ネオ・ウインド 〜新たなる風〜
「クッキー、大丈夫?」
僕は顔を腫らし、声を殺して泣いている少女を慰める為に声を掛ける。
「ひっく、うん、ありがと、ネル…」
こんな場所で、こんなに悲しんでいる大切な少女を抱き締める事しかできない…
僕はなんて無力なんだろう…
クッキーの体はいつも痣だらけ。
それは僕もなんだけど、僕の痣とクッキーの痣は質が違う。
僕の痣は治れば消えるけど、クッキーの痣は治っても心に同じ痣が残る。
僕はクッキーの破れ掛けた粗末な服を脱がせ、体を拭き始めた。
「おら!何時まで掛かってんだ!
次の客が待ってるんだぞ!?」
カーテン代わりのぼろ布を開け、ゲス野郎がダミ声で叫ぶ。
「待って!クッキーはまだ…」
「うるせえ!!」
バン!
僕の頬が音を立て、壁際まで吹き飛ばされる。
「あうっ!」
頭を打ってしまい、起き上がれなくなってしまう…
「ネル!」
僕に駆け寄ろうとするクッキーの長い髪をぐいっと掴むゲス野郎。
「ああうっ!!」
「さあ来い!手間掛けさせるんじゃねえよ!」
ゲスがクッキーの髪を引っ張って客の所へと連れて行く。
「ク…クッキー…」
僕の目から熱い涙が溢れる。
「誰か…誰か…!クッキーを助けてよ!!」
僕はいつもの様に叫ぶ。
僕じゃ助けられないんだ!
悔しいけれど、僕じゃ…何も…!
僕がクッキーと出逢ったのは、今から一年前位。
クッキーは実の父親に虐待されつつ育ち、十歳の時に僅かな金と引き換えに組織に売り飛ばされてきた。
汚い、だけど巨大なビルの中の一部に閉じ込められ、決まった場所から外に出ることは許されない。
似たような境遇の僕はクッキーよりも少し前に売り飛ばされて来ていて、
歳が近い事も有って僕はクッキーの世話係にされた。
最初は笑顔も見せ合わなかった僕達だけど、ある日、殴られて泣いている僕の前で
クッキーが歌を唄ってくれてから、段々と心が通い合うようになっていった。
クッキーが十二になったばかりの時、組織の幹部が僕の目の前でクッキーを犯して嘲笑いながら言った。
「こいつ、もう経験済みだぜ!おいネル、まさかお前がヤっちまったんじゃないだろうな!?」
クッキーの中に吐き出してから、幹部は僕を散々に殴りつけた。
その時、クッキーは幹部に泣いてすがりながら
「違うの!ネルは私に何もしていないの!!私は五年前から、父さんにされてたの!」
それから、クッキーは毎日の様に客を取らされるようになってしまった…
その日の客は八人。
クッキーは解放された時、息も絶え絶えだった。
「酷い…」
今日の最後の客はサディスティックな趣味が有ったらしく、
クッキーの華奢な体には数え切れないほどの蚯蚓腫れと、首には絞められたような痣が残っている。
「は…はう…」
クッキーの小さな心臓は破裂しそうな程の鼓動を打ち、
口と大切な所、それにおしりから白濁した液体が流れ出している。
お風呂なんて無いから、僕はお湯で絞ったぼろ布で丹念にクッキーの体を拭いた。
「ごめん、はっ、ね、ネル…はっ、こんな、ひっ、汚い、はっ、事、ひっ、させちゃって…」
「喋らないで、クッキー。じっとしてて。僕は全然気になんてしてないから」
一生懸命僕に謝るクッキーを見て、涙が止まらなくなる。
こんな事を続けてたら、クッキーはもう直ぐ死んじゃうよ!
誰か、誰か助けてよっ!!
僕は今夜も、来てくれる筈も無い誰かに向かって叫んでいた…
翌朝、目を覚ますと隣で寝ていたクッキーが凄い熱を出している。
「クッキーが大変なんです!お医者に連れて行って下さい!」
朝飯を持ってきたゲス野郎に必死で頼むけど、
「バカ野郎!医者が幾ら掛かると思ってるんだ!ほっとけば治る!」
と僕を殴って帰ってしまう。
僕は必死でクッキーの額に絞ったぼろ布を乗せて看病するしかなかった。
「ネル、一緒に居て…手を握ってて…」
クッキーが真っ赤な顔をして微笑む。
「神様…もし居るのなら、クッキーを助けて上げて下さい!お願いだよっ!!」
僕の声が空しく響く。
クッキーの熱は夕方になっても下がらない…
「おら!商売の時間だ!!」
ゲス野郎がぼろ布を開けて入ってくる。
「そんな!無理だよ!クッキーの具合はまだ良くなってないのに!」
叫びながらクッキーの前に立つ僕の脇腹をいや、と言うほど蹴り付けるゲス野郎。
「あううっ!」
横っ飛びに吹き飛ばされて倒れた僕は、激痛に起き上がれなくなってしまった…
「お?ちょっと強かったか。アバラでも折れたか?まあ良い、おら、来い!!
今日の最初の客は金持ちの日本人だ!いつもの十倍の値段を吹っかけても
文句も言わずに払いやがった!せいぜいサービスしてやれや!」
クッキーの髪を掴んで連れて行くゲス。
「ネル!大丈夫!?」
クッキーは髪を引っ張られる痛みよりも、僕の事を心配してくれている。
「ク、クッキー…」
僕は汚れた床に這い蹲ったまま、連れて行かれるクッキーに手を伸ばした…
必死で這いながら壁際まで行くと、薄い壁の向こうから客とゲス野郎の会話が聞こえてくる。
「なるほど、この娘か」
「ヘイ旦那!どうです、上玉でしょう!顔も悪くねえし、胸も十二歳とは思えねえ!
どうぞごゆっくりお楽しみくだせえ!!」
「そうだな、じゃあゆっくりと楽しませてもらおうか」
日本人とは思えないほど上手に現地語を喋っている…
ゲス野郎は外に出て行ったみたいだ。
「名前はなんて言うんだい?」
日本人が問い掛ける。
「ク、クッキー…」
少し脅えた様に答えるクッキー。
「そうか、顔が赤いが、熱でも有るのか?」
「あ!だ、大丈夫!」
もし日本人が病気の娘など抱けない、と言って代金を返させたら、
クッキーのせいにされてまた酷く折檻されてしまう…
だからクッキーは必死で元気なフリをしている。
本当なら、寝てても辛いほどなのに…!!
「そうか。だが、子供は無理をする物じゃないぜ、クッキー」
…え?なんだか、さっきまでの日本人とは別人みたいに優しく、そして逞しい声になった…?
「大変だったろう…だが、もう大丈夫だ」
「あ…」
クッキーの戸惑った様な声が聞こえる。
僕は入り口のカーテンを少し開け、そっと覗いて見た。
すると、とても大きな日本人がクッキーを抱き上げ、ぎゅうっと抱き締めている。
「そこに隠れているお前も出て来い。
この娘を守るのは、お前の仕事だろう」
クッキーの口に薬の様な物を飲ませながら男が僕の方を見る。
「あなたは、誰なんですか…?」
カーテンを開けて姿を現した僕に、まるで子供の様な人懐こい笑顔を見せながら
「ああ、正義の味方、さ」
と言いながらウインクする。
「クッキーは酷い風邪を引いている。一応薬は飲ませたから大丈夫だろう。
まあ、とりあえずどこかに隠れていろ。これから、ちょっと荒っぽい事が起きるからな」
男が軽々とクッキーを差し出す。
「うっ!」
クッキーを受け取ろうとして、さっきゲスに蹴られたわき腹が痛み出す事に気付いた。
「ん…?怪我してるのか。仕方無いな、お前もこっちに来い」
僕の体を片手でふわっと抱き上げる男。いくら僕とクッキーが痩せっぽちだからって…
「こちらグリズリー。ウルフ、聞こえるか?」
男が腕時計に向かって話している。
<こちら、ウルフ。感度良好。状況証拠は押さえたか?>
「ああ、とりあえず子供を二人保護した。まだ他にもかなりの数の子供が居るな」
<了解。じゃあ、これから突入する。お前の送ってくれた見取り図通りに進む>
「了解。幸運を祈る。…っつっても、こんなチンケなチンピラ相手じゃ幸運も要らねぇか」
がはは、と豪快に笑いつつ僕達二人を肩に乗せたまま部屋を出て歩き出す。
「あ、旦那!そいつらを連れて外に出られちゃ困りますぜ!
ヤるのは中でぐぼうっ!!」
ブン、という蹴りの音と共にゲス野郎が一瞬で吹き飛び、壁に激突して動かなくなった。
口からヘンな色のモノをびちゃびちゃと吐き出し続けている…
「て、てめえ!何しやがる!?」
ババっとゲスの仲間が十人以上群がってきた。
こんなにたくさん居たんじゃ、あっという間にやられちゃうよ!?
僕とクッキーは男の顔にしがみ付きながら目を瞑る。
「おらああっ!!」
「死ねえっ!!」
ドス!バキ!ガッ!!
僕たちはいつ床に放り出されるか、と思いながら必死で目を瞑っていた…けど…
「さ、行くぜ」
男の声に目を開くと、そこにはゲスの仲間達十数人がピクリともせずに横たわっていた。
ここに連れて来られてから初めて出た廊下には、組織の人間が何十人も倒れている。
「おお、さすがウルフ。仕事が速ぇな」
愉快そうに笑いながら、僕達を乗せた男が長い刀を手にした男に近付く。
「ま、こんなヤツらならね」
苦笑しながら刀を腰に刺し、僕達を見て微笑む。
「やあ、これは中々の美少女と美少年だね。しかし、酷く怪我をしてるな」
「ああ、他の子供も似たようなモンだろう。
フェルダムト(くそったれ)!子供を喰い物にしやがって」
男の肩が、顔が、かあっと熱くなる。
「まあ、落ち着けよ。まだまだ作戦はこれからだ」
刀の男が苦笑しながら声を掛ける。
「そうだな、まだまだ暴れたりねえぜ。徹底的に、潰してやる…」
男の体から、ぞわ、とした熱い気配が湧き上がる。
「あ…」クッキーが脅えた様な悲鳴を上げ、僕も歯の根がカチカチと震え出した。
その時、後ろから
「祐二!子供達が閉じ込められている部屋を発見したわ!
直ぐに救出に向かいましょう!」
と言う女性の声が響き、
「お!さすが雅子!早いじゃんか!!」
と答えながら祐二と呼ばれた、僕達を乗せた男が振り向いた。
その瞬間、さっきまでの恐ろしい気配は掻き消すように無くなってしまった。
「あら、可愛らしいコ達ね」
にっこりと微笑む美しい女性も、どうやら日本人みたいだ…
「さあ、行こうか!ゲス野郎共を血祭りに上げて、子供達を救い出す為にな」
祐二という男の声に、二人が頷き歩き出す。
そして、その五時間後、僕とクッキーはビルの外に待機していた車の中で
捕らえられていた他の子供たちと一緒に暖かいスープを夢中で掻き込んでいた。
車の前には、組織の幹部とボスがぼろ雑巾の様になって縛られ、地面の上に転がされていた…
「お前達は俺達のスポンサーが面倒を見てくれる。
まずはしっかり喰ってしっかり休め。
それからの事は、後で考えろ。お前達は、もう自由なんだ」
グリズリーと呼ばれた、その部隊の隊長は優しい瞳で僕達に言った。
僕達は彼の言うスポンサーの用意してくれた仮設住宅でしばらく暮らす事になる。
グリズリーはとても優しく、楽しい人であっという間に子供達の人気者となり、
彼らが引き上げる時には子供達みんなが泣いて別れを惜しんだ。
「ネル、お前はクッキーを守り、愛してやれ。
誰かの救いを待つんじゃない。お前自身がやるんだ!いいな」
引き上げる直前、ヘリの前で僕とクッキーを抱き上げてグリズリーが穏やかに言う。
「うん!僕はクッキーを一生守る。約束するよ」
クッキーはグリズリーの頭に抱き付き、わんわんと泣いている。
「クッキー、お前はきっと良い女になる。だけど、ネル以上にお前を愛してくれる男は居ないぜ。
だからヘンな男が言い寄ってきても口車に乗るなよ」
クッキーは泣きながらコクコクと頷いた。
「よし!じゃあ、元気でやれ!またいつか、どこかで逢おう!」
グリズリー達を乗せたヘリが離陸する。
僕とクッキーは大きく手を振りながらヘリを追い掛けた。
「グリズリー!僕はきっと、あなたみたいに強くなるよ!そして、クッキーを守って行くから!
また、また絶対逢おうね!!約束だよ!!」
小さくなっていくヘリを見送りながら涙を拭く。
横を見ると、涙と鼻水で綺麗な顔をぐしゃぐしゃにしたクッキーが微笑んでいる。
「行こう、クッキー」
「うん!」
僕の差し出す手をクッキーがしっかりと握り締める。
今まで感じた事の無い新しい風の中、僕とクッキーは僕達の未来へと歩き出した。
Image song : Komm, süsser Tod
Artist : ARIANNE
Special thanks to N.M&O.K.M
Presented by Shogo Hazawa