1 ここはどこ?
学校からの帰り道、俺は一人の女子のことを考えながら歩いていた。
正確には肩を落として泣きそうなのを必死でこらえるように顔をしわくちゃにさせながら、俺は帰路についていた。
フラれた。
勇気をもって告白をした俺は、見事に、バッサリ、フラれてしまったのだ。
正直、勝算があったわけじゃない。
競争率は馬鹿みたいに高くて、それでもいまだ誰も落とすことができない難攻不落の城。それが彼女を想う男子みんなが陰でよく言う表現だ。
学年を超えて、もううちの学校で告白したことのないやつはいないんじゃないかってくらい毎日告白されていて、そのくせ一瞬もなびくことなく、即答で、むしろ煩わしそうに、けれど顔は超絶笑顔で、バッサリとフッてしまうのだ。
これだけフラれているやつを見ていれば、高嶺の花として遠巻きから見ているだけにとどめておけば痛い思いをせずに済むものを。
それでも悲しきかな。男はそれほど賢くない。
誰もが自分だけは違うと信じて勇猛果敢に突っ込んでいってしまうのだ。
そして、それは自分も同じだった。
顔はイケメンではないが、平均くらいであると思ってはいるし、性格もいいと隣のおばちゃんからよく褒められるくらいだ。
最近の男子には珍しく買い物などをして食材を調達し、母が時間のないときは料理さえもする。
彼女と普通に話もできていたし、友達くらいの地位は獲得していると思っている。
時々見せられる笑顔に、もしかしたら自分のことを・・・なんて思ったりもしたが。
「ごめんなさい。あなたとは付き合えないわ。」
そうはっきりと言われてしまったのだ。
ああ。思い上がっていた自分を殴り飛ばしてやりたい。
せっかく友達としてくらいは接してもらえていたというのに。周りの男子たちも喉から手が出るほどほしがっていた地位を確立していたというのに。
俺は、それを自分で手放してしまったのだ。
「はあ。もうどこかに消えてひっそりと暮らしたい。」
何もする気力がわかなかった。
もう、どこか遠い場所に行って、このことを忘れて生きていきたい。
「そうだなぁ。山の中で畑とか耕しながら、ゆっくりと余生を過ごしたいもんだな~。」
高校生が何を言っているんだとか言われそうなセリフをつぶやきつつ、家の玄関のカギを開けて、中に入った。
中に入ったはずだった。
けれど気づいたら、そこは全く見知らぬ原っぱだった。
「・・・え?ここどこ?俺・・・そんなにショックだったのかな。」
フラれたショックのあまり幻覚を見ているのかと思い、目を強くこすってもう一度開いてみるも、目の前の状況は一切変わっていなかった。
「なん・・・え?・・どうなってるんだ?」
俺は後ろを振り返ったが、そこにあるはずの玄関の扉は跡形もなく消え去っていて、ただただ周りを木で囲まれた広大な草原があるだけだった。
「意味・・・分かんねえ・・・。」
俺は周囲を見回すが、そこには緑に生い茂っている木々と、ところどころにきれいな花が点在している原っぱがあるだけで、本当に何もない開けた場所だった。
来た道は消え、記憶にない草原のど真ん中に一人。
状況が呑み込めない俺はとりあえず頭を抱えてうずくまる。
「うん。そうだよな。あれだけショックなことがあったんだし、精神に異常をきたしたってなにもおかしくないよな。うん。」
そう呟いて、俺は生い茂る草花に背を預けるように、仰向けにゴロンと寝そべった。
「空・・・高いな~・・・」
さっきまで夕暮れだったはずの空は、自分の心のうちとは真逆に清々しく晴れ渡っていて、真昼のように澄み切った青が隅々までいきわたっていた。
しばらくそのまま寝そべって、深く息を吸い、そのまま吐き出した。
花の蜜のにおいと、草の青臭いにおいと、少し湿った土のにおいとが交じり合って、自分の心を落ち着かせる。
これだけ状況が呑み込めない現在において、慌てふためいても意味はない。
憧れの人はきっとこういう時、こういう考えをして冷静になることに努めるはずだ。
そうして俺はしばらくこの場のさわやかな空気のにおいを楽しむことにして、深呼吸を繰り返す。
目を閉じ、再び開ける。
すると、そこには少女の顔があった。
「・・・わっ!?」
一瞬呆けてしまったが、すぐに異常であると体が反応し、ごろごろと横に転がってその場から遠ざかる。
2メートルくらい離れると、体を起こしてさっきまで寝そべっていたところを見る。
そこには小学4年生くらいの少女がいた。
髪は神々しいくらいに光り輝く銀髪で、目を大きく、瞳は空よりも濃く色鮮やかな青。端正な顔立ちで、まるで精巧に作られた人形のような完璧さだった。
服装はゴスロリチックな黒と赤のドレスで、女の子らしいフリルがふんだんに使われているかわいらしいものだ。胸元には大きな赤色のリボンをつけており、それがまた少女のかわいらしさを引き出していた。
「反応がやや遅いけれど、まあ判断は間違っていないから一応合格としてあげましょうか。」
そんなことを少女が言うと、彼女は先ほどは何も持っていなかった右手にいつの間にか出現した大きく分厚い本を開く。
「えーっと・・・ああ、清水交一君ね。歳は17歳で、高校2年生。長男で、下には2つ下の妹と5つ下の弟がいると。」
いきなり言われた個人情報に戸惑いつつも、すべて言い当てた少女への警戒を強めていく。
かわいい顔してなんで俺の情報知ってるんだよ!?ストーカーか?
ほかにも突っ込むところはあるはずだけど、ひとまず俺は彼女がどういう存在なのか、この場所に来てしまったことと何か関係があるのかを注意深く見定めようとする。
「ここに来た理由は・・・あぁ、女の子にフラれたのが原因なのね。」
「なんでそんなことまで知ってんだよ!」
思わず冷静でいられなくなって素で突っ込んでしまった。
まさかフラれたことまで知っているなんて。というか・・・
「ここに来た理由って・・・俺は自分で来たわけじゃないぞ。」
「いいえ。あなたはここに来たいと思って来たのよ。」
俺の反論は真っ向から否定される。その彼女の強い言いきりに俺は二の句を告げずにいた。
「理由はどうあれ、あなたは願ったはずよ。どこか遠くの場所へ、少なくともこの場から消えてしまいたいと、そう強く願っていたはずよ。」
そういわれ、俺は数分前のことを思い出す。確かに、どこかに行きたいと願っていたことを。
しかし、それだけであるとも言える。何か失敗したときに、誰でも一度は考えたことがあるような、そんな逃避のために考える妄想が。
「そ、そんなことでこんなところに来れるわけないだろ!」
「確かに、それだけでは不十分。けれど、今回はそれだけで十分だったのよ。」
「言っている意味が分からないんだけど。」
「私はここで召喚の儀式をしたわ。条件は自分の居場所に未練がなくて、むしろどこか遠くの見知らぬ土地に行きたいと思っている人。それが複数人いた場合はランダムに選ぶ。そういう条件。ね、あてはまるでしょう?」
彼女の返答にそんな馬鹿なと思う自分と、確かにあてはまると思う自分とがいる。
いやいや。落ち着け俺!そんな、召喚だなんて。中二病こじらせるにしてもたいがいだろ!
確かに今はそんなファンタジーな状況下にあるけれども!いや、それで彼女の話をうのみにするわけには・・・・。
「面倒くさい男ね。そんなに疑うのなら見せてあげるわ。」
そういうと彼女は本をぱたりと閉じて手を放すと、本は忽然と消えてしまい、今度は木の棒のようなものが突然出現し、彼女の空いた手に収まる。
いったいどんな手品をと思っていると、彼女はその杖をふいっと上に振る。
途端、彼女と俺の間の地面が隆起し、土の壁となった。
「は、はあ!?」
俺は驚きのあまりしりもちをついて、そのまま後ろに下がる。
彼女は壁を回り込んで再び姿を現す。
「魔法よ。あなたの世界では使えないようだけれど、こっちの世界では使えるの。」
「いや、いやいやいや。これはなんかの冗談だよな!どこかに大掛かりな装置があって、それでこの壁を作って・・・」
「誰がそんな大掛かりな手を使ってまであなたを驚かせなければならないのよ。そんな意味のないことするわけないでしょう?」
確かにそうだ。こんな平々凡々な俺なんかのためにこんなことをする人はいないだろう。けど、けどこんなむちゃくちゃな。ありえない。
「証拠も見せたというのにまだ足りないというの?・・・なら、あなたの身をもって理解するしかないわよね?」
今まで何の表情も浮かべていなかった彼女は言葉の後半から意地悪なことを思いついたいたずら娘のような表情に変わり、次の瞬間、俺の目の前に一瞬でたどり着く。まるで瞬間移動のように突然。
そして、それに驚く暇もなく、俺は心臓を短剣で刺されてしまった。
先ほどまで持っていた杖ではなく、人を痛めつけることを想定して作られた鋸のようなギザギザした両刃の短剣で、俺の胸を刺したのだ。
痛く、冷たく、熱く、不快で。
工作の時に指を切るような、裁縫の時に針で指さすような、歩いていると物の角に足の小指をぶつけるような、そんな痛みとは比べ物にならないほどの強烈な痛みと苦しみ感じ、俺は叫び声をあげて倒れた。
「大丈夫よ。死なないわ。」
「これで・・・死なないわけ・・・・ねえだろ!」
「意外と話せるものなのね、それほど痛みを伴っていても。存外しぶといものね。」
少女の顔にはとても似つかわしくない返り血を滴らせた笑顔は、まるで足を引き抜かれてもがく虫を観察する子供のようで、俺はこれまで感じたことのない恐怖を感じた。
「さて、では始めるとしましょうか。」
彼女は観察をやめて、先ほど手にしていた杖を空にかざし、空いている左手にこれまた先ほど持っていた本を持ち、その本の表紙を俺のほうに向ける。
「今この時よりこの者を我が眷属とし、この者には力を与え、この者からは命をもらう。」
杖の先端が光り輝き、本からは青白い炎が湧き出る。
「隷属契約。」
彼女がそういうと、途端に俺を襲っていた痛みは消え、刺さっていた短剣は俺の中へと吸収されていく。
炎をまとった本は崩れ、その灰が二つの指輪となると、俺と彼女の右手小指にはまる。
「これで契約は完了したわ。さて、何からやってもらおうかしらね。」
「ちょ、ちょっと待て!今のは一体・・・ああもう!なんなんだよこれは!!」
「黙りなさい!」
俺がパニックを起こして騒いでいると、彼女は一言俺に命令する。
すると、まるで口を接着剤で固められたかのように開かなくなり、余計に混乱する。
「落ち着きなさい!姿勢を正しなさい!語尾にニャーをつけなさい!もう黙らなくていいわよ。」
「何を命令してるんニャー。」
次々と命令されることに体が強制的に言うことをきかされ、落ち着きながら姿勢を正して座り、語尾にニャーをつけて反論してしまう。
「なかなかおもしろいわね。やっぱりあと何人か奴隷契約しちゃおうかしら。」
「話を聞いてるのかニャー!」
俺は冷静になりながらもやはり何がどうなっているのか理解できずにいた。もしこの場で理解できるような人がいたら教えてほしい。そしてできることなら変わってほしい。
「理解できたでしょう?あなたの世界で今目の前で起きたこと、そして今自分で体験していること。それを総合して考えたとき、それはあなたの世界ではいったい何を指すのか。」
「そ・・それはニャー・・・。」
認めるしかない。混乱していても冷静になっている今ならこの状況を理解できる。たとえ理屈は理解できなくとも、今置かれている状況がすべてを物語っているし、そもそもさっきから体験していることは俺が知っている常識とはかけ離れすぎている。
そして、夢であるということも恐らくないのだろう。めっちゃ痛かったし。
「魔法・・・。それが俺がここに来た原因ニャー。」
「ようやく認めたのね。まあいいわ。楽しめたし。」
彼女はそう言って俺の頭をなでる。
身長は俺のほうが高いが、座っている俺と立っている彼女では仕方がないだろう。動くこともできないし。
「これからよろしくね。語尾の似合わない奴隷さん。」
「それはお前が命令したんだろうニャーー!!」




