第一話
ピジョウ共和国。
獣の耳と尻尾が生えた人の世界と魔界の間にできた、誰も傷つかない理想的な異世界にある、俺の国は危機を迎えていた。
行方不明者が続出していたのだ。
目の前でクロリアが消え、ナコが消え……出産を間近に控えたルカルーさえもが消えた。
ペロリが、クラリスが――……コハナが消え、最後に、
「タカユキ――……!」
レオとルナを抱いたクルルが消えた。光になって消えてしまったのだ。
今や国にいるのは、俺一人だけ。
途方に暮れた俺の元に世界を創造した女神がやってきた。
いままで二度、大きな旅をした。
そのたびに女神にはさんざん振り回されると同時に、世話にもなってきた。
だから「ふわっと出てきやがって」というツッコミをぐっと堪えて彼女を見つめる。
「勇者タカユキよ。お気づきのことと思うが、世界は危機に瀕している」
「あいつらを……取り戻せるんだよな?」
尋ねたときの女神の反応は、想像よりもずっとシリアスで。
いつもなら卑猥な手の形をして妙なアピールでもしてくるところが、今日はちがう。
片手でもう一方の腕の肘を掴み、曇った顔を俯かせる。
まるで手段がないかのように。
「今回ばかりは難しいの。女神のいる天界で反乱が起きていて、世界にも悪い影響が出ている。最終戦争待ったなしなの。いわゆる、あれ? ラグナロク的な? 北欧神話じゃねーし! いや、タカユキに言っても伝わらないと思うんだけども」
無駄にしゃべるなって。いまそういうときじゃないだろ。空気ぃ! 大事にしてこ、とは言わないけども! むしろ壊してシリアスモードから早く脱したいけれども。
「あ、あの……いや、神さまだろ? 喧嘩すんなよ」
凹んだ顔のままだから、フォローしちゃったよ。
なにしてんの。俺。
そして天界、なにやってんの。
他の世界に影響が出るって相当だぞ。
相当な状況にいるヤツに八つ当たりしても、そりゃ愛がないよな。
だから女神にキレ散らかしたりはしない。しないのだが、どうしたものか。
「女神、がんばって戦うし、愛はきっと勝つ。かんね! かんだけにね!?」
「いや、し、知らないけども」
「勝つよ? けど女神ががんばる間に、タカユキには世界の修復をお願いしたいの」
「修復ってのは、また……妙なフリだな。つまり、俺は何をすりゃいいんだ?」
仲間が……家族が取り戻せるのなら、そりゃあなんでもする。
子供が二人、嫁や仲間が七人消えた。
こんな状態、許せるわけがない。
なんでもするさ、もちろんな。
ただ、そのなんでもの内訳がわからないと動きようがない。だろ?
「強くてニューゲーム」
「わ、わ、わ、ゲームって言っちゃった! いやいやいや、人生だからね? これ……あー。無言で? 反応しないその感じ? がちぃ? あ、がちなのね! わかった! 俺も素直に話を聞くよ。つまり?」
「タカユキを召喚した時間軸にキミをいまから戻すの。宣伝ちっくに言うと、勇者タカユキと魔王の戦いのプロローグ地点にね。きっと世界に何らかの異常が起きているはず。それをタカユキにどうにかしてもらいたいの」
「こんなシリアスモードで、お前、そんな……ざっくりした指示! いつも通り過ぎて安心するわ、逆に! え!? 要するにいまの強さのまま、最初から旅をやり直せって!?」
「いぇあ! わかってんねえ! ひゅう! それでこそっ! さっすがタカユキぃ! おかげで女神はいっつも手を抜いちゃう!」
「抜くなっ! 手はっ! 抜くなっ!」
この女神はだいたいこんな奴だ。雑。ざっくり。
いつだって消える前に大事なことを言う。この三つがポイントな。
脱力はするが、しかし気は抜けない。
大事なことを言い忘れるヤツだからなあ。言い忘れたことさえ忘れるヤツだからなあ。
根掘り葉掘り聞いておいて損はない!
「で? 具体的に今わかることは?」
「女の子とえっちしまくれば、きっと記憶は戻るはず」
ひでえ!
なんのための旅だよ!
強姦魔の旅みたいになっちゃうよ!
「いやあの……最初の旅じゃペロリとはしてないし、ラスボスのクロリアとはする機会もないんだけど」
「なんとかして」
「えー。勇者じゃない……それ……なんかもう……ただの犯罪者ぁ……」
「子供二人と共和国を取り戻したいなら、がんばれ」
「そんなお前、がんばれってお前……」
ぴりり、ぴりり、と女神の腰あたりから何か音が鳴った。
ワンピースのどこにあるのかしれないポケットから板きれを取り出した女神が髪をかき上げて言う。
「もっしー? あ、うんうん。男の神はだいたいケツ穴に一撃でシクヨロ! じゃ!」
「突っ込まないからな!」
「男だけに突っ込まれる側か!」
「俺のはじめてはあげないからね!?」
「タカユキ、たぶん元の世界で女神は――」
落差ぁ!
話している間にふっと消えやがった。
咄嗟に手を伸ばしてすぐ、足下が崩れ落ちて――……落下して。
俺は降り立ったのだ。
スフレ王国の首都に――……裸で、何も持たずに。
なんでかなあ。
だだんだんだだん! って、音が聞こえた気が勝手にするのは。
顔をあげると、クルルがいた。
ふわふわのピンク色の髪、ウサギの耳と尻尾……ブラウスに短いスカート、そして大きなマントを羽織った魔法使いの少女が。
おかしい。
最初に声を掛けてくるのはクラリスではなかったか。
「あ、あ、あ」
俺を見た彼女はみるみるうちに顔を真っ赤に染めて、叫んだ。
「変態です! 変態がここにいます!」
全裸で街中に現われた男が変態でなければなんなのか。
露出狂かな?
変態じゃねーか!
「く、クルル! 待って! ちがうのこれは!」
「いやあああ! 知らない変態に名前知られてる! やめてよして近寄らないで! この変態!」
どうしよう。
既に心が折れそうなんだけど!
「な、なあ、頼む、話を――」
「リュミエイレ!」
問答無用かよ!
魔法によって放たれた光線をとっさに避けて、ついでに彼女を押し倒す。
「ひっ」
途端にクルルは目を回して気絶してしまった。
ストレス耐性のなさは相変わらずか。まったく……。
さて、どうしよう。
顔をあげると、猫の耳と尻尾を生やしたスフレ王国の住民が俺を遠巻きに見ていた。
遠くから馬の駆けてくる音が聞こえる。おそらくはクラリスが来るのだろう。
捕まって、どうなったんだっけ?
えっと……確か。女神のパンツを奪われて、それが切っ掛けで俺は勇者じゃないかとクルルが進言してくれて、旅が始まったんだ。
手元を見る。気絶して伸びているクルルが見えます。パンツはなし。
これではクルルが信用する材料がなくて、いきなり犯罪者認定されて終了です。
あ、あれえ!? こ、これは、もしや?
「どえらいピンチやんけ!」
ど、どどどど、どうしよう!
パンツが! パンツがないとやばい! しかし女神のパンツはないぞ!
どうしたら俺は身分を証明できる?
パンツがないと話にならない!
やだもう! 身分証明がパンツとか! どんな世界なの! ないよ! 普通!
ああでもパンツが必要だ!
しかし、それは……えっと、えっと。
「うーん……」
あ。
「そこな変態!」
呼びかけられた時にはもういっそ、開き直ってクルルのパンツを脱がしていた。
ち、ちゃうねん!
混乱しててん!
わかってる! わかってるよ!? これはもう言い逃れのしようがないレベルで犯罪者だってことくらい! よい子じゃなくても真似をしてはならない!
「な、なななな、なにをしているのです!」
あ、クラリスの素が出てる。
ちょうどこの時は王様と王妃様が亡くなって、クラリスが第一皇女として国を背負っていた。
そのために威厳を出そうと頑張っていたのだが、しかし俺の行動は想定外だったのだろう。それはそうだ。裸の男が婦女子を抱き締めてパンツを脱がしている。皇女さまの対応リストにそんな男への対処法が刻まれていたら、その国はやばい場所だと思うぞ。
っていうか俺ぇ!
これはどう考えてもアウトだろぉ!
いやでも、パンツの力を使わないことには!
勇者である証明がだな!?
いやパンツで証明される勇者の資質っていやだなあ!? いまさらだけど!
さて、出会い方が最悪だったからクルルのフォローは望めない!
ならば!?
「クラリス・ドゥ・カリオストロ第一皇女へ告ぐ。俺は異世界から来た英雄タカユキ! 魔王クロリアの手に落ちんとするスフレ王国を救い来た勇者である!」
「なにを、いっている……え? へ、変態のうえに、頭が、おかしい感じ……ですか?」
判断がつかないのだろう。クラリスが腰に帯びたレイピアを抜こうか抜くまいか悩んでいた。
なんなら最後、敬語になっちゃってるし! 変態相手に! いや変態じゃねーわ!
いや否定できねーわ! 傍から見たら変態以外のなにものでもねーわ!
それでも止まれない! ここで止まったら変態以外のなにものでもないのである!
せめて勇者を足したい! そこが抜けたらもう、俺にはなにも残らない!
パンツが生命線っていやだなあ! ほんとに!
「見よ、これが勇者の証だ!」
願うままに武器の形をイメージする。
女神が俺に与えし力は三つある。
一つは死んでも最寄りの教会へ送り届けられ、生き返る力。
一つは一時的にこの世界の住民と同じ身体の作りになることで脅威的な身体的能力を手に入れる力。
もう一つは――!
「出ろ!」
右腕に集まる力が炸裂し、龍を斬り殺す刃が生み出された。
「この国を助けに来た……だから、力を貸して欲しい」
クラリスの顔に懊悩が浮かぶ。
この状況を処理するだけの情報が不足しているのだろう。
そりゃあそうだ。最初の旅でクラリスにそれを告げたのは、俺の腕の中で絶賛気絶中のクルルだからだ。
そもそも、俺はいま街中で真っ裸でパンツを脱がされた少女を小脇に抱え、脱がしたパンツを剣に変えて立っている。
そんなヤツへの対処法のある国はない。
あったらいやだなあ。俺みたいなのがそこいらじゅうにいるってことだろ?
いや、俺みたいなのって。
変態じゃないよ!
否定もできないけども!
「きっ、貴様が勇者である証は、他にはないのか! あ、ああああ、あと、前を隠せ! みだらな男め!」
否定できない。全裸ゆえに。
絞り出された彼女の言葉に対する証明方法は、ある。
女神の言葉が本当なら、えっちしまくればクラリスの記憶は戻るだろう。
だが彼女はスフレ王国の現トップだ。不埒な真似をすれば王国全体を敵に回しかねない。
そもそも合意のない行為は強姦であり、別の世界から飛ばされてきた俺とて無理。
だから今は我慢だ。
っていうか、え?
本末転倒じゃない? 待って?
女神さあ。仲良くなってえっちしたら記憶が戻るって、だいぶ手間がかからない?
もっとこう他になかったの? キスしたら記憶が戻るみたいな。
いやキスもキスでハードルたっけえな! そこまで関係をよくするの、えっち並みに無理だなあ!?
もっとほかにあっただろー! なんとかしてくれよぅ! もー!
しょうがねえ! 足掻くしかないぞ! がんばれ、俺! えーっと!
「キミは錬金術師だ。スフレは錬金術を長く伝えてきた。王家には……あるはずだ。口にして性交渉をすると必ず身ごもる魔法の薬が」
「なっ――……なぜ、貴様がそれを!」
のど元まで出る。
いやあの、それでおののいちゃう王家ってだいじょうぶ? って。言わないけど。
強くてニューゲーム。
時間逆行ものの知識は、頭が痛くなりこそすれ山ほどある。
昨今じゃ異世界へいくものでもあったよな。ちょっと昔に遡れば大学生科学者が、もっと昔に遡れば車で、なかには考古学者の父親にもらった不思議な道具で、なんてのもあった。
ありふれているんだ。けど、俺の場合の強くてニューゲームには目標がある。みんなの記憶を戻すこと。それがいまの俺に課せられた任務だ。
任務の達成方法はえっちしまくること。
ペロリとクロリアはするにはまだ早いが、しかし魔界や俺の元々いた世界と違ってここの人間世界の連中はとびきり身体が頑丈で早熟にできているみたいだから、今更気にすることでもない。実際、前の旅でペロリとは関係を結んだわけだし。
「何を考えている」
「おっと、悪い」
考え事をしている場合じゃない。
「女神からこの世界のことについては予め聞いてきた。俺はこの世界を作った女神から召喚された男だ。信じられないのなら、今ここで俺を殺せ。教会へと飛ばされ、生き返った俺と出会えるはずだ」
「……その言葉、試す無法は犯せぬ。いいだろう、城へ戻る。ついてまいれ」
「ああ」
「あと、我がスフレ王国の筆頭魔法使いを離してもらおう。それから! ただちに下着を返せ!」
あ……そ、そういえばそうね。
風が吹くたびにスカートがひらひらして、視覚的に危険だもんね。
とりあえず履かせておくか。
「な、なにをしている! 不埒な真似を!」
「いや、パンツ履かせないの可哀想かと思って」
「わ、わたくしがやります!」
そういう問題かなあ。
いや、そういう問題だなあ。
いまの俺ってば、ただの変態扱いだもんなあ。
勇者から変態にクラスチェンジとか、笑えもしねえ。
とほほ……。
「い、いいから! それを渡せ!」
「ああ」
まあ、そういうことなら。
皇女に少女のパンツを渡す全裸の男って、なんだろうね?
変態以外の言葉が思いつかないもんね。
ほんとにつよくてニューゲームなのぉ!?
待遇的には最低ランクに落ちてるんですけどぉ!
◆
女神よろしくざっくりはしょろう!
目覚めたクルルにパンツの力を見せて証明した。
このときのパンツはクルルのものを改めて借りた。そこでも揉めたのは言うまでもない。
クラリスへの説得も済んだ俺は、スフレ王国から衣服をもらってクルルと旅立つことに。
ファーストコンタクトがあまりにも悪すぎた俺たちは旅に出ることになり、最初の旅の時のようにまずは酒場へと出向く。
がぶがぶ呑むクルルと話す。
「家に帰らなくていいのか? 長旅になるぞ?」
「ぷはー! んー、いいや。パパめんどくさいし、ママはついてきそうだし。これは私の受けた仕事かな。まあ変態さんと一緒なのは気が進まないけど」
最低クズ消えてなくなれって感情を顔に露骨に出す魔女に、
「召喚されたばかりだから、しょうがなかったんだ」
と、言っておいた。というか、他に言いようがなかった。
そしてクルルの酒の相手をする。
酒に酔いつぶれて、俺に好感を抱いていたクルルと部屋でつい、という流れで致す。
最初の旅ではそういう流れだったのだ。
今回もきっとそうなるだろうと思っていた。
時間逆行ネタだとどっちかだろ?
つまり時間には法則性があり何をしても一つの結末に収束されるか、あるいはまったく思いもよらないことがひたすら起きて振り回されるのかの二択みたいなところがあるじゃんか。
敢えて言えば、俺のチートは今回において一つ多い。
それは最初の旅での記憶を持っていること。まあ電話レンジあたりからはチート扱いになってきてますが。
肝は記憶を共有できることだな。
そのためにも、なんとかしてクルルとえっちしなければならない。
元に戻ってもらいたいし、今の微妙な関係をさっさと上書きしてしまいたい。
「うわあ……変態さんからなんか、やらしい目で見られてる気がする。孕みそうなレベルの熱度でまじ無理。やっぱ断ればよかったんや……」
「ほら、お前があんまり魅力的だからさ」
「やだ。うわ。変態がちゃらい。二重苦じゃん」
「あのな!」
まくしたてたいくらいにのど元まで言葉が出てくる。
わめきちらしたいくらいに、参っていた。
本当は、ずっと前から。
だけど、それをしてもどうにもならないことくらいわかっていた……わかっていたんだ。
国の領主にまでなって、そのうえ子供二人もできりゃあ、人間いやでも大人にならざるを得ない。
ジョッキの中身を飲み干す。とても呑みやすくて、魔界の連中の分析いわく分解されやすい成分のアルコールにひたってから、息を吐く。
ダメだ。最初の旅の再現を待っていられないし、そうなる見込みも薄いみたいだ。
こうなりゃ、開き直ってやる。
「確かにちゃらいかもしれないけど……俺は責任は取る男だ」
「なあに。口説いてんの? 騎士団の人とかしょっぱい魔法使いから言われ慣れてますけどぉ! だいたい変態になびくバカはいないって。あなた私になにしたかわかってんのぉ?」
つんと澄ました顔にも挫けない。
クルルの手をそっと取る。
「お前は最高で特別な女性だ」
「え、ええと」
戸惑い、てんぱるクルルをじっと見つめる。
ちなみに本気でいやなら手を振り払うくらいはするのになあ。
いや、この思考は危険だ。それこそ犯罪の手口と一緒。
いかんいかん。そうじゃないだろ?
「最初に勇者の力を使って取り出した武器はお前のパンツから出したものだった。俺にはお前が必要なんだ。パンツとして、旅の仲間として……なにより、一人の特別な女性として」
「あ、う……きゅ、急に言われても、こまる……かな」
視線をさ迷わせるクルルはもう十分酒が回っていた。
この勢いでいけば――……いけると思います!
なるほど、これはどうやら収束系か。結果は変わらない。
それはそれとしてクルルのちょろさがめちゃめちゃ心配。
ちょろすぎじゃない!? どんだけ!?
実は本気で口説かれた経験ないだろ、お前!
「あああ……いやならすぐに手を離すし、一歩引くよ。ただ、感じるものがあったんだ。最初から。信じてもらえないとして、無理もないが」
「――……ん」
今回の出会いは正直最低最悪レベルで、なんならトラウマになってもおかしくなさそう。
なのにちょろくきゅんきゅんきてるように見えるから、やっぱりめちゃめちゃ心配。
だいじょうぶ!? クルル!
女神がバグだなんだと言っていたよな。
気になるっちゃ気になるが、しかしそれは今回起きなかった、と。
今はそう信じるだけ。
それよりなにより、クルルのちょろさが心配。
だけどここまで来たら、突き進む!
「頼む……好きなんだ。どうか、俺の思いを受け止めて欲しい」
「う……うう、う……こ、こまる、よ。困る」
「なら部屋へ送るよ。いつでも答えを聞かせてくれ。いやだと言えば、俺はただちに離れるし、その件で国に対してお前の不利な発言などしない。ただ、お前から離れて、終わり。な? お前の好きなようにするよ。いつでも素直に言ってくれて構わないから。な?」
「う、うん。そ、そんなの当たり前だし?」
立ち上がったクルルがよろけるから抱いて寄り添い、照れて離れようとするものの足が言うことを利かない彼女を部屋へ送り届けた。
ベッドにもつれて倒れ込む彼女にのしかかる。
じっと見つめた。許しは彼女が与えるもので、俺が奪うものじゃない。
「……クルル」
「なんか……なんで? なんでかな。あなたの瞳を見てると……どきどきするの」
囁き揺れる瞳を見ていたら、だめだ。
香ってくるとても馴染んだ彼女の匂いも、だめだ。
今すぐ抱き締めたい。愛したいし、愛されたい。
不安だった。ずっと堪えていた。仲間が全員消えていく。あの恐怖が解消されずに残ってる。
なにより最愛の彼女を前にして、我慢できるはずがなかった。
だからこそ、我慢するべきなんだ。
彼女は俺とふたりで子供を育てた、未来のクルルじゃない。なにも知らないクルルなのだから。
狂おしい感情に揺さぶられながら、それでも彼女を見つめる。
「なぜか……見たことがある気がするの。あなたは、だれ……?」
「タカユキだ、タカユキ……なあ」
お前がつけてくれた名前じゃないか、と叫びたかった。
気が変になりそうだ。
覚えていてくれないなら、がむしゃらに襲って無茶をしたい。
いますぐ思いだしてほしい。すべてを。で、前のクルルに戻ってほしい。
そんなの俺のエゴでしかない。
無理だ。もし無茶をしたことも覚えていたのなら? 怒って止めてくれるところなのに。
彼女たちを俺の都合でどうにかしていいわけもない。
ガキそのものだ。いまは。怖くて、どうしていいかわからなくて。
頼む。どうか。合意を、先へ進む合意をくれ……クルル!
「なんで、そんなに泣きそうな顔してるの?」
頬に触れられた。優しい手だ。
今のクルルにとって、俺はただの勇者と名のつく誰かでしかないはずなのに。
いや、そんなの希望的観測に過ぎない。
出会いをふり返れば、俺はただの変態野郎でしかない。
「……私と、なにかあをしたいから、こんなことしてるんでしょ?」
賢さも。
「襲えるんだろうに、なにもしないで待ってくれているのは……私を思ってくれているから、なのかな……」
俺に対する優しさ、譲歩も。
ちょっと初めての相手に見せるには、踏みこみすぎて。
危うい。いろいろと。
今回の旅ではじめて気づいた。
こいつもこいつで限界だったのかもしれない。
最初の旅と、いまと。どちらにも共通して言えること。
クルルも求めているのかもしれない。
だからこそ、最大限の譲歩をしてくれているのかもしれない。
「どうして、そんなに私のこと、好きなのかな……?」
それってとても不思議なことだけど。
「嘘を言ってるように思えないの。魔法を使うまでもない、身体が叫んでるの。なんで……?」
「キスをしたら……思い出せるかもしれない」
「へんな口説き文句かな……でも、いいね。いいかも。私、はじめてだから」
深呼吸をした後、クルルは囁いた。
「優しくしてくれると、嬉しいかな」
懇願に頷く。
「……する前に、誓って欲しいの」
その言葉は、
「私以外の誰かを、愛さないで」
俺にとって、最大の枷であり、俺たちの前の世界と比べて最大のバグだった。
がつんときた。
最大の一撃だった。
「異世界から来たなら知らないと思うけど。この世界はね、男も女も大勢と結婚できるの。でも……私は一対一がいいかな」
狂おしい言葉だった。
もしかしたら、前の世界でクルルがずっと抱えていた大きすぎる悩みなのかもしれなかった。
「浮気は許さない。けどするなら……隠れてして。私にわからないように。その上で、私一人を愛して欲しい、かな……それができないなら、いますぐ部屋から出てって」
大勢を取るか、クルルを取るか……答えは既に出ていた。
俺は取り返しに来た。すべてを。そう、すべてをだ。
それでも……それでも、揺らぐ。
一番最初に愛した、特別な女の子の願いだから……揺らがずにはいられない。
前の記憶を持っていたクルルのように聡いクルルが言うのだ。
愛するのは私だけに、浮気するなら隠れて気づかせるな、と。
すべてを取り返すというのなら、それはもはや勇者の――英雄の道じゃない。それは、世界に許された大勢を愛する道を選んだ男の道だ。
誰にも嘘は吐かないことにしよう。誓おう。
「クルルは特別だ」
ほんと? と尋ねる瞳を見つめる。
「きっと、俺が嘘を吐いたら他の誰もが気づかなくても……お前だけは気づく。きっと、わかる」
「……なんで、かな」
「クルルが俺を愛してくれるなら、すぐにわかるさ」
「……あなたは、だれ?」
不思議そうに俺を見つめる彼女にそっと口づけを。
「……たかゆき」
小さく口にして、彼女の瞳に力が灯る。
はっとした顔をして、それから俺を見て――……抱きついてきた。
「クルル?」
「……ごめん。ごめんね。ごめん」
忘れて、ごめん。傷つけて、ごめん。
クルルの声にずっと堪えていた防波堤が崩れた。
エッチしまくれ、と言われていたけれど。
クルルとの仲は特別だからなのか、キスだけですべてが戻った。
だから、緩んでしまう。思わずにはいられない。
ああ、どうしようもないくらい……こいつが俺の特別なんだ。
事実に気づかされてしまう。気づいてしまうと……ますます、揺らぐ。
「……クルル」
「みんなそれぞれに選ぶの、つらくて。みんなでごまかして、言わないようにして……優劣つけずにみんなで最高、それでいいじゃんみたいな空気だったのに」
俺は、それに甘えていた。
「ごめん。私が、わがままいって……タカユキにきつい答えを出させちゃって、ごめん」
「謝るなよ……ちがうじゃん。俺がめちゃめちゃ謝るところじゃん」
「こういったら、反省するでしょ?」
「……おう。お前のわがままを叶えられなかった俺が悪かった。悪いんだ。俺が」
息を吸って、クルルを力強く抱き締める。
「俺とお前の問題もしっかり片付けないで、世界の問題がどうのこうのもないな……」
「それ、魔界の放送の丸ぱくりじゃん」
「ばれたか」
互いに笑い合って……抱き締め合う。
「みんなのこと戻したい……よね?」
「ああ」
「……そうだよね。うん。がんばろ! がんばろう……ね」
「お前をもう……悲しませたくないし。ちがうやり方だってあるんだ」
「だめ」
口づけで塞がれて止められた。
離れた唇が囁く。だめだよ、と。
クルルは儚げに微笑むんだ。
「みんなに恨まれちゃうよ……裏切るの?」
「俺のせいだしな。天界で事件が起きたせいでこんな目に遭ってるとしても……みんなとの関係自体はさ、俺のせいだ」
「ちがう。みんなの気持ちが抜けてる。そっちのが裏切りだよ」
クルルの返しに、俺は毎度のことながら気づかされてばかりいる。
「解決したら自然と元通りになる……そうすりゃあ、きっと」
今度は唇に指を当てられて止められた。
「やっぱりだめ……みんな、傷つくよ。ペロリも、ナコも……ルカルーも」
敢えて一人の名前を省く。痛みを伴うからだ。そして……それが一番、俺に刺さるから。
「ねえ、タカユキ。やろう? 頑張って……私たちの国を取り戻すの。女神様が出てきて、タカユキがこうして動いているなら、元に戻れるんでしょ?」
「ああ」
「なら、やろう。悲しいこともあった、大変なこともあった。それでも私は幸せだったから」
泣いて縋る身体の震えを抱き留める。
「だから……今はただ一つだけ、わがままを聞いてほしいの」
なんだ? と囁いたら、クルルは俺に口づけて囁いた。
「愛して。旅立ちの時まで、ずっと。ずっと」
抱き締めた身体の熱が重なり混ざる。
二つは一つに。最初に重なり合うべき熱がただ一つになって、火は炎に、木は林に。
欠けたはずのピースは埋まる。クルルと俺に、思えば不可能なんてなかった。
最初から、ずっと。それが答えだった。それが答えだったのに。
過去の選択から先へ進まなくてはいけない。
――……すべてを取り返しにきたんだろう?
なら、覚悟を決めろ。記憶を取り戻す前のクルルの言葉を胸に刻め。
そして……抱えて生きていこう。
ルナが待っている。
レオだってそうだ。
やり直すぞ、最初の旅を。
何か問題があるってんなら、何があろうとぶっ飛ばして取り返してやる。
クルルが最初に出てきた。
女神のパンツが出なかった。
女神も出てこない。
構うものか。
俺は勇者タカユキ。
何があろうと、この世界を救う。
その覚悟が変わることなど、あろうはずもない。
つづく。