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さとりにはとおすぎる

  さとりにはとおすぎる


                           みなみのうお



 (発端編)


K岳山頂からカモシカ新道を下って、坊主ヶ滝上の避難小屋で夕食後のコーヒーを淹れていた時のことだ。

小屋のドアが軽くノックされたか、と思うと

「すいません。失礼します。」

と快活に挨拶をしながら、詰襟の学生服を着てやけに大きな黒縁眼鏡を掛けた、まだ声変りもしていない少年が入ってきた。

 「お疲れさま。コーヒー飲む?道に迷ったのかな?」

と、聞いてみたのは、その少年が手ぶらだったからだ。

K岳は登山部やワンダーフォーゲルの猛者連中が熱心に登るような山ではない。お手軽ハイキングコースといった程度の険しくはない山で、標高も千メートルに満たない。でもミドリシジミという輝く羽根を持つ蝶が観察できるから、蝶の愛好家や生物部の学生なんかには人気が有る。

だから少年の、学生服にスニーカーという軽装に対して違和感を持った訳ではないけれど、彼が水筒やナップサックといった最低限の荷物すら持ってないことと、夜の帳が下りようとしているのにもかかわらず全然慌てていないこととを、いぶかしく感じたのだ。

「ありがとうございます。コーヒー頂きます。」

少年は笑顔を見せると、言葉を続けた。

「ええと、念のために申告しておきますと、僕は迷子でも家出したのでもありません。」

 私は少し驚きながらも、小コッフェルのコーヒーの半分をマグカップに注ぐと、スティックシュガーと一緒に彼に差し出した。

「よく分ったね。迷子なら、落ち着かせてから直ぐに家族に連絡を取らなけりゃいけないし、家出少年だったらお節介かもしれないが説得して家まで送ってやらなきゃいけないか、と考えていたところだよ。」

「恐れ入ります。」

彼は、眼を細めてマグカップに口を付けた。

 私もコッフェルから直接コーヒーをすすりながら、少年が落ち着いている理由について、ちょっと想像を巡らせてみた。これまでの受け答えから見ると、相当にソフィスティケイトされた少年のようだけれど、彼の余裕たっぷりな態度には、何の裏付けがあるのだろうか?

そして私は、当然有り得るべき推理に辿り着いたので、準備をしておくか、と立ち上がったが

「ツェルトの用意は必要ないです。どうぞ座っていて下さい。」

と制止されてしまった。

 私の推理は、こうだ。山支度もしていない少年が、一人で夜の山に入るなど普通に考えれば危険すぎる行為だ。だから彼は一人きりではなく、大人を交えた何人かのパーティの一員で、先発要員として登って来たのだろう、と考えたのだ。単独行動は褒められた話ではないが、元気が余っている少年時代には有りがちな事だ。保護者を含んだ残りのメンバーも、おっつけ到着するに違いない。彼らが、暗くなってから更にこの沢道を移動するとも思えないから、私と同じく避難小屋泊りの予定なのだろう。

この小屋には数パーティの人数が宿泊するのに十分なスペースは有るが、初対面の少年達と雑魚寝するのを小々億劫に感じた私は、天気も良い事だしいっそ表にツェルトを張って寝ようかな、と思いついたのだ。

「いや、君たち遠慮せずに水入らずで楽しみなよ。気を悪くしたのなら謝るけれど、元々沢の音でも聞きながらボンヤリするつもりで来たのだから、シュラフとツェルトで問題ないんだ。しかし、私が外に寝床を作るつもりで立ち上がったと、何で気が付いたんだい?」

「簡単な事ですよ。『コウズケ』さん。」

彼は笑顔で私の名字を、正確に言い当てた。

 私は少し狼狽しながら、どうやって彼に私の名字が分かったのかを考えた。いくら記憶を探っても、知りあいの中に彼の様な少年はいない。詰襟の学生服を身に付けているから、勝手に男子だと思い込んでいたが、実はボーイッシュな少女なのかも、と更に脳内検索をかけてみるが、該当者は無い。

私のリュックサックには『上野』と書いたタグを付けているから、名字の字面は容易に分かるだろうけれど、ほぼ百%『ウエノ』としか読めまい。名刺交換の時などは、忠臣蔵のカタキ役の吉良上野介の『コウズケ』ですよと説明すれば、ああその『コウズケ』さん、と理解してもらうことは可能だし、インパクトの強さからか二回目以降は、え~っと変わった読み方のそうそう『コウズケ』さん、と呼んでもらえることが多いのだが。

それだけに、彼が我が家の先祖代々からの名字トラップをいきなりクリアしたのは驚きだった。

しかし、よくよく考えてみれば、彼には私のマグカップが渡してある。マグカップには『KAORU・K』と刻んであるから、Kで始まる『上野』の読み方を考えれば、『コウズケ』が導き出されても不思議はない。なんてクレバーな少年(あるいは少女?)なんだろうか。

 「名前を当てられた理由は、分ったよ。ネームプレートとマグカップとがヒントになったんだね。それでは、次に寝床の件だけれど・・・」

冷静さを取り戻した私には、それほど難解な問題ではなかった。

「リュックサックの容量から見て、テント持参ではないだろうと考えたんだね。まあ、避難小屋泊りだし、念のためにツェルトは持っているだろうという推理だろう?」

彼はニコニコ笑ったままだ。

 「しかし、本当に君は目端が利くね。『歩いて九マイルを行くのは遠すぎる』か。」

と、有名な短編推理小説の一節を諳んじた私の後を受けて、彼は

「『しかも、雨の中なら尚更だ。』」

と続けてみせた。

 「しかし、コウズケさんは論理的思考の人ですね。こんなシチュエーションだったら、もっと非論理的に『山の怪異』とか思い浮かべたりしませんか?」

 私は彼の突飛な飛躍が可笑しくて

「頭の中を読む『サトリ』とか『サトル』とかいう妖怪を?」

と笑いだしてしまった。なるほど、ここまでの会話では、彼の推理力は探偵クイズであれば、ちょっとした名探偵並みと言えるかもしれない。名探偵というヤツは、思考の道筋の種明かしをしてもらうまでは『サトリ』に似ている。

「だって君、『サトリ』はオランウータンみたいな類人猿タイプか、大男の山爺タイプの外見のモノと言い伝えられているじゃないか。君みたいな美少年タイプは、観てくれの時点で失格。」

「でも、山の神の末えいという説も有るでしょう?末えいという呼び方は癪だけど。」

「美少年というのは否定しないんだね。そう、末えい説はある。そして『山の神』は女神扱いが多いし、個々の山神には美神と伝えられている神もいる。けれど、一般的には不美人とされている事が多いよ。古女房を指すのに、ウチの『山の神』が、と言ったりすることが有る位で。」

私は、筑後川水系や有明海に分布しているヤマノカミという標準和名を持つ厳つい顔をしたハゼ科の肉食魚を思い出した。

「ヤマノカミという名前の魚がいるんだけれど、あまり優美な外見はしていないね。また、猟師は山の神のご機嫌取りに、オコゼの干物を捧げものにするという風習もある。『あなたよりオッカナイ顔をした生き物がいますよ』という意味らしいけど。オコゼは美味しい高級魚だけれど、確かに怖い顔の魚だね。」

 言ってしまった後で、私は山中で楽しい時間を過ごさせてもらっているのにもかかわらず、山の神の外見を、けなしてしまった事に対して、少し後悔した。それに、この山系の女神様はシャクナゲの花が好きな、可愛らしい女神と伝えられていたはずだ。まあ、非理性的な感想かもしれないが、彼の発言に、ちょっとばかり影響されているのかも知れない。

 「山の怪談だったら、この後どんな展開が起きると思います?」

彼が遠慮がちに聞いてきた。山の中で異人に遭遇したら、食べ物や煙草をねだられるのがデフォルトのシチュエーションだ。

「分かった、分った。お腹が空いたんだね。カレーを振る舞ってあげよう。後続部隊の到着が遅いね。」

私は大コッフェルに水を入れると、ブタンガスバーナーで湯を沸かし始めた。アルファ米のご飯に缶詰のカレーだけれど、カレーは食べなかったら小屋に寄贈して帰ろうと高いヤツを持って来ている。

「ガスバーナーに電池式ランタンか。風情という点ではオイル式に劣りますよね。」

「オイル式は、持ち運びや後始末が面倒なんだよ。君は新田次郎の山岳小説かなにかで、山に憧れるようになった口かい?」

「いえいえ、オイル式を以前見たことが有って。たき火に比べると、無粋かな、と思ったりもしましたが、今考えるとあれはあれで味が有ったんですね。」

「たき火は、基本禁止だよ。山火事になるといけないから。」

「分かっています。前も見せてもらっただけです。自分で、たき火を起こした事は一度も有りません。」

「そうでなきゃ。」私は彼にニヤリと笑ってみせた。「山の怪異は、たき火には寄って来るものでないとね。自分で起こすのではなくて。」

少年は苦笑しながら

「でも、狐火とかジャンジャン火とか、火を伴う怪異もありますよ?」

「狐火は空気レンズによる、不知火みたいな一種の蜃気楼だろう?それに、言い伝えの陰火系怪異は熱を発生しない事が特徴だよ。まあ、稀に火事が出た話もあるけれど、山の中だったら球電現象を疑うべきだろうね。怪異よりもオッカナイ現実的な自然現象だから。」

「いい大人が、子供の夢をぶち壊すような事ばかり、言わないで下さいよ。」

「ごめん、ごめん。さあ、カレーが出来上がったよ。ミカンの缶詰も開けようか。」


 「ご馳走さまでした。カレーもコーヒーも美味しかったです。」

「お粗末さまでした、と言ったらメーカーの人に失礼だね。どういたしまして。食器はそのままで良いよ。ウエット・ティッシュで拭うから。」

「ここで煙草を所望したら、怒られますよね?」

「山の怪異としては、正統派で自然な流れかもしれないけれど、未成年者の喫煙には、当然、怒るよ。でも、本当は私が煙草を吸わないと言う事を、気が付いている上での発言だよね?」

「やっと、サトリだと認めてもらえましたか?」

「そうじゃあない。キミがやって来たのは、私が食事を終えて、コーヒーをいれている時だったろう。スモーカーだったら是非とも一服点けたくなるタイミングだ。その時点で煙草をくわえていないという事は、スモーカーではないということさ。」

「実に論理的、合理的な解釈です。」


 (解決編 A-1)


 「そろそろ、おいとま致します。」

少年は愉快そうに立ち上がった。

「送って行くよ。」

私は、リュックの中のマグライトを探そうとしたが、少年はそれを制して、

「お気遣い、ありがとうございます。でも、大丈夫です。ポケットライトを持っているし、テントはすぐそこに設営していますから。小屋に先行者がいたら騒いでも邪魔にならないくらいは、距離を取っていますけれど。」

「本当に大丈夫?」

「本当です。最初は挨拶したら直ぐ戻るつもりだったのですが、上野さんが楽しい方だったので、長居してしまいました。おまけにご馳走にまでなっちゃって。」

「あちゃー。気を使ったつもりだったけど、私が引き止めちゃったのか。悪い事したね。それじゃあ、他の人によろしく。」

「本当にありがとうございました。明日は、早立ちの予定なので、ご挨拶には伺えませんけれど。それでは失礼します。」

 私はマグライトを照らして、小屋の外まで少年を見送りに出た。少年は、何度も振り返って手を振りながら降りて行った。少年が下りて行った方向には、僅かに明かりが有り、微かにざわめきも伝わって来る。

 少年の言っていたのは、本当のことのようだ。

 実は私は少年の話を、少し疑っていた。

少年の大きな黒縁眼鏡が、最新式のウェアラブル端末で、カメラと高性能マイクを内蔵していて、弦に仕込んである骨伝導型スピーカーから指示を受けているのではないか、と。

そう疑ってしまうくらい「よくできた」少年だった。

 私に対して、そんな手の込んだ悪戯を、やらかしそうな友人がいないわけではない。

ただ、その友人が黒幕だった場合、少年を送るために小屋のドアを開けた時点で「大成功!」とか叫びながら登場しそうなものだから、考え過ぎなのだろう。

 私は大きく深呼吸をしてから、小屋に戻ってシュラフを広げた。


 (解決編 A-2)


 手の中の光を消してしばらくすると、避難小屋のドアが閉まるのが見えた。上野薫さんは寝支度を始めたのだろう。

 僕は下の明かりと、ざわめきも消した。早支度だと言っておいたから、もし薫さんが後から出て来て下を見たとしても、明日に備えて消灯したと思ってくれるに違いない。

 それにしても面白い人だった。山の怪異の話に詳しいくせに全然信じていないのだから。

僕が本物のサトリである可能性など思いもよらないという感じだった。

 ウェアラブル端末ねぇ・・・だんだん僕たち妖怪と人間との間の差が無くなっていくような気がするな。

 それにしても、僕の事を少年だ、未成年だ、と散々教育的指導をしておいて、妙齢の女性が単独山行をするなんて、以ての外だと思うのだけれど。そもそも、僕は外見はともあれ、実年齢は彼女よりうんと上だ。

 僕は彼女がゆっくりと眠れるように、ここで邪魔モノが小屋に近付かないよう、朝まで見張っていることにしよう。

 なんといっても、一飯の恩義が有ることだし。


 (解決編 B)


 「そろそろ、おいとま致します。」

少年は一礼して立ち上がった。

「送って行くよ。」

私は、リュックの中のマグライトを探そうとしたが、少年はそれを制して、

「それには及びません。一人で大丈夫です。」

「そういう訳にはいかないよ。大人としての責任がある。」

「大人が未成年者に対する態度としては、真に正しい対応です。」

彼は今にも笑い出しそうになって、

「ところで、上野さんの誤りを一つ訂正しておきますと、ヤマノカミはカジカ科です。ハゼ科ではなくて。」

 ヤマノカミについては、先ほど話題にしたけれど、ヤマノカミがハゼ科だったと思ったのは頭の中での事だ。

分類学上の話を、口に出してはいなかった。

 「なるほど、君は『本物』なんだ。」

「やっと、信じてもらえました。本当はルール違反なのですけれど。信じてもらえるように誘導するのではなく、そのものズバリのヒントを出すのは。でも、こうでもしないと、上野さん、絶対に信じてもらえそうもなかったから。名探偵扱いされて終わっちゃいそうだったし。」

 私はポケットから、煙草の箱とライターを出すとサトリに差し出した。

「『一つの可能性を残して、他の可能性が全部否定されたら、残った可能性がどんなに真実からかけ離れて見えても、それが真実。』って何かの小説で読んだ事があったよ。」

「他の可能性を全て排除する、って大変なことですよねぇ。煙草は頂きたいのですが、自分で火を点ける事は出来ないので・・・。」

「そうか。そんな事を言っていたね。」

 私は煙草に火を点けてから、サトリに手渡した。サトリは満足そうに一服すると

「先ほど、『食後にコーヒーをいれている時が最高の煙草タイム』と、おっしゃっていましたが。」

「頭の中が読めるのなら、分かっているのだろう?本当の事を言うと、私にとって最高なのは『食後のコーヒーを飲みながら』だよ。君は、コーヒーをいれ終える前に登場したからね。」

 サトリと一緒に、妙な満足感のある一服を終えた。

私はせっかくだから、サトリにある「お願い」をしてみようか、と思ったが、少し恥ずかしくて口に出せないでいた。

「いいですよ。気になる男性が居るのですね。上野さんの事を好ましく思っているのかどうか『読んで』上げますよ。」

話が早い、というより、隠し事は出来ないのだった。

「ただし、僕は里にまで降りて行く事は出来ないから、二人でここまで来て下さい。そして、黄昏どき以降に、『さとり、さとり、さとり!』って三回呼んで頂けたら、何時でも登場します。約束です。」

「本当に?」

少し上ずった声が出てしまった。

「本当です。でも、二人きりで夜の山に出掛けて来られるのならば、僕が『読む』までもなく、もう結論は出てしまっているのではないか、そんな気がするのですが?」



 さて、お付き合いいただき有難うございました。


 解決編B で言及される、主人公が気になる男性についてですが、解決編A に出てくる「悪戯好きの友人」でも、この物語に登場しなかった人物でも、誰と解釈していただいても結構です。場合によっては「サトリくん」でも良いのかもしれません。アズ・ユウ・ライク・イットです。

 小説の題は「さとりにはとおすぎる」とした訳ではありますが。

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