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第一章 入校 2

「だる~」

 大学の長机に突っ伏し今週のジャンプを読みながら俺は独り言を呟いた。

 今日は必修のイスラーム文化論。全くイスラム教なんぞに興味は無いが教授の熊谷こと、熊ちゃんは出席カードを提出さえすれば必ず単位をくれるという神様みたいな人だからとっている。

 しかし……だるいもんはだるい。こちとら深夜は市場で中卸しのバイトをしていて体はバキバキだ。時給はかなり良いが正直もっと大学生らしいバイトをすれば良かったと後悔しないわけではない。

 まあとにかく、今俺にはまともな授業を受けるモチベーションは無い。まあ、ここに居る奴らの殆どがそうだろうがな。

 最近の救いはハンター×ハンターが連載していることくらいだぜ。

 そう取り留めのない事を考えながら俺がジャンプのページを捲っていると。

「か~ず~きぃ~!」

 ガバっ! といきなり背後から抱きつかれた。

「ウゴッ!」

 その衝撃で突っ伏した俺はしこたま鼻を打ちつける。

 その鼻の痛みと相反して背中には女性特有の柔らかな体の気持ち良さを感じた。

 普段ならありがたいが、今は鼻の痛みの怒りが勝った。

「佐伯ぃ……」

 俺は低い声で唸る。すると首の後ろからひょこっと顔を出す女。

 少し糸目だが可愛い部類に入るだろう。ショートの茶髪に人懐っこい笑みを浮かべた顔。

 俺の大学で五人しかいない友人の一人、佐伯聡美さえきさとみ。他の四人は男だから唯一の女友達となる。

「ははは! 何よぉ一輝、怖い声出して! うりぃ! うりぃ!」

 尚もしつこく抱きついてくる佐伯。その様子が憎めないと言うか何というか。力が抜けてしまう。

「はぁ……もういいよ。早く座れよ」

 俺は首から佐伯の腕を解くと一つ椅子を横にずれた。

 佐伯は嬉しそうに空いた席に座る。

「ねえねえ、ちょっと見せてよ今週のジャンプ。ハンター×ハンターやってる?」

「やってるよ。でも今読んでる。後で貸してやるよ」

「ふい~あ、ねえねえ一輝、昨日バイト先で凄いイケ面が来たんだよ。モデルかなぁ?」

「知らねえよ。まあ良かったじゃねえの格好良い奴が来て」

「ふふ。格好つけちゃって、今ちょっと不機嫌になったでしょ?」

 佐伯が見透かしたような顔でこちらを見てくる。

「はぁ? 何で俺が不機嫌にならなきゃいけないんだよ」

 耳をいじりながらくだらないと言わんばかりに平然としていると、佐伯が堪え切れないように笑う。

「ほら、また耳たぶに触った。一輝、不機嫌になるといつも耳たぶ触るよね。さっきもいじってたよね」

 そう言って佐伯がふにふにと俺の耳をいじる。

「やめろ、鬱陶しい!」

 あ~まじでムカつく、だがそれがこいつの言っていることの正しさを証明しているようで更にムカつく。

「いいか? 佐伯、俺はなぁ確かに今不機嫌になったかもしれねえ。だがそれは自分の妹に彼氏が出来るような心境なんだよ。つまりムカつきはしたが嫉妬はしてねえ。それは勘違いするんじゃねえ」

 ぐりぐりと佐伯の額を人差し指で押す。

「ふふ、じゃあ私がコンビニに来たイケ面と付き合ったらどうするの?」

「ああ? そりゃお前、顔が良いだけの野郎に妹はやれねえ。ボコボコにしてお家に帰ってもらう。だが、まあお前がそのボコボコになった面を見ても付き合いたいと思うならそれはしょうがねえ。交際を認めてやろうではないか」

「偉そ~」

 踏ん反り返っている俺を見て佐伯がケタケタと笑う。

「それじゃ、迂闊に彼氏は作れないね。お兄ちゃん」

「ああそうだよ。まずは俺に彼女が出来てからだ。それからなら考えてやってもいいよ」

「あははは! それ無理!」

 佐伯が教室内だというのに腹を抱えて爆笑する。

「あっさり言うなよお前!」

 さすがに女に言われると傷つく。

「だって~一輝と一緒に居てくれる女の子は私くらいだと思うよ? 実際いないでしょ? 女友達」

「うっ……い、いねえよ。別にいらねえし」

「強がっちゃって……しょうがない。お兄ちゃんが三十歳過ぎても結婚出来なさそうだったら私が結婚してあげるよ」

 佐伯がそう言って俺の腕に抱きついてくる。

「そうかい。そりゃありがとうよ」

 いつも通りのやり取り、女が正直苦手な俺が肩の力を抜いて話せる貴重な存在。それが佐伯聡美だ。

 しばらくそうやってじゃれあっていると、熊谷教授の授業が始まる。分かり難いイスラム教のはずだが、熊谷教授はイスラム教のエピソードを交えて本当に楽しそうに話すから聞いていてさほど苦痛には感じない。

 しかししばらくすると授業も中盤に差し掛かり、教室内が少しだらけた空気になった。

「ねえ一輝」

 そんな空気の中、佐伯がシャーペンをクルクル器用に回しながら尋ねて来た。

「何?」

 俺も佐伯の真似をしてクルクル回そうとするがポロリと指から落ちた。

「一輝ってさぁ、就活どうしてんの?」

 なんとなしに言われた言葉、その言葉に俺はドキッとしてしまう。

「いやぁ~特にしてないな……」

 今俺は大学四年生、季節は四月の半ば、早い奴ならもう就職口が決まっている。

「してないって……じゃあこれからする予定はあるの?」

「あ、ああ。市役所受けようと思っているけど」

 佐伯の真剣な眼差しに何だか言い訳するような口調になってしまった。

 俺の言葉を聞くと佐伯は呆れたように溜息を吐く。

「つまり……何も考えていないわけね」

「ぐ…………そういうお前はどうなんだよ。人の事構ってる場合か?」

「私? 私は決まってるよ」

 バッサリと切り捨てられる。

「ハァ! まじで? どこに?」

 あまりに唐突な言葉に思わず大声を出してしまい熊ちゃんに少し不快な顔をされた。

 それに反省し声を潜めて佐伯に尋ねる。

「おい。どこに決まったんだよ? 聞いてねえぞコラ」

「この間、採用の電話が来たのよ」

「どこ?」

「ファミリーマート。バイト経験者は普通の人とは別枠の面接なの、それで昨日採用が決まったのよ」

「まじかよ……」

 俺は佐伯の言葉をゆっくり飲み込み……。

「良かったじゃねえかよ! やったな!」

 満面の笑みでそう言った。

「! ……はぁ…………ふふ」

 すると佐伯は最初はびっくりした様に、次に呆れた様に、最後にどこか堪え切れない様に嬉しそうに笑った。

「一輝ならそう言うと思った……」

「あん? 何言ってんだ?」

 わけが分からねえ。

「うんうん。何でも、でもね一輝、こういう時には少しは焦らないと、『先を越された! 抜け駆けしやがって!』って感じにね」

「いや、今の俺の真似のつもりか? 全然似てねえ。言ってることも良く分からねえ。お前が就職決まったんだぞ。嬉しいに決まってるだろ」

 そりゃ俺も他の奴が就職したって聞いたら嫌な気持ちになるけど、他ならぬ佐伯なら純粋に嬉しい。

「そうだね。それが一輝だもんね」

 佐伯はそう言うとくすぐったそうに笑った。

「ありがとう一輝」

「おうよ」

 そう言って二人してはにかんでしまった。佐伯と居ると何かこう普段カスみたいな俺も幸せな気持ちになれる。

 しかし、何故かそこで佐伯は首を振ると無理に眉を寄せて俺を睨みつける。

「そうじゃないや。また一輝に騙されるところだった……コラ一輝! 今は一輝の就活の話をしているの!」

「え~いいよそれは……」

 つまんないだもん。その話。

「いい? 一輝、私はもう就活が終わったの、でもね。未来の旦那様が無職街道まっしぐらじゃ黙ってられないの」

「えーいいじゃん。お前が稼いできて俺を養って~」

 ふざけた調子でキスしようとすると。

「一輝」

 思いのほか本気で顔面を掴まれる。これアイアンクローみたくなってる。超いてえ……。

「一輝、今の世の中氷河期なの、一輝はもしかしたらフリーターでも良いって言うかもしれない。けど、やっぱりそれじゃ駄目だよ。ちゃんとした仕事をしなきゃ駄目」

「はぁ……分かっちゃいるけど……」

 佐伯の言葉に俺は煮え切らない返事をする。

 何か正直自分が働いているビジョンが思い浮かばない。やりたいこともまるで無い。

「分かるよ一輝、今特にしたいことが無いんでしょ?」

 佐伯は分かってるとばかりに頷くと。

「ならさ、一輝……警察官になりなよ」

「……警察ぅ?」

 佐伯の言った言葉に俺は絶句してしまった。

「いやいやそれはねえ。そんだきゃねえよ」

 首をブンブン振り否定する。

「何で?」

「いや何でってお前……この俺だぞ。正義感なんて微塵もねえし、寧ろ俺警察嫌いだし」

 高校時代バイクに乗っていて青切符を切られた事がある。わざと赤灯を消して待ち伏せしやがって、やり方が陰険だぜ。更に言うと警察なんてただぼさっと突っ立ってるイメージしかねえ。税金泥棒だろ。

「私は一輝に向いてると思うよ。優しいし、正義感も人一倍あるよ」

 そう続けた佐伯に俺は顔を顰めた。

「うへぇ~やめろよ。正義感も責任感もねえ。俺がそういうのを振りかざす奴が嫌いなのお前も知ってるだろ?」

「知ってるよ。でもそれは一輝がそういうのを押し付けるのが正義じゃないって思ってるからでしょ?」

「おいおいしつこいねお前も……」

 佐伯はどんだけ俺を良い奴にしたいんだ?

 正直辟易していると。

「それにね。私は知ってるよ。一輝が子供の事になると凄く一生懸命になること。一輝はね、泣いてる子供が居たら絶対にほっとかないよ」

 俺の事なのに断言してくる佐伯、まるで俺よりも俺の事を知ってるいるように。

「違う……違うんだよ佐伯」

 そう違う。俺はそんな上等なもんじゃない。

「俺はただ……ガキが泣いているのが気に入らないだけなんだ。あいつらが悲しい思いや、理不尽な思いをしているのを見ると、自分の力の無さを痛感するようでよ、だからまあ、お前の言うような上等な思いじゃない」

 そうだ……四年前のあの日から……子供だけには嫌な思いをさせたくない。

「それで十分じゃない」

 佐伯は嬉しそうに頬を弛ませる。

「一輝にヤル気があるみたいで良かったよ……はい。これ願書」

 そう言って佐伯は鞄の中から一通のパンフレットを取り出した。そしてそこには埼玉県警の文字が書いてあった。

「え、え~」

 ヤル気などまるで無いのに渡された願書にひたすら戸惑う俺に佐伯はいつものカラっとした表情を浮かべる。

「ほら! いつまでもウジウジ言わない。公務員よ、志望通りじゃない。それに将来の旦那様が主夫じゃ、お父さんに紹介出来ないわ。ちゃんと働いて貰わないと」

 冗談めかした口調、そのくせ実際は頑固。四年付き合っていれば大体分かる。

「…………ちっ、分かったよ。受け取るだけな」

「うんよろしい。一輝は約束を破った事ないからこれで一安心だわ」

 佐伯の満足そうな顔、ああ畜生、不覚にも俺が嬉しくなっちまう。

 手元のパンフレットをパラパラ捲ると、制服をピシッと着た若者が敬礼している。

 警察なんて考えたことも無かった……うへぇ、想像がつかねえ。

 しかしまあいいかと願書をしまう。別に暇だし他の公務員試験の練習にでもしよう……。

 こうして俺は警察官を受ける事になる。本当に軽い気持ちだ。

 だがまあ何かの神通力でも働いたのか、適当に書いた筆記試験は何故か通り、二次試験の面接と集団討論はさして自己主張することなく、静かにしていた何故か受かった。

 というわけで晴れて警察官になる資格を得たわけだが、全然実感が湧かなかった。埼玉県警の採用の方に、

「君、必ずうちに来るよね」

 と、半ば脅迫じみた事を言われ、ビビッて『はい!』と答えてしまった。

 佐伯に合格した事を告げると、

「やったじゃん! 凄い凄い!」

 と俺自身より喜んでいて、あ~やっぱり辞めようかなとは口が裂けても言えなかった。

 そんなこんなで無事俺達は卒業し就職氷河期と言われるこの時代で安定した職を得たわけだ……で、俺はというと回想前の状況に戻る。


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