第六章 実践実習 9
俺はバイクに乗りながら周囲を見渡す。周囲は薄暗かったが何故か良く見える気がした。
「九月! そこを右だ! 犯人が居た!」
キィキイ! という音をたて、バイクがスピードを落とさないままカーブを曲がる。
曲がった視線の先、俺達の視界に必死で走る男の姿があった。
「このまま横につけてくれ! そのまま飛びつく!」
九月は一度頷くと、バイクを加速させた。
「待てよ。てめえ! うらぁあああああああああああああああああああああああああ!」
九月はビタッと男の横にバイクをつけた。俺はそのままの勢いで雄叫びを上げながら、相手に向かって飛び掛った。
「ぐぁ!」
男が驚いた様に叫び声を上げた。俺と男は揉み合いながら地面を転がる。
「ちぃ!」
転がりながらも、男は俺の腹部に蹴りを放った。その蹴りは思いのほか力強く。俺の体は軽く浮く様にして男から離れた。
「てめえ。さっきはよくも伊藤係長を刺してくれたな絶対に許さねえ。一発殴ってから逮捕してやるから覚悟しろよ」
「糞……糞……捕まってたまるか……糞……」
男はどこか血走った目で懐に手を入れた。そしてそこから抜き出した手には出刃包丁が握られていた。
「何だよ……最近は本当に刃物と縁があるな……」
俺は額に若干の汗を流しながら、警棒を取り出して、可変式の警棒を延ばす。
一瞬でも気を抜けば死ぬかも知れない。そんな緊張感が場を支配していた時だった。
「貴方……網走創ね」
涼やかでそれでいてどこまでも冷静な声。九月がそう口にした時、男はビクッと体を強く揺らした。
「一九九九年、埼玉県春日部市で通っていたキャバクラのホステスに交際を迫るも断れ、その腹いせに相手を殺害。現場から逃走。警察は逮捕出来ず、今なお指名手配中」
「な、何故……それを……」
網走が驚愕した顔で九月を見た。九月はそれに平然とした顔で答える。
「指名手配犯の顔と経歴は全て覚えているわ」
簡単に言うけど全国でそれを覚えているのはお前くらいのもんだよ九月。
「ち、畜生……」
網走は悔しげに呻いた。それに対し、九月はホルスターから拳銃を抜き、何の躊躇も無く、網走に向かって構える。
「刃物を捨てなさい。捨てなければ撃つ!」
九月は裂帛の叫びを上げた。体の芯にまで響く様な声。そして構えられた銃口はきっちり網走を捉えている。
警察学校の授業中。九月の射撃の成績は五十点中五十点。つまり、一発も狙った場所から外してない。まさに百発百中の腕前を誇っている。
警告と迷いの無い動作。それを目の当たりにし、網走の肩から力が抜けた。
『カラン……カラン、カラン』
その手から包丁が落ちる。しかし、そんな様子を見ながらも、九月の顔からは全く弛みは感じない。
「そのまま両手を挙げなさい。不審な動作はしないで。撃たれたくなかったら」
「わ、分かってる。言う事を聞くから、う、撃たないでくれ」
網走はそう言って、震えながら両手を挙げた。
「坂本、確保して、手荒でも良い地面に押し倒して手錠をかけて」
「分かった」
俺達がそう遣り取りをした瞬間だった。
「がぁ!」
網走が突然、懐に手を伸ばした。そして、再びそこから手を出した時に、握られていたのは黒光りする一丁の……拳銃。
「撃つわ!」
九月は躊躇しなかった。網走の手に拳銃が握られたのを確認すると即座に発砲した。弾丸は寸分違わず、網走の太ももに命中する。それは警察官として百点の射撃だった。必要以上に相手を傷つけず、相手から行動力を奪う。誰もが賞賛する結果だっただろう。
しかし、俺はその時、嫌な予感の様な物を感じた。それは一瞬の出来事だったけど、俺の体は自然とその予感を回避する為に動き出していた。
「九月!」
俺は発砲した体勢のままだった九月を思いっきり突き飛ばした。不意を突かれた形になる九月は受身も取れず、地面に倒れ込む。
「ちょっと……何するの?」
九月が打ち付けた体の痛みに眉を顰めながら、不満の顔を俺に見せた。
だが、その顔が得もいえない、恐怖を感じた様に歪んだ。
「あ、ああ……坂本……嘘でしょ?」
九月がへたり込んだまま俺に向かって手を伸ばした。だが、俺はそれに答える余裕が無かった。
「がはぁ……」
びちゃびちゃびちゃ……と俺は口から血を吐き出した。おおう、やべえ……こりゃ……マジで死ぬ。
唐突な吐血に驚いた。そうか、拳銃で撃たれるとこんなに衝撃を感じるのか。
九月は完璧だった。だが完璧すぎた。時効間際の網走の執念は普通の者なら制圧されたであろう限界を越えていた。網走は九月に撃たれながらも発砲したのだった。
俺はそれに気付いたから九月を突き飛ばした。その際に銃の射線に入ってしまったのはまあ、仕方のない事だよな……まあ、九月が撃たれるよりマシか……。
「しかし、防刃衣っていうのは、弾丸までは防いでくれないんだな九月。貫通したぞ」
「あ、あ、えぐぅ……あぁ……」
俺の軽口に九月を応えなかった。というか答えられなかった。あんなに心の強い九月が号泣していた。何故そんなに泣くんだ九月。子供の様に泣くなんてお前らしくないぜ。
「泣くなよ馬鹿。今から俺が悪い奴をやっつけてやるからよ……」
俺は網走に向かって一歩を踏み出した。
「ひ、ひぃ……」
網走が足を引きずりながら後ずさる。ナイスだぜ九月これでこいつを逃がさないで済む。
「てめえには言っておきたい事が二つある……いや訂正三つだ。三つある」
俺は失神しそうなほど痛む腹部をおさえなが、ジリジリと前に進んだ。
「一つは伊藤係長を刺した事。係長は明日娘さんと遊園地に行く予定があった。このままじゃてめえにクレームを入れる事が出来ないだろうから代わりに俺が言っておく」
俺は右足を地面を踏み抜くように強く踏み出した。
「二つ目は俺を撃った事だ。てめえも今感じてるだろうが糞いてえ……かなりムカついてるぜ今」
それに次いで左足を更に強く、踏み出す度に痛む腹に力を込める。
「そして三つ目は……三つ目は……」
俺は右拳を強く、強く握り締めた。
「俺の惚れた女に銃を向けた事を許さないって事だ、てめえは絶対許せねえが、俺も警察官だ一つだけ許してやるよ……」
拳を振りかざす。そして決めるぜ最後の台詞を――
「歯ぁ食いしばれやぁああああああああああああ」
「うわぁあああああああ」
悲鳴を上げる網走に向かって俺は全体重を込めた拳をたたき付けた。
「ぐふぅ……」
鈍い悲鳴上げて、網走が地面に倒れた。ピクリとも動く様子が無い。
「ふぅ……スッキリした……な」
俺がそう言った瞬間だった。体から一気に力が抜けて、俺はグラッと地面に倒れ込んだ。
おいおいおい。何か血が一杯出てるぞ……ていうかさっき俺血を吐いたよな? これって結構ヤバイ? 俺死んじゃうのか? 何かドンドン寒くなっている気がした。これってよく言う死ぬ直前の感覚では無いのだろうか? ドラマで見たことがある。
何だか眠くなってきて俺は目を静かに閉じようとした。
「坂本! しっかりして! 坂本!」
頬にぴったと熱い水気を感じ、眠気に逆らい俺は僅かに瞳を開いた。すると、涙でぐちゃぐちゃになった顔で必死に俺の名前を呼ぶ九月の顔があった。
「はは、号泣してんじゃん。大丈夫かおい?」
「だ、大丈夫かじゃないでしょ! 撃たれたのに無茶して! こんなのこんなの……」
取り乱す九月の頭を俺はゆっくり撫でた。驚いた様に九月が眼を開く。
「はは。確かに死ぬかもな……ああ、畜生。彼女を作っていちゃいちゃしたかった。最後の想い出が警察学校の厳しい訓練とは……たくよう。ついてねえ……でも、最後をお前と一緒に迎えるならまあ悪くねえかな」
「…………最後なんて言わないでよ」
九月は俺の体をギュッと抱き締めた。それはとても暖かくて、冷え切った体から強張りを消していく。
「絶対に死んだら許さないんだから。こんだけ私に色々ちょっかい出して、警察学校でも事あるごとに私に絡んで来て、休日も私を振り回して」
動物園で振り回されたのは俺だけどな……と俺は苦笑いを浮かべる。
「私の知らない女と私に告白した後会ってるし。本当に無神経で……」
「わりぃ、その日轟教官とも遊んでたわ」
この際だから言っておこうと思い、俺がそう口に出すと九月の顔が泣きながらも怒りの表情に変わった。
「本当に最低ね……最低」
「ごめん」
「ねえ……坂本。私の事、今でも好き?」
唐突に九月が俺の目を見ながらそう問いかけて来た。俺は少し眠かったから、目を閉じながらそれに応える。
「ああ、好きだよ。告白した時からずっと……」
俺の言葉から数瞬、九月は無言だった。俺がそれを不審に思い目を開けると――。
「私も好きよ坂本」
幸せそうな微笑を浮かべる九月の顔があった。こんな表情見たこと無い。強張り一つ無い自然な笑みだった。
「だからしっかりしなさい。恋人一人残して勝手に死ぬ気?」
恋人……え? マジ? 恋人って言った? ていう事は何? 俺九月の彼氏? ひゃっほぉおおおおおおおおおおお! 飛び跳ねたい気分だったけどそんな元気もねえ。
「そりゃ……死にたくなくなったよ。でもお前、俺が死なないで元気になったら、やっぱや~めた。とか無しだぞ?」
「ふふ、どうかしら? でもそれも生きてないと確認できないわよ」
悪戯っぽい笑み。こんな顔も出来るんじゃねえか。最初からしろよ。
「だな……ふふ」
俺は笑った。腹を抱えて笑いたいけど今そんな事したら内臓が飛び出してしまいそうだ。
笑いながら……俺は急激に意識が遠のいていくのを感じた。
「坂本! …………さ、か……坂…………本!」
九月の声も遠のいていく。体を揺さぶる感覚が揺り籠の様に気持ちが良い。
眠いわ……ねむい――。
その思考を最後に俺は意識を失った……。




