第五十二話
みんなの視線を受けて、クロリアが俺を見つめる。
だがその表情に変化はない。瞳に模様が浮かんだりもしない。
素の表情で俺を見て、それからめいっぱい大きなため息を吐いた。
「死神の誘いには乗れない、ということのようだな」
涼しい顔で立ち上がる。
安堵とも落胆ともつかない吐息を俺の仲間たちがこぼす中、二日酔いのせいか頭をおさえてよろけるクロリアを咄嗟に抱き留めた。
その瞬間だった。
「ひぅっ」
甘い声をあげたクロリアがびくんと身体を震わせたのは。
すぐに俺を睨んで、踵で俺のつま先を踏みつけると出て行ったのだが。
なんともいえない空気の中で俺は呟く。
「いてて……どういうこと?」
「身体は素直ということなんじゃないですか?」
至福の笑みを浮かべるコハナに仲間たちが俺を睨む。
いや、待って。今回ばかりは俺の過失部分すくないんじゃない? だめ? だめですか。そうですか。
◆
試しにクロリアを客としてしか見ていないグスタフに試してもらい、クロリアとグスタフ双方に何の効果もないことを確認した俺は、クラリスの勧めもあって祭りの料理用にいくらかの量をグスタフに委ねた。
勇者の胃袋はそのままピジョウのメインシェフだからな。グスタフには活躍してもらいたい。
悪魔の薬酒と知らせたのはグスタフだけ。力についての意識がなければ新たな力に目覚めることもない、というのがクラリスの見解なのだが、実際俺に新しい力が芽生えた気配なし。
魔王の案内がなければもっと大事になっていた気がするが、結果よければなんとやらだな。
問題は二日酔いでダウンしているクロリアの仕事分だが、これは俺とクラリスでカバーするしかない。負担が大きいのは俺よりもクロリアの仕事を把握しているクラリスだ。
忙しく働いているからといって親が子の世話を放棄するわけには当然いかない。
責務だ何だという話以前に、見逃したくない瞬間があるのだ。
それは夕方になった時だった。
扉がこつこつと叩かれたのだ。クラリスと顔を見合わせて、二人で扉を開ける。
すると、どうしたことか。
ペロリがレオと一緒に扉の前にいた。
それだけじゃない。
レオがふらつきながらもペロリと一緒に立っていたんだ。
思わずクラリスが片手で口をおさえ、よろめく。急いでクラリスの身体を支え、次いで一度しっかりとまばたきをしてから見直した。
やっぱりレオが立っている。
よろよろと不安定ながらも、ペロリの手を離して歩いて、クラリスの足に抱きついた。
「――……レオ!」
すぐに屈んでレオを抱き締める。クラリスの目に涙が浮かんでいたのを俺は確かに見たよ。
「ぺ、ペロリ。こいつはいったい」
「さっきはいはいするレオと鬼ごっこで遊んでいたの。ゆっくり逃げて、捕まって。繰り返してたら、レオが急にね?」
きらきらした目で興奮冷めやらぬ声を出すペロリに頷いて、レオを見た。
「まぁ!」
どや顔のレオがぺしぺしとクラリスの身体をはたく。
こいつの力加減は容赦がなくて、クラリスはたまに怒るのだが。
今日はぎゅうっと抱き締めてそればかり。
「まぁ……?」
「レオ……レオ!」
ペロリと思わず顔を見合わせる。
クラリスがここまで喜びを表現することは珍しい。
でも仕方ない。レオが歩いたのだから。
子供の成長はんぱねえな。
「この様子じゃ、ルナもそのうち歩くかな」
「はあ……」
冗談のつもりで言ったら、ペロリが深いため息を吐いた。
「ど、どうしたんだよ。まさかとっくの昔に歩いてたとかか?」
「んーん。その逆」
「……逆?」
感激しまくっているクラリスの頭を撫でてから、歩き出すペロリについていく。
居間でソファに寝そべっているクルルの身体によりかかるように、ルナがソファに腰掛けてじーっとテレビを眺めていた。
題を付けるなら母と娘の怠惰な時間、といったところか。
「見ての通り、ハイハイもあんまりしないの。遊ぼうともしないで、クルお姉ちゃんの真似ばかりしてて」
「……ほう」
「少し運動しようって誘ってもだめ。空を飛びたがっているのか、手を伸ばしてびゅーって言うだけ」
「…………ほう」
それはまた、なんというか……問題がありそうですね。
「クルル、ルナは立ったりしてないか?」
「んー。時期がきたらその内立つんじゃないかなあ」
子供はそれぞれに成長の速度があるのだろうし、レオと比べたりして焦る必要はないのだろうが、それにしたって暢気だなあおい。
「お兄ちゃん、なんとかいってよ。クルお姉ちゃん仕事以外ではだらだらしてさ。ルナもそれ見てるから、あんまりよくないと思うの」
ペロリが呆れている……ふむ。そうだなあ。
悩みながらソファに歩み寄ってルナを抱き上げようと思った時だった。
「……なあ、クルル」
「なーにー?」
「お前さいきん、ちょっと太ったんじゃないか?」
「え!!!!」
さぁ、と顔を青ざめさせるクルルの腹を見る。
きゅっと締まっていたはずのウエストを覆う服が少したゆんとして見えるのは、俺の気のせいじゃない。
「な、ななななな、なんのことかな!」
「ほれ」
摘まんでみたら、まあ。まあまあ。なんということでしょう! 確かなお肉の感触が!
「いやあああああああああああ!」
「別に俺はお前がみらくるぼでーになっても嫌いにはならないが、このままいくとルナも運動嫌いになって。母と娘そろってたゆんぼでーになるのでは」
かたかたと小刻みに震えるクルルが絶望の表情で俺を見た。
「……うそ」
「ほんと」
「うそだといってよ、タカユキ!」
「でもなあ。ペロリが呆れるって相当だぞ」
「ううっ」
ぶわっと涙目になるクルルを見て、それからそばのテーブルを見た。
ありとあらゆる菓子と果物ジュースが並んでいる。
「お前これ、毎日食べてるの?」
「だ、だっておいしいんだもん」
「……おいしいからって、お前」
「おいしかったら大丈夫だってテレビが言ってたもん!」
「いたなあ……生まれた世界でもテレビでやってるからって盲信する奴」
お前がそうなるとは思わなかったけどな。やれやれだ。
「ペロリ先生、お願いが」
呆れた顔をして事態の推移を見守っていたペロリに言ったさ。
「クルルを踊りの練習に付き合わせてやってくれない? お前の踊りが一番痩せると思うんだよね」
「うっ、ううっ」
俺に指摘されたことがよほどショックだったのか、めそめそし始めたクルルの首根っこを掴んで、もう片腕にルナを抱いて俺はペロリに差し出したのだった。
しょうがないなあ、と言うペロリによって、クルルは連れて行かれたのである。合掌。
つづく。




