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第三十三話

 



「お風呂習慣?」


 執務室で見ていたファイルを持つ手を下ろして、発言者を見た。


「うん……だめかなあ」


 提案者はなんとペロリだった。

 風邪はもうすっかりいいのか、血色のいい顔で立っている。


「だめじゃないけど……そもそも何がしたいんだ? その、お風呂習慣ってやつは」

「えっとね。魔界には毎日お風呂にはいる習慣があるんだけど、人間世界はそうでもないじゃない?」


 ペロリの言葉に頷いた。

 スフレ王国の港町ハルブにあるような公衆浴場は未だピジョウ共和国にはない。

 そもそも建設しようという話すらない……わけでもない。温泉を掘ろうという案自体は随分前から出ていた。実現していないだけで。

 ルーミリアにも温泉街があったな。とはいえ、横道にそれたので話を戻すがペロリの言うとおり、人に毎日風呂に入る習慣はない。

 まあ建設中のホテルとか、民宿とかをはじめ、水道を引いてるのだから家によってはあるんだろうけどな。一般的ではないなあ。


「ペロリもこないだ、運動した後に入るようにしてたら風邪ひかずにすんだのかなーって。反省したのです」


 しょぼくれるペロリに唸る。ふむう。


「だから健康のためにも、衛生のためにも? お風呂が国に普及されて、みんなで入る習慣ができたらいいかなーって」

「なるほど……」


 書類をまとめてチェックしたままずっと黙っていたクロリアが咳払いをした。


「クロリア?」

「いいんじゃないか。正直……もっと早くやるべき施策だったと思うしな」

「わたくしも賛成です」


 クラリスまでもが声を上げる。

 まあ、そうだなあ。


「国が豊かになるための施策ではあるからな。別に問題はない」


 俺の言葉に顔を緩める女子三名。


「ただ……聞きたいんだが。温泉を作りたいのか? それともシャワーみたいなの? 風呂を各ご家庭に一つ設置したいの? どうしたいの」


 俺の問い掛けに三人揃って声高に言ったよね。


「温泉!」「お風呂!」「シャワー!」


 ……あいにく、内容ばかりは揃ってなかったけれども。

 思わず唇の端を引きつらせながら言いましたよ。け、検討しますって。


 ◆


 衛生省の担当官である長耳族のクロエさんと財務省のミリアさんの二人を会議室に迎えて、俺は頭を抱えていた。


「国からお風呂を作る工事の施工代を一部負担して浴場の普及を進めると共に、水道のさらなる設備拡充を。温泉の開発にもある程度の費用を投じていただければ、必ずやピジョウのお風呂事情は劇的に変わるものと思います」


 クロエさんは待っていました、とばかりに黒板に写真を貼り付け、これでもかと訴えてくる。

 対するミリアさんは眼鏡のツルを中指であげて一言。


「そんな予算は出せません」

「ぐぬぬぬ」


 クロエさんが助けを求めるような顔で俺を見てくるが、こればかりはなあ。


「目下ピジョウの予算は祭りの運用に向けて編成を組んでいる最中です。無駄遣いはできません」

「無駄じゃありません! お風呂は衛生面・健康面で国民の生活を向上させます! 温泉ができれば観光の目玉にもなります! 文化の発展に寄与するといっても過言ではありません!」


 領主さま、と名指しで助けを求められて唸る。

 クラリスもクロリアも、今回の議題は早急に死活問題に繋がるわけではないと判断して生徒である俺の行動を見守っているだけだった。

 判断を下すのは領主の仕事なのだし、俺がなんとかしなきゃいけないのだが。


「ミリアさん、そんなに予算なかったっけ?」

「少なくとも衛生省の無茶ぶりに応える余裕はありません」

「む、無茶ぶりじゃないです!」


 ちょ。ミリアさんナチュラルに煽らないで! クロエさん慌てて言い返すでしょ!


「ミリアさん、あなたも魔族の一人なら、お風呂に入らない現状を憂うべきでは!?」

「わたくし、毎日適切に身体を拭きさえすれば週一で構わないと考えている派なので」

「ふ、不潔です! 不潔!」

「垢は拭いていますし髪は流しています。香水も使っています……何か問題でも?」


 あ、ちょっと怒ってる。

 意外な迫力は攻めていたクロエさんが「な、ないです」と唸るほどだった。


「で、でも! 仕事終わりにあっついシャワーを浴びると一日の疲れも流れるというものですし、健康にもいいと実証データも取れています! クロリアさまあ、なんとかいってくださいよう!」

「お前は軍にいた頃から何かと私に頼りすぎだ」


 渋々立ち上がったクロリアが咳払いをする。


「ミリアは風呂には入れずとも身体を清潔に保つ努力をしているが、ピジョウに移住してきた多くの人や魔物はそうもいかない。衛生的に問題がある状況下をながらく放置していたら、いつか好ましくない伝染病が広がる可能性もゼロではない」


 つまり予算をだな、と遠回しに要求するクロリアだがミリアさんは素っ気ない。


「だとしても早急な対策が必要でしょうか。求められる予算をお支払いすると、どこかに悪い影響が出てしまいますよ?」

「それを最小限に留めたり、影響が出ないようにやりくりをするのがお前の仕事だろう? 頼むよ」

「……タカユキ様はどうお考えなのですか?」


 クロリアの要求に短く息を吐いたミリアさんの視線に悩む。


「国のためになるから風呂問題は解決したい。異世界に温泉は相性がいいからな、旅行客も喜ぶし……観光の目玉になるのは間違いないと思う」


 それに。


「毎日仕事前に起きたてのシャワー、仕事終わりにあっつい風呂なんてのは贅沢だけど……それくらい住んでるみんなに根付いていい文化の一つだと思う」


 だからぜひ、お願いしたいんですが。


「……人間世界の東洋の言い伝えにありますような打ち出の小槌はピジョウにはございません。金策にお付き合いいただいても?」

「押しつけてなんとかしろ、とは言わないよ」

「かしこまりました」


 しょうがねえなあ、と書いてある顔でしぶしぶ立ち上がり、黒板に文字を記していく。

 さしあたり、それがミリアさんの中での許容ラインなのだろう。

 なんだ、すでに考えてくれてたんじゃないか。このクーデレさんめ!

 それっぽっちですか? などというクロエの顔は浮かないが、こればかりはしょうがない。


「クロエ、魔界の浴室製造会社に話を付けろ。交渉は私がやってやる……クラリス、温泉掘りについては頼むぞ」

「かしこまりました」

「さあ、今日もばりばり働こうか!」


 立ち上がるクロリアにクロエが笑顔でついていった。

 資料をまとめるクラリスを見守っていた時だった。

 すんすん、と鼻を鳴らす音がして見ればミリアさんが肩口の臭いを確かめている。

 なにかわいいことしてんの。


「私、不潔に見えます?」

「いや、まったく」


 なあ? と同意を求めるまでもなく、クラリスもにこにこ笑顔でお綺麗ですよと頷いていた。


「まあ、でもそうだな……みんなお風呂に入ってもいいかもしんないな」


 衛星不衛生って意味だけじゃなくてさ。

 二回目の旅でみんなで風呂に入ったのは、あれで結構楽しかったから。




 つづく。

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