことが起きそうな気がする」
ナコがここまで感情を乱すことは珍しい。
ルカルーが三つ子にそれぞれ乳をあげながら呟く。
「警戒した方がいい。虫の知らせはあるから」
「……そうだな」
頷いた。まさか今更新たな破壊神がどうこうなんてどんでん返しもないだろうが、油断はできない。ピジョウは魔界と人間世界を結ぶ世界にある新興国だ。よからぬ企てを持ち込む輩もいる。気をつけないとな。
それにしても、精霊か……。
「まさかな」
呟く俺にクルルが半目で睨んできた。
「それっぽいこと言ってるだけでしょ」
「お前ね。すぐ台無しにすること言うなよ! その通りだけどな!」
やれやれだよ、と呆れるクルルの膝上で、ルナが俺をじっと見つめていたのだった。
純真無垢な目で見られるのが一番堪えるんだぞ、ルナ。そんな目でみんな! 俺が悪かったから!
◆
祭りのもたらす経済効果の調査と報告。国民増減の確認。病院設置の依頼。魔界から来た国民それぞれに見合った設備設置の嘆願。
人間世界と魔界から噂を聞きつけた有力者の訪問。企業や商人の売り込み。
たまに響く三つ子のぎゃん泣き。不意に入ってくる魔力通信による犯罪の報告。
どう考えても――
「働く奴が足りない!」
デスクを叩いて立ち上がる俺に対して、クロリアもクラリスも二人そろって真面目な顔で書類の整理を行っていた。スルーである。一人はチャームと薬酒で落ちているはずで、そもそももう一人は俺の妻である。にも関わらずこの塩反応。なぜに。
「二人とも聞いてくれ。俺は思うんだが、仮にも国の体をなしているピジョウには公務員が足りないのでは?」
二人はスルー。え? え? え? 待って。
「俺なにかした? え? 無言で流されるの結構きついんだけど。待って。え? え? 俺なにかした? 怒らせるような何かした? わかってる! 怒らせているときに聞いちゃいけない質問だっていうことは十二分にわかってる! でも敢えて! 敢えて言わせて! 俺なにかした?」
「「 はあ 」」
二人そろってガチのため息とかやめて! 精神力ゴリゴリ削られるから!
「人員補充の書類、手元にあるので確認してハンコを押してくださいね」
クラリスあれかな。今日は機嫌が悪いのかな? すげえ冷たい声で言われて軽く泣きそう。
あわてて手元の書類をめくると……あったね。ピジョウ共和国体制強化の提言書。分厚い書類がさ。ありましたね。
「流し見で済ますなよ。お前がぼうっとしていた間に私とクラリスでこんこんと説明した内容が頭に入ってないようだから言っておくが……適当にハンコを押して質問したときに舐めた返事をしたら燃やすぞ」
こわい! ちょ、やめて! こわい! クロリアこわいから!
「ふ、二人が怒ってる理由はあれかな? 俺がぼうっと仕事をして唐突に今更それいうのかよ、お前今更それかよ、みたいなことを言い出したからかな?」
今度はため息すらなかった。
……はい、すみません。仕事します。
分厚い書類を一枚一枚めくって眺める。どこにどれだけの人員を割り当てるのか。その職業訓練はいかにして行うのか。そもそも採用についてはどのような手順を踏むべきか。期待される就職希望者の数はどの程度なのか。彼らを採用したとして、給与はどの程度にすべきか。彼らがきちんと職務を遂行するための規律は何か。
キリないなあ。救いを求めるように二人を見たけど。
「助けないからな」
「がんばってくださいね」
圧が。言葉の圧がすごい。
わかった。わかりましたよ。頑張りますよ。
◆
結局、夜までかかったよね。
クロリアとディスカッションの後、ハンコを押して椅子に身体を預ける。
こういう考えながら何かを決めていく作業苦手だわ。俺にはない知識分野に飛び込むの。
でも当たり前っちゃ当たり前だな。
知らないことでもやらなきゃいけない瞬間はくる。子供の頃はそればかりだ。大人になってもなくなるわけじゃない。そういう時にどこまで頑張れるか、なんだろうな。
やり遂げた俺の頭をクラリスは自慢げに撫でてくれたし、クロリアも大好きなお菓子を差し入れてくれた。二人の飴に弱い俺なのである。合掌。
ひと息ついた時に気づいた。いつしか雨が降っていたのだ。窓を叩きつける降雨の強さに俺は二人に尋ねる。
「警備隊の連中はもう戻ってるのか?」
「ナコなら帰ってきてると思うが……何か気がかりなことでもあるのか?」
「いや……濡れたら大変だよなあ、と思って」
呟きながら席を立つ。飯でも食べようと思ったのだ。ついでにナコの顔でも確認しようと思ったのだが――……
その晩、彼女は帰ってこなかった。
つづく。




