第二十九話
俺は引きつった顔で勇者の胃袋の前に立っていた。
隣には魔界でも人気の淫魔アナウンサーのリンさんがいて、カメラと音声さんの集音マイクとリンさんのマイクが俺に向けられている。
「それではぁ、オーナーでもあり領主でもあり勇者でもある、タカユキさんにご紹介いただきましょう! こちらのお店はなんですかぁ?」
むに、と押しつけられるリンっぱいに強ばりながら、
「こちらは共和国でも人気随一の食堂です。どうぞ中へ入って下さい」
噛まずに言えた。
実はリテイク何度も出している俺です。これにミスってたらクロリアかクラリスにバトンタッチするところでした。
食堂の中へ誘導したらリタさんが魔界に流れる番組のためにレポートをするので、あとはグスタフの元へ案内して終わりである。
キッチンで忙しく働いているスタッフたちだが、グスタフは構わずにリタの応対をした。
さすがに大人の男で肝が据わっている。
取材を受けても動じないグスタフを見守りながら、撮影圏内から外れた。
あとはリタさんが飯を食べてうまいと褒めちぎり、グスタフと俺がコメントを言って終わりという段取りだ。
ちゃきちゃきと進められていく収録を眺めながら内心で思う。
もっと店の宣伝したいなら魔界の番組収録を利用しろ、というクロリアの提案で始まった今回の機会だが、それはいい。
問題は店の改築などだ。グスタフから提示された要求書の内容を思って頭を抱える。
収録を見守るコハナ。
彼女のような給仕長がいれば助かるという記載があった。
なるほど、コハナが食堂を切り盛りすればもっと店は繁盛するだろう。彼女はできる死神メイドだからな。
でも……じゃあ、なんで俺はこんなにもやもやしているんだろうか。
考えている間に収録は無事終わった。
放送が好評だったら是非次回もよろしくお願いします、という関係者の挨拶に快く返事して見送る。
去り際、グスタフに肩を叩かれた。コハナの件を考えておいてくれ、というのだろう。
さて、こまったな。
もやもやの正体がさっぱりわからないんですけど。
◆
寝台の上でコハナが寄り添っている。
「今夜はなんか……気もそぞろです?」
彼女の寝室だ。
「日頃の疲れが出ちゃいましたか?」
耳元で笑い声をこぼす。
くすぐったい。
むずがる俺の髪を撫でてくれる。彼女の手つきはとびきり優しい。
なにもせずにいられる時間。それはかけがえのないものだ。
子育てが始まってからは、全体的にそういう空気は薄らいでいて。
ただ寝そべることの贅沢さがな。すごいの。ほんと。
「どうしたんですか?」
コハナとただのんびりするだけ。
なのに、こうしているのがたまらなく心地いい。
溺れそうなほどに。
けどなあ。
「食堂で働かないかって……グスタフがお前を雇いたいらしい」
「あ。浮気の心配です?」
嬉しそうに笑うなっつーの。
ちょっとだけ図星だった。
グスタフはできる男だ。色気もあってかっこよくもあるから。
「大丈夫ですよ、グスタフさん女の人より男の人の方が好きですから」
「えっ」
「冗談です。彼は奥さんいますし、食堂の人はそういう遊びはしない人だらけですから大丈夫」
身体を起こしたコハナが俺の顔を見る。
弄るつもりかと身構えたが、違った。
微笑みに慈愛を感じる。それがむしろ恥ずかしい。
「あれだけ可愛い子や綺麗な……できる子だらけを集めたのにそんな話はないんだから、安心してください」
俺の頬に両手を添える。
「ね……コハナはあなたしかいりませんから」
コハナの頬に手を伸ばす。
「せっかくのふたりきりなんですから。もうすこし、浸らせてください」
希う声と導く手に背中を押されて、求める気持ちのままに唇を重ねる。
「ん……」
嬉しそうに声を上げて、俺の上にしなだれかかった。
「いやなら言ってくれればお断りします……だから今は」
愛してと囁いた彼女が唇を塞ぐ。
求められるままに重ねた唇で感じる彼女の熱は、彼女の思いの熱も湿度も教えてくれる。
コハナの夜だけはいつだって変わらず蕩けるように過ぎていく――……。
◆
朝、目が覚めるとコハナが幸せそうな顔をして俺を見つめていた。
「おはよう……く、ぁあ!」
欠伸を放つ俺すら楽しそうに見つめている。
「お部屋に来てくれる日は独り占め。あなたは貴族のような暮らしをしてますよ? 自覚あります?」
鼻をつついて、それだけで足りずに甘噛みしてくるコハナに口づける。
「ルカルーさまとの式のこと、次のお祭りのこと。他にもコハナの就職についてまで、頭を抱えてるようですけど」
額にキスを落として、それだけで足りずに首筋に顔を埋めてくる彼女を抱き寄せる。
「へこたれそうな時はいつでも言ってくださいね? どこへだって一緒に逃げますから」
「……さすがは死神」
それをやったら大勢に恨まれるんですけど、それは。
「くふ★」
冗談です、と囁く彼女が首に腕を絡めてきた。
「朝の執務まで……まだ時間がありますから」
もうすこし愛を感じさせて、と囁く彼女を抱き締めた。
コハナは求めていたんだろう。長い間、一人で待っている間に。
応えたいし、離す気もない。
彼女とならどこまでも。
そうは思うが、もちろん逃げる気はないし逃げられないので一つずつ片付けないとな。
つづく。




