第三十五話
「いいですよ」
財政担当、淫魔だけど地味目のスーツで数字に夢中なミリアさんの反応は思いのほかよかった。
「……え?」
信じられないくらいよかったから、思わず聞き返したよね。いいの? って。
すると彼女は眉間に少しだけ皺を寄せて困り顔で言ったんだ。
「費用対効果が認められるものに関しては拒む理由がありませんから。法外な値段を要求されたら、国民の血税を使うべきではないとお断りしますけれど」
「少なくとも今回の値段はそうではない、と?」
「そうお見受けしましたが……違いましたか?」
い、いえいえ! 違いませんよ、と答えて財務省と看板のついた小さな小屋から出た。
各省庁といえば敷居は高いが、現実は小さな掘っ立て小屋の集まりである。
もちょっとちゃんとした建物を建てて割り当てるべき、という意見ももちろんあるのだが、ミリアさんが今はまだそんなお金はないと突っぱねているのだ。
国の威信がどうのという意見と真っ向から対立しているので胃がきりきり痛むのだが、まあしょうがない。確かにピジョウはまだまだ発展途上の、できたてほやほやの新興国に違いないのだから。
魔王やクロフォード、カナティアもこちらの足下を見たりはしないからな。関係者だらけの隣国のおかげというのもある。
いずれはそれで済まなくなるだろうが、今はまだ先送りするべき問題だ。
今の問題は、破壊神をどう歓待するのか、そして気に入られるだけの国にどうやってするのか。これに尽きる。
だから温泉掘りもなんとかしないとな。食ももちろん忘れちゃいけない。ルナの食育問題もあるわけだし。
そこいくとレオはそういう問題を聞かないな。
つうかそろそろ二人そろって一歳になる頃ではないか? ルカルーも出産を控えているし。
考え事をしながら歩いていたらとん、と胸に誰かの頭がぶつかった。
「へぶっ」
あわてて謝る。
「――……っと、わるい。だいじょうぶか?」
涙目になって尻餅をついていたのは見慣れないちっちゃな女の子だ。
その耳と尻尾は狼のもののように見える。となればルーミリア国民か、はたまた移民か。
「――っ!」
俺を見るなりあわてて立ち上がり、頭を下げるだけ下げて財務省へ走り去っていく。
なんだろう。あれ。
「タカユキさま!」
呼びかけられた方へとふり返ると、クラリスがレオを抱っこして歩いてきたところだった。
「リオとお会いになりました?」
「リオ?」
「いま、タカユキさまがぶつかった子です。ミリアさんの右腕として働いている子なんですよ」
「……ほお」
しらんかった。リオっていうのか、あのちびっちゃい女の子は。
他にも知らないだけで同じように働いている奴がいっぱいいそうだな。
いずれちゃんと挨拶する機会を設けた方がよさそうだ。
それはそれとして。
「レオを抱っこしてどうした?」
「ああ、いえ。ちょっとみなさんの様子を聞きがてらお散歩に来たのです」
「ふうん……よかったなあ、レオ。ママと散歩か」
くりくりした目で周囲を探しているレオの顔を覗き込んだら、
「だう!」
「いって!」
ビンタを食らいました。男はお呼びじゃねえんだよ、といわんばかりです。
おかしい。こんなはずでは。
「最近どんどん乱暴になってきて……ペロリにもこうなんです」
「えっ」
「あぅあ! あぅあ!」
むずがるように身じろぎをするレオをあわてて抱き直す。
けれどクラリスの抱っこが気に入らないのか、違うそうじゃないと声をあげるレオ。喋ってくれたらまだ意図もわかりそうなものだけど、如何せん言葉が不明瞭できつい。
「も、もう」
泣きそうになるクラリスを見ていられなくてレオをそっと抱き上げた。
「どうした坊主。うんちでもしたか?」
鼻をくんと鳴らして匂いを嗅ぐけど、うんちの匂いなんてしない。
確かめようと顔を近づける俺を嫌がるようにますます暴れるから、しょうがないのでやわらかい地面を探してそっと下ろす。
すると満足げに地面をべしべしはたき、はいはいで徘徊を始めた。
「あぅー!」
雄叫びまであげている。超ご機嫌じゃん。
「あ、あっ」
小石もあれば虫もいる。そんな地面をはいはいするレオを見ていられないのか、クラリスがはらはらしている。とはいえそうそう変な怪我でもするまい、と思ってしまうのはいけないことなんだろうなあ。
レオが怪我をしない内にそっと抱き上げた。
「あー! あー!」
「うちに帰ったらいくらでもはいはいしていいから、ちょっと我慢してくれ」
まだはいはいしたりない! という顔をしているように見えるが、すまん。ママが心配で倒れちゃうから。許せ。
「うちに連れて帰るわ。クラリスは用事を済ませてきてくれ」
「い、いいんですか?」
「いいからいいから」
肩に乗っけて落ちないように支えて、クラリスに別れを告げて歩く。
視点の高さが気に入ったのか、レオはひとまずあばれるのをやめたようだ。やれやれ。
街中を通って館を目指すんだが、道中で見かけた可愛い女子や綺麗なお姉さんをすかさず見つめるレオを見ていると……なんだろう。将来が不安。俺より欲望に素直じゃないか? まだ一歳にもなってないのに大丈夫か? 嵐を呼ぶ風雲児とかになりませんか?
まあ……強いて言えば。
「男の子は元気な方がいいな、レオ!」
俺の呼びかけなんて気にせず、小さな坊主は生徒を連れて空を飛ぶクルルをきらきらした目で見上げていたよ。
つづく。




