第四十二話
館に帰ったらクロリアに怒られるかと思いきや、そんなことはなかった。
文句を言いに来たクロリアが俺に生えた獣耳と尻尾を見て、あっけに取られてしまったからだ。
それは本物か? と弱腰になるクロリアに尻尾を振って見せたら大声で叫ばれた。
「な、な、なに生やしてるんだ! お前は!」
飛びかかられて尻尾をぐいぐい引っ張られる。
「ちょ、ま、いたたたたた! なにすんの!」
「お前こそ、今この段階で急に、お前は! ほんとに! なにしてくれてるんだ!」
よほど気に入らないのか、外せと言われるんですけれども。無理ですよね、さすがに。
「痛い痛い! クロリア待って、そんなに引っ張っても抜けないから!」
「くっ……う~~~!」
べし、と背中を全力で叩かれてしまった。
ぜえはあと息をするクロリアに尻尾をさすりながら尋ねる。
「なんだよ、急に怒ったりして」
てっきり勝手に取り締まったことを怒られるかと思ったのに。
「……お前が、異世界から来た奴だから。頭の上の耳と尻尾がないのはその象徴だからよかったのに! 本当にこの世界の人間になるなんて……」
「だ、だめなのかよ」
「……まあ。考えようによってはおさまるところにおさまった感じがするけどな。でも、この世界に馴染んだ末の選択が狼とは、つくづく魔界と縁のある勇者だよ。お前は」
タイをぐいっと引っ張って近づけた俺の額にでこぴんをして、クロリアは立ち去った。今日は他の話はもう聞かないとばかりに自分の部屋を目指して階段をのぼっていってしまったのだ。
やれやれ。ため息を吐く俺の尻尾にコハナが触れて、微笑んだ。
「歴代勇者の中でも狼になった勇者は一人もいなかったそうですよ」
「マジで?」
「くふ★ では今日はこれにて」
そばにいたコハナが目配せしてくるから頷く。クロリアのフォローはコハナに任せよう。
居間に顔を出して、ナコとルカルーが晩酌をしていたら一杯もらおう。
そんな軽い気持ちで居間に顔を出したんだ。
それがまずかった。
扉を開けてすぐそばにいたクラリスが俺を見て硬直した。
「え――……」
持っていたティーカップを落としたせいでクロリアとコハナを除いたみんなの視線が俺に集まる。そうして見開かれる。
「ちょ、ちょちょちょ、え?」
「お兄ちゃんに耳と尻尾がはえてるの!!!!」
引いてるクルルと大声をあげるペロリ。
予想通り晩酌をしていたナコとルカルーは二人して嬉しそうな顔をしていた。
対してクラリスはよろけながら俺に近づき、それから尻尾と耳を見て泣きそうな顔をする。
「スフレじゃだめですか?」
「いやいやいやいや! 選択式じゃないから! 自然に生えてきたものだから!」
「どういう基準なのです? どうして狼なの?」
ゆさゆさ揺さぶってくるクラリスの言葉に黙る。
いや、なんでだろうね。コハナに説明してもらったりルカルーに言われた言葉ほど強い何かをクラリスに言える自信が今の俺にはないよ。
「まあ……いいじゃないか。群れを守る気高き勇者の魂の形が狼だった、というだけだ」
どこか勝ち誇った顔をしているルカルー。珍しいな、あいつがああいう顔するの。
「くうう!」
悔しそうにルカルーを見てから、クラリスがすっかり拗ねた顔で「今日は寝ます!」と言って、ソファに寝転がって居眠りしていたレオを抱いて二階に行ってしまった。
ううん。嫉妬深いとこあるからなあ。猫じゃないのが許せなかったのかもしれない。すまん、クラリス。
はしゃいで喜ぶペロリを筆頭に、ルーミリア勢は概ね大歓迎の様子だった。
ルカルーとナコに招かれるままに晩酌を楽しんで、そういえばこういう時に酒が好きで好きでしょうがないクルルはどうしたのかと思ったら、いつの間にか居間から去っていた。
ルナの姿もない。珍しいな、あいつが酒呑まないなんて。
そういや今日はクルルの部屋で寝る晩だったっけか。
「すまん、そろそろ寝るわ」
「ああ……おやすみ」
「おやすみ」
ルカルーとナコに挨拶して、ルカルーのそばにある三つ子の籠を覗き込む。
三人ともすやすやと寝ていた。ルナとレオに比べたら、生まれたてのシラユキ、ミツキ、カレンの三人は眠っている時間の方が多い。
夜泣きで起こされることはないのだが、ルカルーがあやしてくれているのだろうか。
「タカユキ……大丈夫だから」
「ああ」
ルカルーに優しく言われて頷く。三つ子の頭をそっと撫でて、居間を出た。
二階へ上がってクルルの部屋の扉をそっと開ける。
ルナを寝かせたばかりのクルルがどきっとした顔でふり返った。
「な、ななななな、なにかなタカユキ」
「……何きょどってんの」
びくびくした顔でベッドの背に隠れて、クルルが俺を警戒する。
なぜなのだろう。さっぱり意味がわからないのだが。
とりあえず扉を閉めてルナの寝顔を確かめる。健やかに熟睡中だ。順調に育っていてほっとするな。
「ね、ねえタカユキ。やっぱりタカユキに寝室がないのはよくないと思うかな」
「急にどしたの」
「ほ、ほら。たまにはえっちなことしないで一人で寝たい夜もあるんじゃない?」
「別にそんなこともねえけど」
「あるの!」
「ええええ」
「ないと困るの!」
どういうこと。
「っていうか、クルル。あんまり騒ぐなって。ルナが起きるだろ」
「ううううう!」
唸られても。
やっぱりクルルのやつ、どこかおかしい。
気になって近づいてみた時だった。鼻腔に香る、嗅ぎ慣れたクルルの匂いの良さが何倍にも増して感じられたのは。
「――……」
「な、ななななな、なんで急に黙るのかな!」
びくびく震えているクルルに歩み寄り、その腕を取って引き寄せる。
すんすん、と匂いを嗅げば嗅ぐほど……今までとは比べものにならないほどたまらない香りが広がる。甘くて、芳醇な――……うまそうな匂いがする。
「いやいやいや待って待って、タカユキの目が肉食獣の目になってる! 待って!」
「クルル……うまそうだな」
「いやあああああ! 物理的に食べられるうううう!」
げしげし容赦なく足を蹴られるのだが、ちっとも痛くない。
そんなことよりも、今はただ……。
「クルル……」
「な、なんですか」
「……食べてもいい?」
「いやああああ!」
「いやいや、物理的にじゃなくて」
「うそうそだって涎出てる! タカユキ涎出てる!」
「……じゅる」
「いま啜ったもん! 絶対やだやだむり! 離して-!! おかされるー!!!」
「だめ? たまには……ルナも寝てるし」
「う、うう」
腕の中で身震いしながらクルルが涙目で俺を見上げた。
「……噛まない?」
「保証はしない」
ごめん、ほんとはむりそうだ。
白くて綺麗なお前の首筋、めっちゃうまそうに見えるんですよね。
「やだやだやだ! 今日のタカユキとしたら傷物にされる気がする!」
「いや……お前。結婚して娘出産しといて、いまさら傷物って」
「だって噛む気まんまんじゃない! 涎が隠し切れてないよ!」
「じゅるっ……いや、お前はいい女だったんだなあと」
「涎垂らしながら言われて喜ぶ女子はどの世界に行ってもいないかな!」
「ううん……とにかくお前を傷つけたりはしないぞ。これまでも、これからも。最初の夜からそれには気をつけてたつもりなんだけど」
「――……う、そ、それは、そうだけど」
ごにょごにょ言うクルルを抱き上げてベッドに下ろした。
「観念しなさい」
「……痛くしないでよ?」
こういうときに縋るようにこんな台詞を吐けちゃうお前だから、俺はどう足掻こうと優しくしたくなってしまうのだ。
燃えちゃう俺と、なんだかんだでその気になってくれたクルルが迎えたその日の夜。
ルナを起こさずに済んだかどうかは……まあ、敢えて言うまい。
つづく。




