第十七話
名前が呼ばれた気がした。
ひどく頭が重くて、瞼も開けられないくらいにだるかった。
「――ユキ、タカユキ」
女神の声だ。
「敵は焦ってる。だからこそ……つけいる隙がある。これがクライマックスだよ」
けれどどこから聞こえているのかもわからない。
「いい? 破壊神がいる限り、また女神もいるの。あれは女神の影。だからどうか決意を抱き続けて」
どこにいるんだ。いるなら助けてくれ。
「忘れないで。あなたの名前には意味がある。復活の呪文、それはあなたのなま――」
不意に冷水を浴びせられてはっと目を開けた。
ルーミリア帝国、帝都、王城。
赤い光を瞳に宿し、その影に赤黒い魔力を宿した少女が俺を睨んでいた。
魔王クロリア。
共和国を築いた時の俺の右腕となってくれた、知恵と優しさ溢れる魔界の少女だ。
彼女の身体に影から魔力が流れてきて、クロリアが倒れ伏せた。
赤黒いそれは瞬く間に女神の姿へと変わる。
「ようこそ……魔王城へ」
声は女神と同じ。姿も。けれど中身が違う。
破壊神だ。
釘付けになりそうな視線を外して周囲を見た。ナコが倒れ伏している。そばにいるニコリスのぎらついた目が彼女を捉えていた。
「クロリア」
「呼ぶだけ無駄むだ」
「ナコ!」
「あーうるさい。止めても呼ぶならこうしよう」
ぱちん、と破壊神が指を鳴らした途端、ナコとクロリアの身体がひびわれて粉々に砕けた。それは光の粒になって弾けて消えてしまった。
「おきのどくですが このせかいから かのじょたちのきおくは きえてしまいました」
「――……、」
血の気が引いた。
ニコリスがきょとんとした顔で周囲を見渡して呟く。「あれ? なんでここにいるんだっけ?」
そんなのまるで、ナコが初めから存在していなかったかのようで。
「そもそも勇者とその仲間だけ生き返るのおかしいよね。死は誰にでも平等に訪れるから」
女神が手をかざす。
どこからか投写される映像には、港町に落ちた俺の腕を発見した仲間たちがいた。
「待っ――」
「おきのどくですが」
ぱちん。
「このせかいから かのじょたちのきおくは きえてしまいました」
笑顔。
「それだけじゃたりないなあ。おしっこで勇者を除霊するのは面白いけど……ふわふわ漂う無防備なそれらを取り込んだよ」
何がおかしいのか、楽しそうに笑う破壊神の影から幾人もの手が生えてくる。
その持ち主がなんなのか、考えたくもない。
「いい力だ……だから、こんなこともできる」
ぱちん。
指を鳴らした途端に、城は消えた。
俺を受け止めていた石畳と絨毯は真っ暗闇に包まれてしまう。
「おきのどくですが このせかいは やみにつつまれてしまいました」
叫ぼうとするけれど、吸い込める空気がない。
苦しくて、もがこうとするけれどそもそも腕がない。
仲間は消され、大地も消されてしまった。
踏もうとした地面は既になく、落ちていく。どこまでも、どこまでも。
「君だけは消せそうにないから、そのままにしておこう。諦めるといいよ。だって、もはやきみにはロードする術も、対象もなくしてしまったのだから!」
倒すべき敵は見えず。
光の兆しすらみえない。
何もなくなってしまった世界で、ただ俺だけがいる。
落ちながら回り、回ることで天を仰ぎ見た。
「――、」
声が出ない。
けれど死ぬ気配もない。
ただ落ち行くだけ。
何も出来ずに、何もなせずに落ちていく。
そんな中で見えるものは、一つだけ。
「――――、」
天だ。
この世界が暗闇に包まれて尚、消せない光がある。
すべて、星だ。星だった。
落ちて、流れていく俺の捉える光はすべて星だった。
一瞬のうちに俺を取り返しのつかない場所へと追いやった破壊神の闇にもし、俺が今包まれているとするのなら。
その光が意味するものはなんだ。
「――――――、」
そもそもあいつは記憶を消したとかほざいた。
いかにも俺が産まれた世界で耳にするトラウマ音楽がセットで聞こえてきそうな文句と共に。
けれど、残っている。
あの星たちのように、確かに残っている。
「ふ」
笑い声が確かに聞こえた。
破壊神のものじゃない。俺の声だ。
笑えたなら、それはもう。
「ロードできないって? 悪いな」
俺の勝ちだ。
「初期作品はふっかつのじゅもんがあるんだ」
息を吸いこむ。
ないはずの手を伸ばす。月が見えた。大きなまるい月が。
いつかクルルに重ねて見た、あの月が確かに見えたんだ。
だから、叫ぶ。
あの子が名付けてくれた、
「俺の名はタカユキ!」
世界と俺の繋がりを示す記号を。
「全部まとめて、元に戻りやがれ――……!」
叫びは光となって闇を切り裂いていく。
あまりにも眩しすぎて瞬きをした次の瞬間――……。
◆
「いってえ!?」
盛大に尻餅をついた。
思わず手を伸ばして触れたのは椅子。
共和国、領主の館。俺の執務室だ。
視認して知覚してやっと気づいた。腕がある。
ケツに何かを踏みつけた感触がある。
あわててどいて見下ろせば、小さな黒い虫がいた。
つまんでみるが……見覚えがない。とはいえ……妙にほっとけないような。
まじまじと見つめていた時だった。
空中から伸びてきた手が俺から虫を取り上げたのは。
思わず見上げると、後光を背にした女神がいた。
「ごめんごめん。天界のごたごたのせいで悪い虫が逃げちゃってさ。ずっと探してたの」
えらくざっくりとした謝罪に頭痛がしながら、まばたきをする。
もちろん、ついさっきまでのすべてを覚えている俺は女神を睨みつけながら尋ねたよ。
「……それが破壊神とか言わないよな?」
「あれ? なんで知ってんの? そうなの、これバグなのよ。もしかしてすでに悪さしたあとなの? ごっめん! えへ!」
虫かごに虫を突っ込んで、背後に控えていたコルリに渡す様を見守った後、俺は問答無用で女神を掴んで引きずり出した。
「えっ、えっ、なにすんの? やだ怖いなにすんの? タカユキの顔がマジなんだけど、まって、女神すっごい怖い、やだなにすんの!」
「問答無用だ!」
「あー! 女子に電気あんまとかやめてやめて、いやああああ! ああああ! あっ、ちょっといいかも、あっ、まっ、あああああ!」
天界のごたごたのせいなら、女神に罪を押しつけるのもどうかと思う。
実際、夢で聞こえた女神のアドバイスのおかげでこうして戻ってこられたのだから、感謝はすれど八つ当たりするのは間違っているのはわかる。
でも、それでも!
「俺はこの衝動をお前にぶつけずにはいられないんだよおおおお!」
「あああああ! らめ、らめっ、女神失禁しちゃううううう!」
……やれやれだ。
◆
共和国の中でも指折りの食堂といえば、勇者の胃袋!
というくらいに成長した店の中で、仲間たちの顔を見渡しながら内心で心底安堵したよ。
「まあ……あれだな。創作物しかり、ゲームや機械のシステムしかり。バグや些細なミスというのは案外、致命的なものだ」
妙に実感こもってるな。
「たとえば冒頭、イベント戦の雑魚のやられボイス音声再生時に必ずシステムが落ちるというゲームがあってな。あれは会社を傾かせた」
「ねえそれ言ってもいい話!?」
「とにかく、それが軸になった世界なんて……どうせ長続きはしない。お前の勇者力には敵わないのさ」
「いい話風にまとめろってことでもなく!」
「結末の見えてる話なんて、繰り返すもんじゃない。繰り返すなら結末は絶望から始めないと」
「あれ、そういう話だったっけ?」
クロリアのしみじみ声に俺は思わず何度もツッコミを入れました。
「天界の対策も考えた方がいいな」
「ま、あまあ今回のは事故みたいなもんだけどな」
もういっそ開き直ってそう思うことにしておこう。
「しかし……どういう理屈か巻き戻された時間での出来事を覚えているが。勇者の弱点が一つ見えたな」
クロリアの発言にみんなの視線が俺に――……俺の腕に集まる。
「お前の弱点は腕だ。手がないと、パンツから武器を出しても使えない。そのまま死ぬ手段を奪われてもみろ。お前は生き返る手段を奪われ、勇者としての力を使うことができなくなる」
「う……」
反論できない。
「期せずしてニコリスと再会したし……タカユキを追い詰めた。白星なのか、黒星なのか。いやほんと、ごめんなさい」
「いいて。破壊神に操られたってことだろ? なら気にしないさ」
「……ごめん」
複雑な表情のナコにクロリアは唸る。
「ナコはまだいい。今回の私は完全に出番がなかった」
「自分だってあったとはいえない。最後ちょろっとだけだった」
「あれ? これもう座談会な流れ? とりあえず突っ込んでおくと、ナコは最後から二人目だし、クロリアはラスボスだけどその座を奪われていたからしょうがなかったのでは?」
「「 うるさい 」」
「あ、はい」
俺のツッコミに女子二人のきつい視線が浴びせられた。
せめてもの出番を奪うな、といわんばかりです。
「ああ! あぅー!」
「ちょっと、レオ。どうしたの?」
「ああああぅー!」
コハナプロデュースのおっぱいを強調した制服姿のウェイトレスさんのお尻に一生懸命、俺の息子が手を伸ばしている。
まだ赤ん坊なのに、お前……!
「……レオ?」
「あぅー!」
クラリスの笑顔、なのにマジ怒り寸前の声にレオが抗議の声をあげた。
大人の思惑、赤子知らずですね。
「もう……」
「赤子には勝てない」「だね……」
しょぼくれるクラリスの凹み具合がクロリアとナコにも広がっている……!
ずっと静かなクルルに助けを求めようと思ったら、ルカルーに寄りかかって抱きかかえているルナと二人して涎を垂らして寝ていました。
お前……疲れているからってお前……!
お腹の大きなルカルーは気にした素振りもなし。がつがつと魔界から入ってきているぶつぶつの固いレモン色の果実を貪っている。妙に気に入ったのか、最近はそれしか食べない。
「まあまあ。くさった勇者大行進とか、海蛇二倍になっちゃった、とか。そういうのを乗り越えて、こうして日常がきちんと戻ってきたんだからいいじゃありませんか」
食事をのせたトレイを運んできたコハナが配膳してくれた。
「お腹空いた! 待ってました-!」
歓声をあげるペロリの声に「はっ!?」とクルルが目覚める。
「ご飯の予感!」
「いや食い気かよ」
しょうもないツッコミを入れてしまった。
コハナのケアがいいのか、本人たちの努力の成果なのか。
両方だろうけど、とにかく出産したクルルとクラリスの体型はすっかり元通りだ。
食欲も出ているし、そうなれば当然、
「お酒もってこーい!」
飲む気まんまんなんですよね。やれやれだ。
「ではご飯をいただきましょうか」
手を叩くコハナの号令で、みんな揃っていただきます、と挨拶をした。
飯を食べる仲間たちを眺めながら、俺はふと思った。
些細なバグやミスであれだけの出来事が起こるなら……世の中のバグ取りやミスを潰そうとしている人たちの苦労は、もう少し報われてもいいのかもしれない、と。
ともあれ日常は戻ってきた。
共和国の日々の中に、俺は確かに帰ってきたのだ。
つづく。




