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地獄

入校期間は

高校卒業が一年間。

大学卒業が半年。

事務職が一か月。

「お前ら! 何を休んでいる!」

そんな怒鳴り声が俺たちの頭上から降り注いでくる。

「お前らの時給はいくらだ? お前らは仕事も普段してないクズどもだ。そんな勉強しているだけでお金を貰ってしまっているお前らが、こんなんでヘバって恥ずかしいとは思わないのか!」

思わないのかって言われてもよ……

 俺は地面に顔面を擦りつけながら溜息を吐いた。首だけを動かし周りを見渡すと、三十人いる他のメンバーも同じで、ダンゴ虫のように地面にへばりついている。

 ……何でこんな状態かって?

 そりゃお前、常人なら腕立て伏せ二百回もやらされりゃこうなるだろうよ……。

「立て! 立たんかお前ら! 男どもがだらしない! 九月くづきはお前らのようにサボってはいないぞ!」

 そうとどろき教官……つまり俺達の上司にあたる人物が叫ぶ。

そう言えば居たな、あいつが……

 フラフラの意識の中、俺は首だけを動かし隣に目を向ける。するとそこには一人だけ、気丈にも地面に倒れこむことを拒み、腕立て伏せをする者が居た。

 美しい顔立ちを上気させ、額に大量の汗を零す女、どことなく幼そうに見える顔とは対照的な服の上からも分かる完璧な肢体。まるでどこぞかのアイドルかのようなその姿。彼女こそ九月レナ、他のメンバーの中でも異才を放つ美貌と能力の持ち主。

 そんな才色兼備でかつ、唯一の女性である九月だけがこの地獄の特訓に耐えているのが、轟教官には我慢出来なかったらしい。

 ちなみにこの轟教官も女性で、更に九月に負けないくらい超美人。一見するときつい顔立ちだがそこがまた良いと男には大人気。更にナイスバディというかこれは死語だがとにかくエロい体をしている。出動服からでも分かる胸の膨らみとか、こんな状況なのに凝視してしまう自分が恥ずかしい。

 こんな状況なのに不埒な想像を膨らませていた俺の頭上に轟教官が立った。

「おい。坂本」

 轟教官が俺の名を呼ぶ。自己紹介が遅れたが、坂本一輝が俺の名前だ。

「な、なんでしょうか? 教官」

 俺は額に別の意味で汗をかきながら苦笑いで応える。

 すると轟教官はまるでSMの女王様のように嗜虐的に目を細めた。

「貴様の仕事は寝ることかぁ?」

 うわぁ~質問の意図が分かりすぎて困るわぁ……。

「違います!」

 気合だけは入れて俺は返事をする。

「違う~? 何だぁ? 私にはお前が寝ているようにしか見えないぞ? つまり今、お前は勤務中では無いのか?」

 気合ではごまかせないようだ……轟教官は蛇のように俺を追及してくる。

「勤務中です!」

「なにぃ? では貴様はこう言いたいわけだ。教官殿、可笑しいのは貴方の目ですと」

 いや目は可笑しくないだろう……性格は悪いと思うけど。

「違います!」

「違うならさっさと立たんか貴様!」

 鬼の形相と共に、轟教官は思いっきり俺の頭を踏みつけた……ってさすがにやり過ぎだろこりゃあ……。

 一瞬意識が飛びかかった俺の頭をグリグリと踏みしめる轟教官。やっぱり超ドSだ。

「全く情けない。そんな有様でどう市民を守るというのか。アレだな、貴様の信念などその程度ということか。がっかりだな。あれだろ? 貴様が入校した時に言っていた『子供が泣かないように』っていうのも、好感度アップの為に言ったんだろ?」

 そう言って轟教官は厭らしい笑みを浮かべ、膝をついて俺の顔を覗き込む。

「断言してやるよ。お前は何か嫌な事があったら、子供を置いて逃げ出すよ。子供が目の前で悪漢に襲われていたとしても、お前は子供を見捨てて、尻尾を巻いて逃げ出すよ」

 ハッと鼻で笑い轟教官は俺から興味を失ったように去ろうとした。

「…………イチィ!」

 校庭に響く怒声に轟教官が振り返る。

「……ほう。どうした坂本。ギブアップじゃなかったのか?」

 轟教官の視線の先で俺は腕立てしていた。一回ごとに筋肉の軋む音がする。

「言いたい事言って勝手に消えないで下さいよ」

 キュウ! ジュウ! ととっくに越えた限界の中、俺は数を積み重ねる。確かにきついのだがそれよりも……。

「訂正してくださいよ。俺は子供を見捨てたりしませんよ。俺を馬鹿にすんのは構わないけど、子供の事を言われちゃ黙ってられねえよ」

 教官への口の利き方では無い事は分かっている。だが自分に歯止めが利かない。

 クラスの連中は一斉に溜息を吐いた。またやってるよ馬鹿が、という感じだ。

「ふふ、ならば成し遂げて見せろよ坂本。お前と九月の差は今、七十四回だぞ。おい九月ストップだ。今の三百五十回、お前は休憩しろ」

「はい」

 九月は短くそう答えると辛いはずなのに事もなさげに汗を手で振り払い立ち上がる。

「さあ。サービスしたぞ坂本。後七十四回も出来るか? それともやはり頑張ったけど駄目でしたと言うか?」

 七十五回……痙攣を起こしているこの体にはあまりに遠い数字。

「ふざけないでくださいよ……」

 俺は泥のついた顔で引きつった様に笑う。

「七十五回じゃ足りないですよ……百五十回です。百五十回やったら、今言った事訂正して……メイド姿で『許してくださいませご主人様』って言って貰いますから」

 俺の言葉にクラスの連中が震え上がるが、正直思考がバグっていて、何がそんなに彼らを恐怖させたのかが分からなかった。

「ふふ吠えるな坂本。本当に出来たらご主人様でも何でもお前の好きな様にしてやる」

 轟教官が楽しそうに笑う。あまり喜色の感情を表さない教官にしては珍しい事だ。

「忘れんなよ! 今の言葉!」

 俺は咆哮と共に腕立て伏せをする。限界は遠く彼方に置いてきた! 

 猛然と腕立てすること十五分。

「あぁ…………?」

 本当の限界は唐突だった。いきなり景色が真っ白になって浮遊感が俺を襲い、それについで『どしゃ』という音。

「坂本!」

 女の悲鳴が聞こえた。女? 轟教官? 九月?

 まさか九月のわけねえか……あいつは黙って見てそうだな……はは。

 それが俺の最後の意識となった――。


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