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第十九話

 



 クルルとクラリスが飯を作っている。

 何が起きているってクルルとクラリスが飯を作っているんだけど、俺は唸らずにはいられなかった。

 クラリスはいい。


「ふふっ。お城にいた頃を思い出します。よく作ったんですよ?」


 とか言っちゃって、エプロン姿で楽しそうに野菜を刻んでいる。いかにも新妻! 実によし!

 だから問題はもう一人だ。


「ふふ……ふふふふふ……」


 笑い声の質が違う!

 天使に近づいた天才魔法使いがおたまでぐるぐる回している鍋から、どす黒い瘴気が出ている。


「な、なあ、クルル。それ……どうするんだ?」

「ルナに食べさせるの」

「……うん」


 そっと隣に並んで鍋を覗き込んでみた。

 青い。鍋の液体が青い。透き通っているわけでもない。めちゃめちゃ濁っている。白い泡が弾けるたびに黒い瘴気がもわぁって出る。


「……これ、」


 食えるのか? と言いたい気持ちをぐっと堪える。

 間違いなく素直に聞いたらケンカになる。目に見えている。


「うまいのか?」

「ママがよく作ってくれたの」

「……で、うまいのか?」

「魔法使いになるための身体作りなの。身体の回路を開いて印を刻むための下地を作るんだよ」

「うまいのかって聞いているんだが」

「……ふふ」


 なにその笑い方! やめて! 素直に笑ってくれたらいいのに!

 クラリスも触れてこないよ! お前があんまり真っ黒だから!


「……これはね。私の家系に生まれた者のさだめなの」

「ちょっとどうしたの! なにお前闇落ちしてるの! そんな子じゃなかったでしょ! やめてあげて! ルナまだ幼いし、俺たちの子でしょ!」

「だからだよ! まったく、なに言ってるのかな。この頃から慣れさせておかないと後々大変なんだよ? こんなものじゃないからね……うちの家の魔力開発料理は」

「待って、ねえ待って! お前はルナをどうしたいの! クラリスみたいにきゃっきゃうふふな料理はできないの!?」

「わかってないなあ。才能は育てた過程の積み重ねで生み出されるの」


 天才魔法使いの発言の重み。


「無自覚に発揮される限界値を越えた能力がどうのなんてね、何もないところからどれだけ積み重ねるか見てないか意識したことがない奴の戯言かな!」


 妙に断言するな。魔法使い時代に苦労したのかな……。


「それにね。魔法を唱えるの。アクテューネ・エリシオス!」


 クルルの指が光った途端、青く濁った鍋の色が瞬く間に透き通ったコンソメスープの色に!


「おいしいよ?」


 おたまをすくって口元に運ばれる。

 娘が飲むかもしれないと思ったら、後に退けない。そっと一口飲んでみたら……悔しいくらい、うまい。うまいんだが、なんだろう。青く濁っていて、黒い瘴気が出ていた状態を知っているから怖い。


「……魔法調味料。マジカルクッキングですか」

「なんて?」


 きょとんとするクルルに頭を振って、それから尋ねた。


「これ……身体に悪くないのか?」

「強くなるよ?」


 そう言いながらもクルルが視線をあらぬ方向に向けた。


「おい、いま露骨に目をそらしただろ!」

「私を越える魔法使いに育てたいの! これはいわば登竜門なの!」

「だからってお前、身体に悪いもの食べさせたらだめだろ!」

「悪くないもん! 強くなるだけだもん!」

「嘘つけ! さっきごまかしただろ!」

「妻の言うことが信じられないってわけ!? はぁあん、そうですか。ふうん、タカユキはそういうこと言うんだ……」

「な、なんだよ」

「おいしくなかった?」

「くっ、卑怯な! うまいかうまくないかで言えばうまかったけれども!」

「じゃあいいじゃない! おいしいし強くなるのが事実だよ!」


 言い合う俺たちを横目に、クラリスがぼそっと呟いた。


「日常って感じですね」

「だう……」


 背中にいるレオがダウナーな返事をしたのでした。なにやってんのかね。


 ◆


「さて、次の祭りに向けた準備なんだが……なあ、ちょっと」


 食卓にクロリアの居心地の悪そうな声が響く。

 けれど俺とクルルは仏頂面だ。ちなみにルナはクルルが作ったスープをおいしそうに飲んでいる。


「……ちっ」「……ふん」


 苛立つ気配を敏感に察しているのか、ちょっとの時間も利用するべく議事を進行するクロリア以外の仲間たちは黙々と食事を続けていた。


「……クラリス、どうにかしてくれ」

「レオ-、ママの料理はおいしいでちゅかー?」「だう!」

「ペロリ」

「みんな仲良くしたらいいと思います」


 ペロリの言葉に俺とクルルは顔を見合わせた。

 しかしクルルは黙々とスープをルナの口に運び続ける。


「小さい頃から食事療法とかやりすぎじゃね? のびのび育てるべきじゃね?」

「なにいってるのかな。子供の可能性を広げるのは親の仕事かな。ルナがしたくなくなったら無理強いするのはよくないけど、これはあくまで食育かな」

「「 ……ちっ 」」


 苛立つ空気が増す。


「ぺ、ペロリ」

「んー。これは無理ですね」


 ペロリが匙を投げた。弱り切ったクロリアが渋々俺たちの仲裁に入る。


「な、なあ。いつもならもっと歩み寄るだろう? 子供のことで譲れないのかもしれないが、妻と旦那がケンカをしてどうする。子供のためにならないだろう?」

「俺はルナのために言ってるの」「私だって同じかな!」

「「 ふんっ! 」」

「ああもう! コハナ、何とかしてくれ!」


 クロリアも白旗を振った。


「そうですねえ……コハナ、思うんですが。勇者さまはこの世界の魔法使いの子供の教育をご存じないですよね?」

「……知るわけねえな」


 ぶすっとしながらも答える。


「魔法を使うための印を身体に刻むんだったか? プリスさんは悪魔と契約とか言ってた気もする」


 クルルの母親、ってことはつまり俺の義理の母でもあるプリスさんもまた魔法使いだ。

 前回の旅を終えて出会った時に聞いた彼女の話からは、あまりよくわからなかったが……魔法使いってのがただ息をするように魔力だの魔法だのをどうこうしているようには見えない。

 何せ出会った頃のクルルは魔法を使う度に発情するなんていう厄介な呪いを持っていた。


「めんどくさそうだなあ、とは思う」

「めんどくさいってなに! 私とママとルナの個性なんですけど!」


 ケンカモードになると人はめんどくさくなるな。クルルだけでなく、今の俺も相当めんどくさくなってそうだ。クルルが過熱すればするほど、逆に冷めてくな……反省しよう。一緒になって熱くなってどうすんの、俺。


「まあ……それはそうだ。俺が悪かったよ」

「……わかればいいけど」


 矛を収めた途端にクルルが調子を崩したように、不満げながらも掲げた矛を下げた。


「お互いに否定するんじゃなくて。批判精神でいきましょう」

「コハナ、それは……何か違うのか?」


 思わず尋ねた俺をクロリア、クラリス、コハナが揃って呆れた顔で見た。

 くっ……うちの知恵者チームから一斉に! 地味にショックなんですけど!


「コハナが簡単にざっくり説明しますと……否定は相手の言葉を打ち消すものです。批判は相手の言葉の意味を捉えて、相手の望む達成地点に至るためによりよい改善策を述べることです」

「まあ……他にも意味はあるが、今回はそれでよさそうだ。つまり、子供の教育をどうするべきか、お互いにお互いの考えを理解して、よりよく達成するために案をぶつからせるんだ」

「よりよい批判にするなら、よいところはどこか。相手の不満は何か。きちんと捉えて、理論的に改善策を述べるのがよろしいかと思いますわ」


 コハナが説明し、クロリアが方針を打ち出して、クラリスがどう話すべきかまとめる。

 うちの仲間の話し合いも流れができてきたなあ、とぼんやり考えながら俺はクルルを見た。


「じゃあ……まず前提から話していくか。クルルはルナを魔法使いに育てたいんだよな」

「まあね。ママも、おばあちゃんも、そのまたおばあちゃんも。うちの家系の女子はみんな魔法使いだもん。それもただの魔法使いじゃない。天才魔法使いだよ」


 否定はしちゃあだめなんだよな。なら、まずは……そうだな。


「クルルが魔法使いに育てたい理由はわかった」


 相手の発言を受け止める。その上で、


「……でもそれってそもそも、家系だからで決めるべきことか? ルナがなりたいのかどうか、その意思が肝心じゃないか?」


 質問を返す。どうだ? 内心ではらはらしながらコハナを見た。笑顔で頷いているから、やり方は間違っていないようだ。


「うっ……だ、だって! そういうものなんだもん!」


 ぐぬぬ、という顔をするクルルが言った瞬間、コハナが咳払いをした。


「こほん。否定はだめですよ」

「わ、わかってるよ! 私だって学問を修めた身だもん!」


 形勢が傾きそうだ。

 慌てたクルルが呼吸を整えて、腕を組む。


「世襲制はスフレの伝統かな。ですよね? クラリスさま」

「ええ。親の仕事を引き継ぐのは、別におかしな話ではありません。むしろありふれたことです」

「ほらね?」


 我が意を得たりと頷くクルルがびしっと俺に指を突きつけた。


「つまりルナが私の後を継ぐのは別におかしいことではありません!」


 む。スフレ王国にとって当たり前の事実を持ち出されるのは苦しいな。


「こ、ここは共和国だ。スフレじゃない」

「んー。それは苦しいですね」

「なんでだよ、コハナ!」

「落ち着いてください。確かに勇者さまの仰るようにここがスフレでないことは事実ですが、だからといって世襲制についての議論にはなっていません。肝心なのはここがどこかではなく、世襲制についての議論では?」

「う……」


 コハナの指摘に唸る。


「確かにな。共和国では世襲制にするべきかいなか、という議論もされたことがない。これは国の問題にも直結している。ぜひとも議論してもらいたいね」


 クロリアまで……!


「ふふん」


 クルルがどや顔をする。くっ……!

 でも確かにそうだ。争点はここがどこかじゃない。世襲制の是非だ。

 そこを崩さないと、ここがどこか議論をどう持っていっても結局は話が世襲制の是非に行き着いてしまう。クルルにとってはそれが当たり前なのだから。

 なるほど。頭ごなしに否定しても話は進まないな。しかしこいつは難問だ。


「なあ、クルル。素質の有無とか、そういう話をしても数値となって目に見えるものじゃないから、それはよさないか?」

「ルナなら絶対素質はあるけど……いいよ。何について話すの?」

「そうだな……」


 わざと間を作りながら必死に考える。

 材料だ。材料が必要だ。この状況を変えられるだけの何か。

 基本的には会話と料理が主体だ。

 料理は使えない。今はまだ、ケンカにしかならない。飲ませるな、やだ飲ませる! って話にしかなりそうにないからだ。それに発展性はない。

 だから会話だ。何か、何かないか。

 今日のクルルの発言から、何か使える切り札は……待てよ。


「今日、ルナがしたくなくなったら無理強いするのはよくないって言ったよな?」

「そ、それは……言ったけど」


 クルルの顔が苦しそうに歪む。


「つまりお前は、世襲制をルナに押しつけるのはどうかな? って……考えてないか?」

「うっ」


 お。これは効果ありか?


「それはなぜだ?」

「……そ、それは」


 クルルが喘ぐように口を開閉させた。


「……ま、魔界のテレビを入れたじゃない?」


 視線を逸らして語りはじめた。


「まあ。クロリアの勧めでな。祭りを放映するからには、俺たちもその文化を取り込む意味で確かにテレビを入れた」

「……で、最近ね? やってるの。どらま、っていうの? かっこいい雄のスライムときれいな人魚が出てくるやつ」

「ほう」


 雲行きが読めなくなってきた。怪訝な顔をするのは俺だけじゃない。みんなの視線がクルルに集まっていく。


「なんにでもなれるっていって、だけど偏見に晒されてね? お前はスライムだから絶対にシェフにはなれないとか、あなたが歌うとみんな寝ちゃうから歌姫にはなれないって言われるの」


 それは、その……まあ、そうな。スライムが料理したら、身体の液体が料理につきそうでいかにも不衛生だもんな。


「だからスライムは特訓して表面を固める技を手に入れてシェフになるし、人魚はらっぷ? に目覚めて音楽で戦うの」


 ……ちょっと気になるな、そのドラマ。


「そんな風に、みんな好きなのがあって、全力で打ち込むのが一番幸せなんじゃないかなーって……ちょっと思って」


 待った。クルル、これもうほとんど白旗あげてないか?


「わ、私はママに憧れてたし、なりたくてなったけど。ルナがそうかはわからないから……その」

「それで……つい、食育って言ったんですか? 許されると思って」


 気分はほとんど、犯罪を自供する容疑者に話しかける検事だった。


「で、出来心だったんです!」


 おいおい。


「お前他にもテレビいろいろ見てるだろ。影響出てるよ!」

「うっ……じ、実は面白くて寝そべってずっと見てます……」


 残念ぶりがいかにもお前らしいな! もう!


「世襲制の議論にもならなかったな……」


 クロリアの嘆きが聞こえたが、それに触れる元気はねえなあ。

 そっとため息を吐く。


「身体に悪いものを飲ませるのが俺は気に入らないんだ。魔法使いになるために必要なら……それはわかった。だから、なんていうか」


 喋れば喋るほどにクルルが泣きそうな顔をするのがつらい。

 お前そういう角度で攻めるのやめてくれ。ずるい。どこまでいっても俺にとってお前は可愛いからさ。俺、勝てないから。それには。


「身体にいい料理にできないのか?」

「ええ? 代々伝わる料理法なんだけど」

「そう言わないで、クルル……頼むよ」

「う……」


 じっと見つめる俺にクルルの顔がしゅんとした。


「そこさえ改善できるなら、食事で身体作りをするのも全然やってくれていい。クルルが可能性を広げたいっていうのもわかる。ルナが嫌がるならやめるって決めてるなら、それでいい」


 クルルの方針でも構わないとも思う。ルナのことを考えているのはわかったから。テレビドラマ切っ掛けっていうのがちょっと引っかかるけど、まあ……人生、なにが切っ掛けになるかはわからないからな。


「……ううん。そうだなあ」


 クルルがルナを見下ろす。

 くりくりした目でクルルを見つめるルナの視線にクルルの顔が緩んだ。


「教わったことをただやるっていうのも芸がないね。親を越えてかないと。子供ではいられないか……私はルナのママだもんね」


 ふう、と息を吐いたクルルが頷いた。


「わかった。やってみる」

「頼むよ、天才魔法使い」

「任せてよ!」


 笑顔で胸を張るクルルを見て俺は思わず微笑んだ。

 なるほどな。頭ごなしに否定せず、評価し、受け入れ、歩み寄り、相手の目指す先への改善点を模索するか。

 譲歩する姿勢を見せられたら、まあ……怒り続けるのは難しいな。理解を示す相手に石を投げ続けるようなタイプは、少なくとも俺の仲間にはいない。

 この話し合いに意義はあった。少なくとも俺は勉強になったし、ルナの教育の方針が一つ固まったな。よしよし。


「なんかこういうのいいね」

「さっきまでケンカしてたとは思えないけどな」

「ほんとかな!」


 あっはっは、なんて脳天気に笑った時でした。

 仲間たちが一斉にため息を吐いたんですよ。


「最初からそうやっていてくれるといいんですけど」「まったくだ」


 笑顔のコハナにクロリアが渋い顔で頷くんだよね。

 みなさん、ほんと……夫婦ゲンカに付き合わせてすみません!




 つづく。

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