第二十話
クルルが真っ先にクラリスに錬金術でのアプローチを試み始める話し声を聞きながら、俺はクロリアに視線を移した。
うちの実務兼実働のルカルーとナコは食事を終えたペロリを連れて退散した。
ペロリはどんどん美しくなっていくし、歌うし踊るしでマジでこの国のアイドルに成長していっている。
ルカルーとナコも決して引けを取らないからな。あちこち回る役目を頼んで久しい。
なのでそれはそれとして。
「次の祭りって言ってたけど、クロリアは何か計画はあるのか?」
「やっとその話ができるのか。コハナ」
「はぁい」
食器を下げに行ったコハナが歩調を早めた。廊下からがらごろと車輪の回る音が聞こえる。
運び込まれたのは魔界製の黒板だ。
紅茶を飲み干したクロリアが立ち上がり、チョークを手に黒板に文字を記していく。
魔界の文字だが、日々の訓練で覚え込まされていたので読むのに問題はない。
書き記されたのは、
『祭りの目玉がないとそろそろ苦しい』
だった。
「どういうことだ?」
「魔界のテレビ番組を見てもらっていたらわかると思うんだが。基本的にコンテンツってのは消費されるものなんだよ」
……どうしよう。この時点で俺の理解を超えてきたんだけど。
「……ほう」
「わからないならわからないって言えよ。恥ずかしいことじゃないし、領主のそれは放置できないんだ」
ジト目で睨まれて素直に両手を掲げる。降参だ。
「すみません、わかりません」
「よろしい」
決して怒らず優しく微笑む彼女の器は大きい。
「基本的に何か、提供されるものがあったとして……そうだな。勇者の胃袋を例に出そう」
チョークで記される、共和国自慢の一番巨大で一番美味い飯屋の名前が書かれた。
「共和国を興す前にみんなの食堂として機能していた店だが……繁盛した理由はなんだ?」
「そりゃあ……一つしかなかったからじゃないか?」
「その言葉の意味をよく考えてみてほしいんだ」
クロリアが高速で文字を記す。けれどそれは乱れなく美しい。
『食堂に行くみんなは満足していたか?』
「そりゃあ……満足していたんじゃないか? 美味かったし、それはずっと変わらない」
俺の言葉に満足げにクロリアが頷いた。
「じゃあ……毎日同じメニューだったか?」
「それは、ちがう」
「つまり?」
「……毎日、違うメニューだった」
「それだけか? 他に気づくことはないか?」
クロリアの瞳が煌めいた。
ペロリと大して変わらない歳なのに魔王として君臨した彼女は年齢からしてすごく博識だ。俺の教師役として教鞭を振るってくれることがままある。
俺にも理解できるように話してくれるからわかりやすいんだが、基本的にだらけるとすげえ怒るからな。こちらも真剣に答えなきゃならない。例えば今がその時だ。
「……人と魔物が集まるたった一つの食堂で、みんなが満足していた」
「それは、つまり……どういうことだと思う?」
難しいこと聞くなあ。
「答えは一つじゃないと思うんだが、えっと……」
「思いついた言葉を並べてみろ。否定せず、思いつくままに」
「ええ? そうだな……みんなの期待に応えた。応え続けたから……満足を勝ち得ていたんじゃないか?」
「どうしてそう思う?」
ううん。つらい。
クロリアの教え方は基本的に相手に考えさせるものだから、聞いているだけじゃ済まないところがつらい。けれど逆に言えば、眠気を覚える暇もない。
余計なことを考えている暇もないな。
「相手の要求と自分たちが提供できるものの妥協点を知っていた、とか?」
「お前は無自覚に面白い返しをするな。どうしてそう思う」
褒められるとくすぐったいな。
「だからさ。人と魔物って枠組みにしなくてもさ。人ってだけで考え方が違う奴らの集まりだ。そういう意味では人と魔物で区別して、区別の線を増やしていてもしょうがないと思うんだが」
腕を組んだクロリアが人差し指で腕を叩く。早く結論を言え、の合図だった。
「客って視点で見てもみんなの好みはばらばらだ。不満を持つ点も違う……よな?」
恐る恐る確認するとクロリアは頷いてくれた。けれど何も言わずに視線で先を促してくる。
「そして食堂にある食材も、提供する側の技術にもばらつきがある。その妥協点を常に模索し続けて、落としどころをうまくつけることができたから満足に繋がった……ってのはどうだ?」
どきどきしながら彼女を見たら、コハナに視線を向けた。どう返す? と聞いているかのように。
「二つ、考え方があるんです」
片付けの手を止めたコハナがクロリアの隣に立って説明を始める。これもクロリアに教えてもらう時によくある光景の一つだ。
「加点を逃さないこと。それはどうやって成し遂げられると思いますか?」
「……ええと」
すまん、さっぱりわからない。
「不満を捉えるんです。みんなの潜在的なマイナスを如何に捉えるかが大事なんです」
「潜在的な……不満」
「誰しも不満を……言い換えましょう。不満に隠れた要求を持っています」
「隠れた要求……」
イメージができない。
「料理で言えば、しょっぱいものが食べたかったのに。スイーツが食べたいなあ、とか。毎日カレーは勘弁だ、とか思いません?」
覚えはあるな。
「そう思う相手に不満の逆のものを渡したらどうなります? しょっぱいものが食べたかった人に、望みの料理をあげたら?」
どう? と微笑むコハナに素直に返すよ。
「そりゃあ、喜ぶんじゃないか?」
「ですよね? たとえば最近ご奉仕プレイされてないなあって不満を潜在的に抱えるあなたに、コハナがご奉仕プレイをすると……それはもう、大ハッスルです」
やめて! 嫁二人の耳が! 獣耳がこっちに向いてる!
「今、コハナが口にした言葉によってクルル様とクラリス様の心の中に不満が産まれました。旦那、私にももっとハッスルできるのでは? と」
なんという実演! 恐るべしは死神よ!
「そんなお二人と夜を共にするあなたが、全力で二人を喜ばせたら? 満足していただけるんじゃないでしょうか」
「そ、その話はよそう。掘り下げるの怖い」
「今のあなたの返しもそうです。自分に不利益があるかも、と思った時、不満と要求が産まれます。実は……それを利益に変える手段がだいたいにおいてあります」
はらはらしながらも素直に聞く。あらがうと長引きそうだしな。
「都合と手段さえ用意できるなら、誰かの不満は満足に変えられるんです」
つまり。
「あなたが奥さん二人の肉欲を叶える手段さえあれば、奥さん二人は大満足です」
「こ、コハナ、俺なんかしたっけ。笑顔で教えてくれてるけど、俺は怒られている気がする」
「さあ、私の不満はなんでしょうか? もしかしたら、破壊神騒ぎの時のプロポーズの続きが未だにないことかもしれませんね」
それでは、と微笑んで立ち去っていくコハナ。
そして俺を凝視してくる妻二人。
非常に胃によろしくない。
「……いつか増えるとは思っていたけど」「遠くない未来になりそうです……」
「ていうかルカルーはどうするの? もうそろそろ産まれそうだよ」「責任は取るべきです……」
二人の囁き声に咳払いをしました。
「やるから。ちゃんと!」
「「 なにをする気……コハナを孕ませるとか? 」」
「責任の話だっつうの!」
言い返す俺にはいはい、と二人は頷いて、赤子を抱いて出て行った。
ふう、と息を吐いてクロリアに視線を戻す。
「おさらいをしよう」
彼女は呆れも怒りもせず、ただ真剣に俺に伝えてくれる。
「潜在的な不満を捉え、如何に満足に変えるかが重要だ。それを怠れば、たった一つの食堂だってもちはしなかった」
「なるほど」
コハナの実演でだいぶ身に染みたので、それは理解した。
じゃあ……問題は。
「祭りに対する不満ってなんだ?」
「マンネリだよ。見ている者にとっての目玉が足りない……それが不満だ」
そう結んだクロリアに唸る。
なるほど……祭りの仕掛けが足りないのか。
参加に焦点を絞りすぎたのかな。
「他にもまあ不満はあるが。一つ一つ議論を重ねていくべきだ」
「わかった。じゃあ午後はその打ち合わせか?」
なにをいっているんだこいつはって顔をされた。
「お前ばかか。領主の仕事は山ほどある。他にも不満が目白押しだ。満足に変えるためにきりきり働くんだよ」
「……うす」
マジで休みねえな。日常は確かに帰ってきたけど、それを軌道に乗せるためにはまだまだ頑張らなきゃいけなそうだ。
やれやれ……やってやりますか!
決意と共に立ち上がり、ふと気づいた。
「……もしかして、潜在的な不満ってやつ、コハナだけじゃなくてルカルーも抱えてんのかな」
クロリアを見たら、彼女は困った顔で俺を見た。
「逆に聞きたいんだが。身ごもって子を産もうとしている女が不満を抱えてないと、本気で思うのか?」
で、ですよねー!
「腹が大きくなっているのに文句も言わず、健気に国に尽くして仕事をしているんだ。普段のあいつを見ていると忘れがちだが、あれでも帝国の姫だぞ?」
「……そ、そうだよな」
あいつは群れの……仲間のために尽くせてしまう強い奴なのだ。ついそれに甘えてしまうが、それでもあいつは女の子なのだ。俺の子を産もうとしている……大事な子だ。
「少しはマシな顔になったな。一時間ほど時間をやる。話してこい」
「助かる!」
クロリアに礼を言って、俺は走りだした。
ここ最近、まともにルカルーと話せていなかったからな。
もっと大事にしないと。
つづく。




