第五十三話
特別クロリアと問題を起こすこともなく、日々の仕事は進行していく。
正直、魔王に何を言われるかわからないし、クロリアが求めないのなら俺から何かをするつもりもない。やっぱり……どうしても頭の中で、ペロリと触れ合ったことが引っかかっているからな。積極的にはなれないさ。
時間の流れに応じて当然、祭りの日も迫ってきている。お風呂習慣の宣伝をやり遂げたクルルに広めてもらい、意欲向上に努めてもらっているのだが。
その祭りが問題だった。
「合戦と祭りの目玉がな……」
クロリアが椅子に身体を預けて長い長いため息を吐いた。
執務室にクラリスはいない。レオは日に日にやんちゃになってきていて、面倒を見るのに忙しいのだ。領主の館に子供の声が聞こえない時間はない。けれどみんなで支え合う精神が根付いているから、クラリスがめげたりルカルーがまいったりするような事態にならずにきている。
子育ては順調と言っていいだろう。明日なにが起きるかわからないが、とりあえず今日までやってきた。
問題は国の舵取りだ。どれほどクロリアに教えてもらっても俺には理解できないことの方が多い。クロリアの叱責を受ける俺を見てコハナが笑って「勇者様、元々知識の積み重ねは苦手ですよ」と言うくらいだ。向いてないのだと思いつつも、やらねばならないこともある。
とはいえ解決できなければ意味がない。
祭りなあ。祭り。
「晩ご飯ですよー!」
お玉で鍋を叩く音がした。コハナの声に俺はクロリアと顔を見合わせる。
「仕方ない……タカユキ、休憩するか」
「明日にしよう。煮詰まってきた」
クロリアに答えて席を立つ。
扉を開けてすぐにぎょっとした。目の前にルナの顔がある。けれど後ろには誰もいない。
思わず一歩引いて凝視した。
ルナがふわふわ浮いて、俺とじーっとにらめっこしている。心なしかどや顔なのが気になるのだが。
「る、ルナ?」
「ふりゃー!」
すいーっと飛んで俺の胸に体当たりをかますルナを慌てて抱き留めた。
待って。ねえ、待ってくれ。おい。おい!
「く、くくくくく、クロリア! ルナが浮いた!」
「呆れた才能だ……浮遊の魔法は難しいというのに。母親譲りの資質だな」
えええええ。俺は思わず叫ぶ。
「クルルーッ!」
これは一大事件ですよ!
◆
俺の報告を聞いたクルルは食堂でため息を吐いた。
「別に驚くことじゃないかも。私の娘ならこれくらい当然だから」
とか言いながらお前! ちょっとどや顔してるだろ!
「いやいやいや! 立つ前に飛ぶってどうなの!? 歩く前に飛んじゃうのどうなの!? ありなの!? ねえ、この世界的にはそれが標準なの!?」
俺の慌てぶりに反応してくれてるのペロリくらいなんだけど。
目をキラキラさせてふわふわ浮かぶルナを見つめるペロリくらいなんだけど。
つまりは標準なのか。なるほど。
「……で。これ放っといて大丈夫なのか?」
「魔力が尽きたら落ちるし疲れるけど、目の届く範囲でしか飛ばせないつもりだよ」
涼しい顔で危機管理の話をするクルルに誰も異論を挟まない。
ってことは、これも標準か。
「ちなみにどうやるんだ?」
「娘の魔法の解除くらいできなくてどうするのかな」
これ以上ないくらいのどや顔だった。
まあクルルに任せておけば大丈夫そうだが。
「外ですごい高さまで飛んで、落ちて大けがなんてならないように気をつけるか」
敢えて言葉にしておいた。まだ小さいルナだから、何が起きるかわからない。力を貸してくれる仲間を頼りにすることはあっても、率先して誰かに任せて箒するわけにはいかないからな。
「私がそばにいるようにするから」
クルルの言葉に頷いてすぐだった。コハナがもういいか、と尋ねたそうな顔をしてこちらを見てくる。
「すまん。食べようか」
俺の合図にみんなが答え、食事にうつる。
クルルの膝上にいるルナは天真爛漫にコハナが作った飯を食べている。クルルのスプーンに母親そっくりのどや顔でぱくつくルナとは対照的に、クラリスの膝上で口元を汚しまくって食べているレオはやんちゃ盛りだ。クラリスが少しでも遅れると両手でばしばしテーブルを叩く。
これまでだったら怒って言うことをきかないレオにクラリスの我慢が試されてきたのだが、今日の彼女は違った。
「レオー?」
鼻をくすぐるクラリスにレオが笑い声をあげる。身を捩るレオがクラリスの服を汚すけれど、クラリスは怒らずに尋ねる。
「ごはん食べたい?」
「べう!」
べしべし叩くレオの攻撃にもめげずに、クラリスはじっと見つめる。
「いいこにしたら、おやつあげますよ?」
「おやつ、べう!」
「じゃあルナと競走。どっちが静かにできるかなー?」
クラリスの言葉にレオがきっとルナを睨んだ。
どや顔でいるルナがレオを見て、ふふんと笑う。
静かにするのくらい楽勝ですけど! と言わんばかりの態度にかちんときたのか、レオがむっとした顔で黙り込んだ。
おお……すごい。
「意識してるんです。ルナのこと」
クラリスが発見を宝物のように言うから、俺たちはそろってレオを見た。
ルナをじーっと見ている。そして暴れん坊ぶりが驚くくらい消え失せている。
なるほど、確かに意識している。これ以上ないくらいに意識しているのだが。
「……このまま続けたら犬猿の仲にならないか?」
「年の近い兄弟なんてそんなものだろ」
涼しい顔で言うけどな、ルカルー。娘は三つ子だぞ。その理屈でいくと三つ子も仲悪くならないか?
俺は仲良くして欲しいんだけどな。
「レオはルナにいいところ見せたいんだよねー」
「……ん」
ペロリの言葉にレオがぶすっとした顔で唸る。
俺にはとてもそうは見えないのだが、ペロリから見たら違うらしい。
さすがに自分がレオくらいの年月の頃なんて覚えていないからな。
息子の心理がわからん。とはいえ、ペロリの言うとおりなら程ほどになら使えそうだ。
「いいこですねー」
クラリスが褒めながらレオにご飯を食べさせる。
ルナの真似をしてどや顔をするレオだが、ルナはクルルのスプーンに夢中で見ていなかった。
なんていうか……悲しい片思いを見ているぞ、俺は今。
息子が娘にアプローチをかけているのだが。
一体どういう気持ちで見守ればいいんだ……。
「これからどんどん仲良くなっていくといいですね」
ところでご飯冷めちゃいます、というコハナのおっかない声に俺は急いで食事を取るのだった。
つづく。




