第六章 実践実習
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「今から手帳を配布する。初任教養部長が前に来たら、自らの手帳番号を言え」
警察学校のホームルームの時間。俺達初任科生は第一大教場に集められていた。
授業が終わっているのに、そんな場所に集められている理由はただ一つ、今日は俺達に初めて、警察手帳が配布される日だった。
轟教官が手帳の授与式の流れを説明する。まあ簡単に言うと、受け取った手帳の番号を手帳を開示した状態で読み上げるといった感じだ。手帳の番号は自らの職員番号なので、もちろん全員そらで言える。
まあ、それでも初任教養部長というお偉いさんが来るんで、かなり緊張はしているが。
「いいか。手帳は警察官の命だ。失くせば全国で手配される。それだけ大事な物だという事を忘れるな。警察手帳の持つ効力は絶大だ。それを持つ以上、お前らもそれに相応しい警察官になれ!」
俺達は直立不動で、その言葉を聞いた。そしてそれからきっかり十分後。初任教養部長が現れ、手帳の授与式が行われた。
「手帳番号! 21634!」
大教場に同期の声が響く。初任教養部長が横に動き次々に手帳番号を読み上げて言った。
そしてついに俺の番が来た。やべえ。ちょっと緊張する。
「手帳番号! 21636!」
「良し」
短く初任教養部長はそう言うと、さっさと横に移った。それに伴い、初任教養部長の後ろに付いていた轟教官も移動する。
「………………」
その時、一瞬だが轟教官と目が合った。意味ありげな視線と言うか、明らかに目を合わせ、僅かに微笑んでいる様に俺には見えた。
しばらくすると、全員の手帳番号の読み上げは終了し、初任教養部長のありがたいお言葉と共に、手帳授与式は終了した。
俺達はそのまま大教場に残り、来週の月曜日から行われる実践実習の説明を受けていた。
「来週からお前らは一週間、交番勤務員として、一線の現場に出る事となる。それに当たってお前らに言っておきたい事がある」
轟教官だけが残った大教場で俺達は席について轟教官の話を聞いていた。
「例えお前らが未熟であろうとも、警察官であることには変わりが無い。市民は貴様ら半人前でさえ頼ってくる。それを理解しろ。お前らは外に出れば学生ではないぞ」
轟教官の言葉は実際そうなのだろう。
しかし、俺にはいまいち一線に出るということが分からなかった。
というか実際の所皆そんなもんだろう。今まで訓練訓練で鍛えられたのは精神力と体力で、一線でどうするなんて考えている暇など無かった。そんな俺らにすぐに警察官として振る舞えなど到底無理な話だ。
俺が姿勢正しく、内心はぼーとしながら聞いていると。
「まあだが貴様らひよっこに一端に働いて来いとは言わん。だが一線の方の邪魔をするな。特に、ひよっこの癖に自分の判断で動くなどもっての他だ。どこかの馬鹿のようにな」
ははは、いるいる。勘違いして役に立とうと頑張っちゃう奴。俺は違うね。適当にへいへい言いながら従うだけさ。そっちの方が先輩方も楽だろうしな。
「おい。分からんか? お前だ坂本! 話を聞いてるのか!」
俺かぁあああああああああああい!
「ハイ! 聞いてます! しかし、全く身に覚えがありません!」
呼ばれたら即座に返事をする。それが警察学校の鉄則だ。
「ふ、ふふ……馬鹿め。そこまで馬鹿だと逆に清々しいな。いいか。坂本。こないだの深夜研修みたいな真似はするなと言ってるんだよ。今度同じ様な真似をしたら、お前も無事では済まん。だから、貴様は一線に行っても先輩のお茶汲みと掃除だけしていろ。いいな? 分かったか?」
「はい! 分かりました!」
「…………本当に返事だけはいいな……まあいい。他の者も、坂本みたいな馬鹿にはならないように。分かったな!」
『はい!』
大教場の全員が合唱した。ていうか酷くね?
「よし。では解散しろ。坂本。お前は残って大教場の掃除をしろ。いいな?」
「え! 一人でですか!」
何その罰ゲーム。俺がなんかした?
「ふむ。一人では無理だろう。好きなだけ仲間を集めるが良いさ。私は教官室に戻る。サボったら殺す」
えええええええええええええ! 何それ! 無理だよ。こいつら絶対手伝わないよ! 課外はほとんど全員が用事があるか、彼女に電話するかしてるわ。
俺が心の中で絶叫していると、轟教官はふっと一瞬楽しそうに笑い。大教場から去っていた。残された俺達は各々で解散し始める。
「永井君! 永井君! 永井君! お願い助けて。マジで!」
「しょうがねえなぁ。坂本は。けど、さすがに二人はきついから人数集めるか」
永井君はそう言うと周囲に呼び掛けた。するとさすがは警察官。人の良い奴が多いのか、十人くらい集まった。
そしてその中には九月も居た。
「じゃあ適当にやろうか。坂本は責任もって鍵の返納もやれよ。後は適当に椅子の片付けとか床のモップ掛けで……」
「うい~す」
「じゃあ俺モップで」
永井君の号令で各々が動き出した。テキパキとした動きは良く訓練されている。
「俺は何しようかなぁ~」
俺も自分の仕事を探そうと周囲を見渡した。だが意外と人数が集まったせいで中々仕事が見つからない。そんな中、俺は大きな机を一人動かしていた九月を見付けた。
「よっと」
俺は九月の反対に回るとそれを持ち上げる
「…………何?」
九月はそんな俺を睨みつけて来た。
「いや手伝うよ。重たいだろ?」
「あんたの手伝いなんて要らないわよ。あっち行って」
そう言って九月はぷいっとそっぽを向いた。
その態度に俺は何故か無償にカチーンと来た。
「うるせえ。手伝われるのが嫌ならお前が別の所に行け」
俺がそう言うと九月は一瞬驚いた様な表情をした。しかしその表情は直ぐに怒りに変わった。
「貴方が後から来たんでしょ? そんな事も分からないほど馬鹿なの?」
九月が挑発するように笑う。
俺はしかし、そんな九月を完全に無視した。これぞ俺の秘技。都合の悪い事は完全に無視するである。
というかこいつに舌戦で勝てる気がしない。
「…………」
九月が物凄い勢いで睨み付けてくる。視線だけで人を殺せそうだ。だがそれだけだ、全く無言の人間を論破する事は出来まい!
ふははははは! と俺が内心勝ち誇っていた時だった。
『ガコン!』
「ぐ……ぐふぅ……?」
突然の衝撃。俺は痛みを伝える腹部を見た。するとそこには俺の腹部にめり込む長机があった。ていうか、九月が俺の腹部に思いっきり机をぶつけていた。
「な! 何すんだお前!」
俺は腹を押さえながら激怒する。
「…………」
しかし、九月はそっぽを向いたまま俺を無視した。さっき俺がしていた事だった。
「あの~九月さん? 話を聞いてもらえますか?」
『ガス! ゴス! ゴス!』
九月はなおも執拗に俺の腹部に机をぶつけ続けた。何たるパワー。本当に俺が手伝う必要はまるで無かったもしれない。
「痛い! 止めて! お願いだから止めてえええええええええええええ!」
俺が絶叫した時だった。
「何を遊んでるんだ。お前は」
冷静な声が聞こえてくる。俺の親友の永井君だった。
「永井君! 助けて! 死んじゃう! 内臓が破裂しちゃう!」
永井君が来ても、九月の攻撃は続いていた。
「また坂本がセクハラしたんだろ?」
「また? 一度もした覚えが無い!」
「そうか? まあ取りあえず謝った方が良いんじゃない? 坂本が悪いに決まってるんだからさ」
「断定? 全く信頼が無いね。永井君! 俺は今、泣きそうだ! ぐふぅ……わ、分かった。九月。ごめん。俺が間違ってた」
俺は永井君の言う通りとにかく謝罪した。すると、取りあえず九月からの攻撃は止んだ。
「坂本。取りあえず真面目にやれ。あんまりイチャイチャしてると、お前に巻き込まれた連中が、苛々するわ」
「あ、ああ……ごめん永井君」
「ん。まあ良いや。俺は適当にサボる。じゃ、頑張って」
永井君はそう言うと何処かに行ってしまった。後には無言の九月と俺が残される。
「あ……九月」
「…………何?」
九月がこちらに視線を向けた。その目はまだ少し怒ってる様に見えた。
「あ~何ていうか……こないだはごめん……無神経だったかも……しれない」
俺は多分九月が怒っているだろう事を考え、頭を小さく下げた。
「…………しれないじゃなくて、無神経なのよ。貴方は……」
するとようやく、九月が口を開いてくれた。それは悪態だったけど。俺は何だか笑ってしまった。
「そうだな。よく言われるんだ」
「言われるなら直しなさい。今度同じ事があったら、私、凄い怒るから」
「ああ、分かった。でも、俺は、あの動物園で言った事、嘘じゃないから。それだけは信じて欲しい」
「……こういう時に、そういう事を言うから無神経だって言うのよ」
そう言った九月の頬は、赤く染まっていた。




