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第五章 トリプルブッキング  9

「佐伯はどこかな……」

 駅前のマルイで携帯電話を確認する。時刻は現在六時五十分。約束の時間の十分前だ。

 佐伯を待っている間、若干ながら、俺はある不安を感じていた。

 それは警察学校名物、所在確認の電話だ。

 大体八時くらいに外出先に本当に居るかどうか確認する為の物で、俺の場合上野で買い物とは記入していたが、飲みに行くとは書いていない。

 外泊先を自宅にしている為、万が一電話が掛かってきた場合、上野から速やかに帰宅する様にとの命令が出る可能性がある。

 というか、警察学校はお酒を飲みに行くことに対し、物凄く厳しい。お酒を飲む際は一緒に飲む相手の名前と関係を書かなければならない。

 なので、警察学校初任科生は、飲みに行く際も特には記載せず、ただ、電話が来ない事を祈るという戦法を取っている。

 だからまあ、やましい所のある俺は若干そわそわしてるわけだ……。

「か~ず~きぃ~!」

 ドンと、携帯を落としてしまいそうな勢いで背後から俺は抱きつかれた。それは懐かしい感覚と衝撃で。

「あぶねえな、佐伯」

 俺は首に回った手を掴みながら呆れた様に振り返る。内心結構ドキドキしていた。

「ふふ、ひっさしぶり~! か~ずき!」

 屈託の無い笑みを浮かべて、両手を後ろ手に回し立っていたのは俺の親友、佐伯聡美だ。

「結構似合ってんなスーツ」

「へへ、そうかな?」

 恥ずかしいそうにショートカットの髪を弄る佐伯。その姿はさっき言った通り、スーツ姿だ。土曜なのに仕事が有ったのだろうか? とにかく、大学で普段着は見慣れていたが、こういった格好の佐伯を見るのは卒業式以来で、どこと無く大人に見えて新鮮だった。

「とりあえず行くか。この間行った店でいいか?」

「うん。良いよ。あの店、お酒が美味しいしね」

 俺はそうでも無いが、佐伯はお酒が強い。だから店を選ぶ時は可能な限りお酒の美味しい店を選ぶ事にしてる。

 マルイから昭和通りに入り俺達は目的地に向かい歩いて行く。昭和通りはアメヤ横丁とはまた違った雰囲気で、どこと無くレトロな感じだ。個人経営の飲み屋が軒を連ね、途中には風俗店があり、客引きのお兄さんが立っている。

 警察官がプライベートで遊ぶにはちょっとガラの悪い感じだが、まあ、職務中じゃないし、いいだろう。

 しばらくすると俺達にとって馴染みの店に辿り着いた。

「いらっしゃいませ~二名様、こちらへどうぞ」

 鉢巻を頭に巻いた、割烹着姿の女性店員さんが迎えいれてくれる。俺達は案内されるままに、店の奥の方に座った。

この店は和風というか、北の酒場といった感じで、各テーブルに網焼きのガスコンロが置かれていた。店内は新鮮な魚が焼かれる香ばしい匂いが充満していた。

「ここって美味しいんだけど、匂いが付くんだよね」

 佐伯がスーツに鼻をつけスンスンと匂いを嗅いだ。それが犬みたいで俺は笑いを零す。

「お前そんなの気にするような奴かよ」

「あ~酷い。女の子はそういうの結構気にするんです~」

 頬を膨らます様はお前、いくつだよ。と言いたくなるが、何だか凄く様になっていて、見ていると本当に愛らしくてほっとしてしまう。

「ご注文はお決まりですか~?」

「あ、取り合えず、生二つとホッケと、エンガワで」

 俺は店員さんにお決まりの注文をすると、タバコに火をつけた。

「ふふ、タバコ吸うようになったんだ。格好つけてるの?」

「うるせえ。警察学校居ると、タバコ吸うくらいしかする事ねえんだよ」

 畜生、無性に恥ずかしい。昔を知ってる親を相手にしてるみたいだ。

「お待たせしました~生二つで~す」

 俺達がしばらく取り止めの無い話をしていると、店員が飲み物だけ先に持ってきた。

「ふう、まあ取り合えず乾杯するか、お前今日も仕事だろ? お疲れさん」

「ん。一輝もお疲れ様。警察学校大変だったね」

 カンと軽くグラスを当てる。

 ビールの違いっていうのは良く分からないが、警察学校で禁欲生活してる身としてはお酒が体に染みる感覚は嬉しい。

 正面に座る佐伯もゴクゴクと男前な飲み方でビールを飲んでいく。

「ふ~美味しい~」

 佐伯が大きく息をついた。ジョッキの中身は半分ほど減っていた。

「酒なんて久しぶりに飲んだよ」

 俺がそう言うと佐伯は意外そうな顔をした。

「そうなの? 体育会系って感じだから、結構飲むのかと思ってた」

「ああ、まあ飲める奴は多いけど、休日は自分の趣味に当ててる奴が殆どだよ。ごく少ない自由の時間だから貴重なんだ」

「ふふ、じゃあ一輝はその貴重な時間を私の為に使ってくれるんだ?」

「まあ、俺は予定がなきゃただゴロゴロしてるだけだからな」

「何それ~ははは」

 佐伯は笑いながら俺の肩をバシバシと叩いた。大学に行ってた時もこんな感じだったな。

 しばらく取り止めの無い話をしながら俺達は飲んだ。正直警察学校は話題の宝庫だったから、話す内容に事欠かない。俺の一つ一つの話を佐伯は笑って聞いてくれた。

「ははは、いい加減な所は変わってないね一輝。それにしてもフェンスに向かって歩くって……馬鹿だね~一輝は」

「ああ、俺も結構馬鹿だったと思ってる」

「ふふ、良いね~一輝はどこに居ても変わらない」

 飲み始めて一時間くらい経っただろうか? 佐伯はもう日本酒を冷酒でかなりの量飲んでいる。いつもよりペースが早い。頬がほんのりと赤くなっていた。

「おいおい。今日は大分飲むね。大丈夫かよ?」

 俺が苦笑いしながら言うと、佐伯は不貞腐れた子供の様に不満そうな顔をした。

「いいでしょ~別にぃ~私が酔いつぶれたら一輝が看病すれば良いじゃない」

「おいおい。女の子が簡単に酔いつぶれるなんて言うなよ。襲われちゃうぞ~俺だって男なんだから」

 俺がガオーと佐伯の二の腕に爪を立てると、佐伯は挑発するような目で俺を見る。

「フン。襲う度胸も無いくせに。一輝は目の前で女の子が隙を見せても襲わない。優しい男の子だもんね~」

「馬鹿言うな襲うよそんなもん」

「嘘付け~襲うような相手もいないくせに」

 その言葉に若干カチンとくる俺、まあ、図星だったけど、もてないと正面きって言われちゃ、黙ってられない。

「馬鹿いるよ。警察学校でも女にモテモテだぞ俺は」

 完全に嘘を付く俺。まあ、こんな冗談はいつもの事だ。

「…………警察学校て男女クラス一緒なの?」

 だが俺の発言に何故か佐伯の目が怒った様に細くなった。こんな目をするのは、佐伯が本当に不機嫌な時だけで珍しい。

「ああ、まあ俺のクラスは一人女が居るけど」

 何となくしどろもどろになって俺は答える。話題を変えようかと思ったが、佐伯は次の質問(尋問?)を重ねた。

「その子可愛いの?」

「うん。まあすげえ美人だな。アイドルみたいな奴だよ」 

 九月を可愛くないという男はいないだろう。近寄り難いくらい完璧な容姿をしている。

「……それで? 一輝は仲良いの?」

「……ん? まあ悪くないと思うよ……同期だし」

 動物園に遊びに行ったというのは何故か口に出すのを躊躇った。そんな空気感が、今この空間に流れていた。

「何それ、むかつく」

 だが、そんな俺の解答が気に入らなかったのか、佐伯は不機嫌そうにビールを煽る。

「あ、あれ? どうしたんだよ? 急に機嫌悪くなって」

「別に悪くないけど? 何?」

 確実に機嫌が悪いが、それを指摘すると更にただでさえ細い佐伯の目が細くなった。

「い、いや悪いじゃん?」

「悪い? 私? ふ~ん。一輝には私が不機嫌そうに見えるのね。不思議ね」

 まるで取調室に入れられたかの様に、居心地が悪い。部屋が小さくなったかと錯覚してしまうほどの圧迫感が佐伯から流れてきていた。

「いや……悪くないよね。あははは」

 だから俺が折れました。はい。根性は昔から無いほうです。

「そうだよね。私が一輝と居て機嫌が悪くなるわけないよね。あは!」

 満面の笑みを浮かべる佐伯、でも全然目が笑ってない。怖いって……。

「まあ、取り合えず飲みましょう。佐伯さん。まずはそれからですよ」

 俺は徳利に入った冷酒を佐伯のコップに注ぐ。佐伯は透き通ったそのお酒をくいっと美味しそうに飲み干した。

「私を飲ませてどういうつもりよ」

 さっきの繰り返しになってる。うぜえが、機嫌を損ねると面倒臭い。

「看病したいです」

「ふふ、看病して襲いたいの? 襲う度胸も無いくせに」

「はい。襲う度胸は無いです」

「一輝は女の子にもてるんだっけ?」

「いや、実際の所、全然もてないです」

「そうか、そうか。可愛い子だね」

 佐伯は満足したかの様に深く頷くと、俺の頭を撫でた。王様の様な態度だ。

 それから佐伯は機嫌が良くなったのか、かなりのペースでお酒を飲み続けた。俺も佐伯ほどで無いにしろ、かなりの量の酒を飲んだ。

 だから飲み始めて一時間とかからず、二人ともかなり酔っ払っていた。

「なあ、佐伯。何かあったのか?」

 酔っていたせいもあってか口から言葉が勝手に出た。

「別に、何で?」

 すました顔で佐伯が答える。それは普通の人からみたら何も感じ取れないだろう。

「誤魔化すなよ。お前電話の時もそうだったけど。疲れた顔してるぞ」

 だけど俺には分かる。佐伯は人の痛みは放って置けない癖に、自分の事になるとそれを隠したがる。それでいつも陰で傷ついているのを俺は知っている。

「ふぅ……ねえ。愚痴言っても良い?」

 髪を弄りながら、どこか、微かに甘えるような目で佐伯がこちらを見た。

「いちいちそんな事言うな。愚痴ぐらい、いくらでも聞くよ。今はお酒が入ってる。ウジウジしたってそれは酒のせいだよ」

「ふふ、そっか。お酒が悪いならしょうがないね」

 どこかリラックスした様に佐伯がお酒交じりの熱い溜息を吐いた。それと共に、佐伯は話し出す。

「まあ、つまらない話だけどね。会社でちょっと嫌な事が有ったんですよ」

「うん。どうした」

「まあ、私ってまだ新人じゃない? だから、店舗研修っていうのがあるんだけどね。私みたいに幹部候補で入った人の場合、マネージャーって人とマンツーマンで教育を受けるの。そのマネージャーが始めは凄い親切でね、色々と良くしてくれたんだけど……」

 俺は相槌を打ちながら佐伯の話を聞いていた。佐伯もきっと誰かに聞いて欲しかったのだろう、その口調には強い感情が込められていた。

「でね。ある日そのマネージャーさんに食事に誘われたの。いつもお世話になってる人だし、食事くらいならいいだろうって付いていったら。でも連れて行かれたのが飲み屋さんで、私も付き合いで飲んだんだけど、その帰りにホテルに行こうって……」

「何だそいつ気持ち悪りい」

 話を聞いてると胸糞悪くなる奴だった。酒飲んだらホテルに誘うってどんな神経の奴だ。

「もちろん私は断ったよ。そしたらその人もその時は良いよ。良いよ。冗談だよ。何て言ってたけど、次の日から明らかに態度も変わってて、私が働いてる所で私の変な噂を流し出して……後で聞いたんだけど、その人結構女癖の悪い人で、私みたいに断った女の人は皆酷い目に遭ってて、辞めちゃった子も居るみたいで……」

 佐伯が悲しそうな目でそう言った時は俺は胸が締め付けられるようだった。

「何だよ。それ、糞野郎だな。ふざけんなよ。セクハラで訴えられないのかよ」

 俺が激怒すると、佐伯は困ったように笑った。

「駄目だよ一輝。そんな事、新人の私がしたら面倒臭い新人だって上の人にも思われちゃう。そうすれば、どっちみち、ここでは働けなくなっちゃうよ」

 佐伯の言ってる事は良く分かる。俺も組織で働く人間だから、正しい事でも出来ない事があるって事くらいは分かってる。でも、それで身近な人が苦しんでる何て我慢出来ない。

「俺が警察じゃなかったらぶっ飛ばしに行ってるのによう……」

 いや、嘘だ。今すぐに殴りに行きたい。警察とか関係無しに。

「駄目だよ一輝は警察官なんだからそんな事言っちゃ。ごめんね気を遣わせちゃって」

 佐伯はポンポンと俺を宥める様に肩を叩く。畜生、俺が慰められてどうする。

 俺は……こんなにいい奴の力になれないのか?

 そんなの耐えられねえ……。

「佐伯。辞めちまえよ。嫌なら、そんな職場」

 俺の唐突な言葉に、一瞬佐伯が言葉を失った。

「ちょ、ちょっと何言ってるの一輝? 辞めれるわけないでしょ? 私の生活はどうなるのよ?」

 佐伯が戸惑った様にそう口にした。多分俺の口調から冗談で言ってるのでは無いと分かったのだろう。俺も冗談のつもりは無い。

「生活なんて俺が何とかするよ。俺は公務員だし、特に趣味もねえから金も使わねえ。お前一人養うくらいどうって事ねえよ」

「や、養うって……私達別にこ、恋人でも無いんだよ……」

「別に恋人じゃなくて良いよ。ただ俺はお前が嫌な気持ちになってるっていうのが嫌なんだよ。俺が嫌なんだよ。そんな所居るくらいなら俺の所に来いよ。お前が間違ってるわけ無い。お前が嫌だと思う職場なら、職場の方が間違ってるんだから」

 俺はビールを一気に飲んだ。やるせなかった。自分の大切な物が無造作に汚されるような不快感を感じていた。

「…………一輝」

 佐伯は俺をじっと見詰めると、手元にあったお酒に口をつけた。その表情は俯いて見えないが、佐伯さえ良ければ俺は本当に佐伯を店から引き離し、自分の手で面倒を見るつもりだった。

「ふふ、馬鹿ね。本当に、可笑しいよ一輝。でもね、本当に……ありがとう」

 顔を上げた佐伯はどこか晴れやかな顔をしていた。さっきまでとは違い顔に生気が漲っていた。

「は~あ。何か一輝と話してたら力抜けちゃった。ふふ、私がもし駄目になっても一輝が私を養ってくれるんだ。それなら安心だね。仕事をリタイアしたら一輝と結婚して専業主婦だね」

 佐伯と結婚。俺が仕事から帰って来て、佐伯が迎えてくれるなら、こんなに安心する家庭は無いだろう。

「ああ、だから安心して辞めろ。お前一人助けるくらいの力は持ってるようだから」

「安心して辞めろって、普通そんな風に励ます人居ないよ? ふふ、ああ駄目だ本当に可笑しい。笑いが止まらないよ」

 佐伯が堪えきれない様に蹲り、笑いすぎて苦しそうに悶えた。それからしばらくして、佐伯は目尻に浮かんだ涙を払いながらこちらを見た。

「ありがとう。吹っ切れたよ。もう大丈夫。私、もう何を言われても傷ついたりしない」

 凛々しい、いつもの強気な佐伯がそこに居た。言葉の通りもう暗い影はその顔には無かった。

「大丈夫かよ?」

 俺はそれでも心配でそう聞いた。だがそれは余計だったようで、佐伯は照れ隠しの様に俺の肩をバシバシと叩いた。

「大丈夫だって! それに……私には私の事を絶対に守ってくれる人が居るって思い出せたから。もう何も怖く無いよ」

 微笑む顔が俺を見透かしている様で、今度はこっちが赤面してしまった。

「さ! 湿っぽい話はこれでおしまい。ジャンジャン飲むわよ一輝。一輝の奢りで!」

「お、俺の奢り? お前、それは最初に言え!」

 酒豪の佐伯がジャンジャン飲んだらどれくらいの金額になるのだろうと、俺は財布を見詰めながら溜息を吐いた。



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