第六章 実践実習 6
結論から言うと、小室交番はかなり暇だった。
まあ、まず人が来ないというのもあるし、上尾自体、川越とかと違って、繁華街が無い為、平和な場所だ。だが、それ以上に俺の仕事が無いのはやはり、超優秀な同期が隣に居るからだろう。
「そちらのコンビニを左折して、真っ直ぐ行った先の郵便局を右に曲がれば、成和銀行がありますよ」
「ありがとうございます。助かります」
九月が笑顔で道案内をしていた。ていうか、何故今日初めて来た場所の道案内が出来る。
俺は道案内を終えた。九月に声をかけた。
「なあ、何で道案内出来るの?」
「さっきここ一帯の地図を見て全部覚えたから。覚えてないの? 覚えた方が便利よ?」
「覚えられるか。あほか」
ポテンシャルが違いすぎて、アドバイスがまるで参考にならなかった。
まあそんな感じで、九月はあっという間に小室交番のアイドル兼エースになった。
ここで小室交番のメンバーを紹介しよう。というか、俺達を含めて四人しか居ないが、係長である交番リーダー伊藤係長。部長の笹塚アリスさん。二十代女性。そして俺と九月という布陣だ。
「小室交番は基本事案の数は少ない。だから、地理案内や、巡回連絡が主な任務だな。まあ、はっきり言って暇な交番だ。と、言っても埼玉県警察官の人数は少ない。他の署に比べてマシというだけで、することは結構あるがね。正直、君らが居るだけで、相当仕事が捗ってるよ」
伊藤係長は書類を整理しながら笑顔を浮かべた。
それからまあバリバリ働く九月を傍目にゆるゆると俺は立番しながら過ごしていた。何だかんだで時刻は深夜十二時になっていた。
「じゃあ、そろそろ寝るか。最初は女性陣二人に寝てもらって、俺達は夜警らに出よう。四時に帰ってきたら、次は俺達が八時まで寝る。オッケーかな?」
「はい。大丈夫っす」
俺は軽い調子で頷いた。最早最初に来たときの緊張感は無くなっていた。
「じゃあ行って来ます」
「はい。お願いしますね」
笹塚さんが柔和な笑みを浮かべて俺達を見送ってくれた。
「取りあえず、そこら辺を警邏しよう。怪しい奴が居たら言ってくれ。職質するから。後は学生だね。無線にも気を遣ってくれ」
「了解っす」
交番連絡車に乗り込み、俺達の夜警らが始まった。恐らく決められたコースがあるのだろう。伊藤係長は淀みなく車を走らせた。
「そういえば、伊藤係長はご結婚はなされてるんすか?」
「ああ、してるよ。娘が一人居る」
「そうなんすか?」
「ああ、十歳でね。明日遊園地に行く約束をしてるんだ。だから今日はもう帰りたい」
「ぶはっ! そうっすね。早く帰らなきゃ不味いですね」
それからしばらく伊藤係長の娘さんの話で車内は盛り上がった。娘の事を話す伊藤係長は穏やかな顔をしていた。
『埼玉本部から上尾』
するとその時連絡車の無線に埼玉本部から無線が入った。
『上尾ですどうぞ』
『ただ今、事後強盗事件が発生、マル被、バイクで上尾方面に逃走。ナイフを所持。特徴三十代男性。頭髪は金髪。バイクのナンバーは不明。受傷事故防止に留意してください。どうぞ』
『上尾了解』
『以上、埼玉本部』
「ん……うちの管轄か……事後強盗に持凶器事件か。強行辺りが動くかな?」
伊藤係長が気楽な様子で呟いた。こんな事件にはもう慣れっこなのかも知れない。
「そうだな。取りあえず周囲のバイクには気を遣おう。一応犯人はナイフを持っているらしいから注意してくれ。坂本君」
「分かりました」
「ま、何も無いだろうけどね。ひったくり事件では良くある事だ」
それからしばらく周囲をパトロールしたが、それらしいバイクには会わなかった。
「そろそろ帰ろうか、交番で作らなきゃいけない書類もあるしね」
「分かりました」
時刻は現在二時半。正直結構眠い。俺は目を擦り、チラッと横を見た。
「ん?」
一瞬だったが、中型のバイクに跨る金髪の男が、住宅街に止まっているのが見えた。
「何だ? どうした?」
俺の様子に気付いた伊藤係長が俺に声をかける。俺は自信なさ気にポリポリと顎をかきながら、苦笑いを浮かべた。
「いえ。なんかさっき通った所にバイクに乗った男がいたんで、それだけです」
「そうか? 気がつかなかった。戻ってみるか」
「いやいや。大丈夫っすよ。多分ただのおっさんですから」
俺は慌てて手を振った。適当な事で伊藤係長の仕事を増やしたくなかった。しかし、伊藤係長はそれに首を振る。
「いや。こういった直感は大切なんだ。坂本君。俺達の中では当たり前なんだが、事件に呼ばれる奴っていうのが警察の中には居るんだ。それはそいつが優秀っていうのもあるんだろうが。それ以上に何か運命的な物が確かにある」
「へ~でも、それは多分俺じゃないっすよ」
「そうかい? けど俺は君にそういった物を感じるよ。何というか持っている感じがするんだよな。君は」
大分買いかぶって貰っていて悪いが、俺のクジ運の悪さは折り紙付だ。
伊藤係長は言葉の通りユーターンすると、俺が見た住宅街の方に車を走らせた。
「あいつかな?」
「そうっすね」
俺達はバイクの男の背後からその姿を確認する。ヘルメットを脱いだ男の頭髪は無線にあった様に金髪だった。
「マジで……当たりかも知れんな。取りあえず、動く様子がなさそうだから職質しよう。一緒に来てくれ」
「了解」
俺は頷いた。俺達の間に若干の緊張感が流れる。
俺達は静かに近づいていった。男が気がつくか気がつかないか絶妙な距離で、伊藤係長が声をかけた。
「こんばんは。ちょっとよろしいですか?」
伊藤係長が声をかけると、突然の声に男がビクッと肩を上げた。
「…………何だよ」
男は睨みつけるような眼つきでこちらを見た。警察官だと分かったのだろう。攻撃的な態度だった。
「はい。今深夜のパトロール中でして。こんな夜中にどうされたんですか?」
「は? 何で俺がそんな事に答えなきゃいけないんだよ」
「別に変な意味は無いですよ。ただ、一応そういう仕事でして、この時間帯に出歩いている方には皆さん声をかけているんです。実際ついさっき引ったくり事件がありまして、正直治安もよくないですから」
「そうかよ。なら俺は大丈夫だ。どっか行けよ。税金泥棒が」
「ええ、ではバイクをちょっと調べさせて貰いますね。それが済んだら私どもさっさと退散しますから」
伊藤係長がそう言ってバイクのナンバーを調べようとすると、男が慌てた様にバイクの前に立ち塞がる。
「おい。何だよ。やめろよ。何もしてねえよ」
「何でも無いなら良いじゃないですか。では失礼」
伊藤係長が目を鋭くして、男を押しのけナンバーを調べようとした時だった。
「やめろ!」
男は突然爆発した様に叫ぶと、懐に手を入れた。
「係長! 危ない!」
俺は男の動きに危険を感じ、男に向かって無意識に蹴りを放っていた。
「ぐぅ……」
男の口から苦悶の声が漏れる。だが、そんな事はどうでも良い。警察官的にいきなり蹴りを入れるのはどうか……とかそんな事はどうでも良い。
「ぐ、かぁ……」
苦痛の呻き声と共に、係長が蹲る。そしてその腹部にはナイフが深々と刺さっていた。
「係長ぉおおおおおおおおおおおおおお!」
俺は係長を庇いながら叫んだ。男は俺と向き合うと、ナイフを捨てて走り去っていた。
「大丈夫ですか! 係長!」
俺は係長を横にしながら叫ぶ。係長は顔を歪めながら答える。
「だ、大丈夫だ。参ったな。防刃衣の無いところだ。ついてねえ」
「ついてないって。そんな事言ってる場合じゃないでしょ!」
「ああ、そうだな……まあ多分大丈夫だ。急所は外れてる。ていうか人生でこんな台詞を言う時が来るとは思ってなかった。とにかく坂本君。俺の無線を使って至急報を」
「分かりました」
『ビーン、ビーン、ビーン。埼玉本部。上尾十、至急報が発報されました。どうぞ』
「あ~こちら上尾! 今、伊藤係長がナイフで刺されました! 場所は小室一丁目の住宅街! 犯人は逃走しました! 救急車を直ぐに呼んでください!」
『伊藤係長が受傷。至急救急車を手配します。犯人の特徴をお願いします』
「犯人は金髪の三十代です! さっきの事後強盗の犯人だと思います。俺は実践実習の坂本です」
『了解しました。直ぐに応援を向けます。それまでそこで待機してください。どうぞ』
「了解」
『以上埼玉本部』
「はあ……はあ……いい無線だった。やっぱり君は実践向きだな」
「こんな時に何を言ってるんすか……」
「はは。ああいてえ……畜生。逃がしちまったな……明日の予定はパーだ畜生」
伊藤係長は本当に悔しそうな顔をしていた。それを見て、俺も無性に悔しかった。正直今すぐ追いかけてボコボコにしたい。
「坂本君。今にも飛び出して行きそうな顔をしてるね。犯人を追いたいか?」
「まあ、正直追っかけて一発殴らなきゃ気が済まないくらいには怒ってますよ」
「そうだな。俺も娘との約束を潰したあの糞野郎を殴りたい。でもこの体じゃ無理だな。だから、坂本君。その役目を君に託したい」
「え……」
「君があいつを追って逮捕して来い。このままじゃ他に被害者が出るかも知れない。俺の代わりに君がやるんだ」
「でも……そんな……置いていけないですよ。伊藤係長を」
俺は戸惑って首を横に振った。怪我人を置いてその場を去るなんて、明らかな判断ミスだ。ここは応援の者に任せた方が良い。そんなの当たり前の事だ。
「いいから行ってくれ。こんなの命に別状は無い。それよりも、娘の前で犯人を捕まえられないまま病院で会うほうが辛い。だから坂本君。頼むよ。お父さんは犯人を捕まえる為に勇敢に戦ったと、明日そういう為に……な」
伊藤係長は俺の胸に拳を押し当てた。それはびっくりするほど強い力だった。
「伊藤係長……」
その拳は俺の胸の何かに確かに火をつけた。
「死なんで下さいよ。死んだらさすがに目覚めが悪い」
「死ぬか。あほか。娘の結婚式を見るまで絶対死なん。ていうか娘もやらん。いてて、興奮したら痛くなってきた。早く行け。逃げられるぞ」
「すんません。行きます!」
「おう。頼んだ」
俺は伊藤係長に一度頷くと、全速力で走り出した。道は幸い一本道で、何と言うか、そちらに向かっていけば必ず犯人に会えると確信出来た。
取りあえず……一発殴る! それだけを考え、俺は夜の町を疾走した。




