小説家になろうで散見される「側妃」という語のルーツを探る
私は小説家になろうの異世界恋愛ジャンルやファンタジージャンルの作品をあまり読んだことがありません。そのため「側妃」という言葉には全く馴染みがありませんでした。なろう界隈でよく使われているけれども、その他の場所ではほぼ見かけない言葉なのだそうです。とても興味深い現象だと思います。しかもどうやら、小説家になろうで生まれた造語だという見方もあるようです。
はたして本当に「側妃」はなろう産の造語なのか、そのルーツはどこにあるのか。ちょっと調べてみた結果分かったことを、このエッセイでご紹介します。ちなみに、明確な答えは出ないということを先に述べておきます。
まず、小説家になろうにおいて「側妃」は「君主の妾(≒側室)」という意味だということを確認しておきます。
次に、ルーツを探る上で、なろう内で「側妃」という言葉を最初に使っている作品がどれなのかを明らかにする必要がありますが、頻繁に削除・改稿が行われる性質上、これを特定することは困難だと思われます。
ではどうするか。少し見方を変えて、小説家になろうの外に目を向けてみましょう。
というわけで、小説家になろう以外の場所での使用例を探します。ググるのも良いですが、検索結果に目的のもの以外が多すぎます。そこで、国立国語研究所の「現代日本語書き言葉均衡コーパス少納言」(http://www.kotonoha.gr.jp/shonagon/)を利用して検索します。「少納言」については以前他のエッセイで活用方法を紹介していますので、興味のある方はそちらもどうぞ(「少納言」活用のすすめ―文章を書いている時に言葉の使い方や表記に迷ったら― http://ncode.syosetu.com/n3586cz/)
「少納言」で文字列「側妃」を検索した結果、1件だけ見つかりました。出典は、ひかわ玲子(1997)『黄金の呪縛師』で、その文章は「けれど、一体、母の一族の者たちは、エルミネール王国の側妃となった母とその王子である子供たちのことをどう思っていたのか」となっています。
1997年の書籍で使用されているとは、少し意外でした。そして1件だけとはいえ、20年も前に使われているということは、造語ではないのかもしれません。
しかし一般的な語ではないというのも事実です。大型の国語辞典(小学館の『日本国語大辞典』)も調べてみましたが、「側妃」の記述は見つかりませんでした。
さて困ったぞ、と色々ググっていると、「側妃」に類する言葉に「妾妃」や「妃妾」などがあり、これらは中国語であるという記述がありました。確かに中国には後宮がありますし、こういう言葉を使っているかもしれません。ネットで見つけた記述には論拠が示されていなかったので、今度は中国語で調べてみました。
試しに中国の検索エンジン「百度」(https://www.baidu.com/)で“侧妃”(側妃の簡体字)を検索してみると大量にヒットして、「百度百科」(百度の百科事典)にも載っていました。
となると、「側妃」は中国語であるという可能性が高くなってきます。しかしネットの情報では信用性が低いので、上海辞書出版社の『漢語大詞典』で調べてみました。
それによると、“侧妃”は“清时皇妃中地位在元妃、大妃之下,庶妃之上者”だそうです。日本語にすると「清の時代、皇帝の妃の中で地位が元妃、大妃の下、庶妃の上の者」となります。ややこしいことに、新たに“元妃”“大妃”“庶妃”という語が出てきました。“元妃”は「君主あるいは諸侯の嫡妻」で、“大妃”と“庶妃”は第二夫人以下の地位の高低による違いのようですが、詳細は調べていません。
また、用例には『清史稿』が挙げられています。『清史稿』は中華民国時代に編纂された清朝の歴史書です。念のため北京大学の中国語コーパス(http://ccl.pku.edu.cn/corpus.asp)でも検索してみました。『清史稿』以外にも清代の小説がヒットしたので、この頃に使われていた語であることに間違いないでしょう。
ついでに“妃妾”と“妾妃”も『漢語大詞典』で調べてみました。“妃妾”は「1.皇帝の妻。2.王侯あるいは太子の妻や妾」で“妾妃”は「妾のこと」というあっさりとした記述でした。“侧妃”は清朝限定の用語ですが、この二つはより一般的な呼称なのかもしれません。
以上の調査の結果、「側妃」という語は中国語にも存在し、意味もなろうで使われている「側妃」と大体同じであることが確認できました。
しかしだからといって、小説家になろうにおける「側妃」のルーツが清朝の後宮制度であるとは断言できません。なろうでの初出がはっきりしない以上、それを確認する術は無いからです。
清朝の後宮制度を知らなかったとしても、元々あった「正室」と「側室」という言葉の関係から類推して「正妃」に対する「側妃」という語を造り、それがたまたま中国語と一致したという可能性も否定できないのです。
今回はルーツをはっきりさせることはできませんでしたが、今から400年も前の中国で使用されていた語と同じ言葉が現代の日本のネット小説で頻繁に使われているというのは、やっぱり面白い現象だと思います。
【2019.5.4追記】
「側妃」について、なろうユーザーの無憂さまがすばらしいエッセイを投稿されました。
元々の漢字の意味や中国の後宮制度について、きちんと史料に基づいた解説をなさっています。
このエッセイでも触れた、『清史稿』に記述されている「側妃」がどういうものだったのか、とてもよく分かります。
現在のところ、他に「辺境伯」についても取り上げられており、そちらも興味深く拝読しました。
皆さまもぜひご一読を。
無憂さま 『「なろう」でおなじみの言葉を中国の古典から考えてみる』
https://ncode.syosetu.com/n8775fl/