第三十九話
久々に人間世界に出てきた。
常闇の街ルナティクの教会でルカルーとの結婚式を挙げるためだ。
俺たちの仲間たちだけでなく、ピジョウに来てくれた神父様を連れてくるのだから、日程調整はなかなか大変だった。三つ子もまだ小さすぎるからな。
そんな中、つつがなく式は終わり、ウェディングドレス姿のルカルーと三つ子を連れて俺は狼帝の墓を訪ねた。
それこそがルカルーの希望だったのだ。
歴代のルーミリアを治める狼たちを選定する狼帝に祝福をもらうこと。
即ち、強き狼であれという願いをかけてもらうことこそが、ルカルーにとって大事な行事の一つだというのだ。拒む理由はない。
二人でピラミッド型構造物の中へと進む。
なにも式を挙げた直後にその足で来ることはないと思うのだが、ルカルーは一日で済ませたいそうだ。新妻の希望ならば野暮は言うまい。
最初の旅で会った時同様に、狼帝はその巨体を横たえてすやすやと寝ていた。
恐る恐る呼びかける。
「なあ、じいさん。起きてくれ」
「んん……なんじゃあ?」
肘から先くらいはありそうな大きな瞳を開いて俺たちを睨む。
厳密には落ちた視力でなんとか俺たちを確認しようとしているだけなのだろうが……目やにとかすごいから不安しかない。
「どちらさんかのう……」
「えっと。前にお世話になった勇者と狼姫なんだけど、覚えてるか?」
すんすんすんすん、と鼻を鳴らしてから口元を歪めてじいさんは言ったよ。
「覚えておるわい……近頃はとんと訪問客が減ってのう。暇を持て余しておったところじゃあ」
するとのう、と呟いてじいさんは身体を重たそうに起こす。
「どうしたことか、昔を思い返してしまうわけじゃよ。ここにいると……感傷にふけって、老け込んでしまってのう。いかんなあ、と思っておった」
のっしのっしと地面を揺らす巨体を近づけて、その鼻先をルカルーと俺の抱くちび三人に寄せた。
「じゃから……まあ、覚えておった。そうか、そうか。子を成したか。ルーミリアの血は続いていくのう……」
嬉しそうに微笑むじいさんがじっと俺たちを見つめてくるから、俺は今日訪ねた目的を告げることにした。
「なあ、じいさん。あんたに祝福を授けてもらいにきたんだ」
「ええぞう……しかし、これが最後になりそうじゃ」
「え――」
急にそんなこと言うなよ。
戸惑う俺とどうしていいかわからず困惑するルカルーの前で、じいさんはゆっくりと腹を床につける。そうして深いにも程があるため息を吐いた。それは命が尽きかけている者特有の頼りなさを多分に含んだものだった。
「なに、そんな顔をするな……ワシが死んでも、ほれ。代わりの魂が墓から選ばれ、転生して役目を果たす。心配などいらんわい」
「そ、そうじゃなくて……あんた、死んじまうのか? とびきり偉くてすげえ狼なんだろ? ずっと生きてたんじゃないのか?」
「命ある者、いずれ死する運命よ……楔から解放されてはおるが……もう、飽いたわ」
ルカルーが俺の服の裾をぎゅっと握った。
いやだ、と訴える力加減に応えたい。でも、その術が浮かばない。
退屈に死を選ぶ原初の狼の帝を前に、口籠もる。
どうにかしたい。どうにかしないと。破壊神をどうにかしようってのに、このじいさんを死なす俺らにできることなんてたかが知れてるに違いない。
何より放っておけない。
なら、どうする。そんなの――……答えは一つしかないだろ。
「なあ、じいさん。飽きたってんなら……俺らの国に来ないか?」
「……ほう?」
じいさんがゆっくりと瞬きをして俺たちを見る。
「あんたを退屈させない。生まれたてほやほやで、至らないところばかりだけど。それでも……俺たちの理想郷を作ろうとしてる。じいさんも一枚噛んでみないか?」
「……ふ、ふ」
腹を震わせてじいさんが笑い声を上げた。
「魔界にでも連れて行くか? あちらの風俗に疎いわけでもないぞ……年寄りはわがままじゃ」
「連れていくのは魔界じゃないし、わがままならわがままなほどいい。アンタを満足させられない国にできないなら、破壊神さえ満足させられないからな」
俺の言葉にさらにじいさんが笑う。
「ほう……そうか。よりにもよって、破壊神ときたか……わしもあれの話は知っておる」
どきどきしながらじいさんを見つめた。
「どうだ。来てくれるか」
「……試金石にするか。わしを。お前は……心は既に、狼の姫と共に狼としてあるのだな」
その言葉にどきっとした。俺が……ルカルーたちのような気高さを持っているなんて。そんなの、言われたこともなければ考えたことすらなかった。
「よかろう……既に形骸化して久しい役目じゃ。お主についていくのも一興よ」
じいさんが顔を上げた。ルカルーが咄嗟に娘たちの耳を塞ぐ。
どうして、と思った矢先にまるでルーミリア中に響くようなとびきりばかでかい遠吠えをじいさんが放ったのだ。
耳がきんきんする中、じいさんの身体が光り輝く。それは人へと姿を変えていく。
背中の曲がった、ふっさふさの眉毛と髭のじいさんへと。
「新婚さんについていくのも楽しそうじゃのう」
「お、おう」
人になれるのね、と思いつつも頷いた。
「じいさん、なんて呼べばいい?」
「ふ……ただの翁でええわ」
「そうはいかねえだろ」
「そうじゃのう……」
顎から落ちたヒゲを撫でつけて、それからじいさんは俺たちの赤子に微笑みかけた。
「ルウ爺とでも呼んでもらおうかのう」
つづく。




