帝国偉人録
今日は二話投稿です。最終話を読んでいない方はバックしてください
本書は帝歴千百六十年、エレスティア帝の勅命により編纂された。本書の目的は現代の帝国の発展に寄与した人物の生涯、人物像、功績を後世に伝えることである。
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アスマ・ハルトは暗黒時代から黄金時代にかけて活躍した、商人、政治家、発明家である。アスマ財閥の母体となるアスマ商会の創設者にして初代会長。三大発明家の一人。最終爵位は名誉伯
本書に記述のある同時代の偉人……ウェストリア一世、アスカ・タカナシ、レア・アスマ
概要
アスマ・ハルトは石鹸を発明し、アスマ商会を設立。石鹸を世界中に広げた。石鹸の広がりにより、帝国の衛生環境が飛躍的に改善され、赤子の死亡率が低下した。また大豆や米を仕入れ、本格的な栽培をした。これにより急激な人口増加が起こり、黄金時代の直接の原因となった。
功績
石鹸、味噌、醤油などの発明。アスマ商会の設立。米、大豆の本格的な導入。
生涯
青年期
十五歳の頃、東方(※諸説ある)からクラリスへ移住。石鹸を発明し、アスマ商会を設立した。この頃、後に妻になるロア・アスマ(サマラス)と出会い、同棲を始める。十六歳の頃、愛人(砂漠の民の文化では妻)になるアイーシャと出会う。砂漠の民とクラリスの講和に貢献する。十九歳の時、異例の若さで議員に昇格。政治家となる。大陸統一戦争ではクラリスに進駐した帝国兵に石鹸を販売。ウェストリア帝に謁見し、石鹸の注文を受けた。以来、帝室で使われている石鹸はアスマ商会(アスマ財閥石鹸部門)が製造した物である。
サマラス商会との戦い
二十歳の頃、レイムに支店を出す。その一か月後、リンガ、アルトに支店を次々と出し、商圏を広げていった。二十一歳の頃、スフェルトに支店を出す。当時スフェルトで大きな力を持って居たサマラス商会と争った。サマラス商会が殺人ギルドを雇い、ハルト・アスマを襲撃したことでサマラス商会の会長、レイナード・サマラスの悪事が明るみに出てレイナード・サマラスは逮捕された。サマラス商会の会長職は正当な後継者であったロア・アスマ(サマラス)に受け継がれ、アスマ商会に吸収された。この時、多くのヤクザ、腐敗政治家などが大量に逮捕された。
アスマ商会の広がり
サマラス商会を吸収したことでかねてからの問題であった人材不足が解決した。アスマ商会は支店を帝国全土に展開する。二十五歳の頃、砂漠の民と雪原の民とのコネを利用してアスマ商会傭兵部門を設立した。三十歳でクラリスで最も影響力のある商人となり、クラリスを経済的に支配した。同時期、娘のレア・アスマがグリセリンのニトロ化に成功、製法が解禁されたばかりの黒色火薬と組み合わせることでダイナマイトを発明した。この時アスマ商会火薬部門が成立した。ハルト・アスマ四十歳の頃、帝都ロサイスに支店を出し世界的企業になった。四十五歳の時、ウェストリア帝から名誉伯の称号を得た。
またこのころに味噌と醤油を発明した。味噌と醤油の材料である大豆、それに合う穀物である米を大規模に生産し始めた。当初は気候の問題で栽培は少量であったが、ハルト・アスマは異常なほどの情熱を大豆と米の生産に掛け、品種改良の末に成功した。同時に娘であるレア・アスマの提唱により小麦などの主要穀物の品種改良、大規模生産を開始し大成功を収める。これによりアスマ商会穀物部門が成立した。
晩年
五十歳の頃、会長職をレア・アスマに譲る。世界中をロア・アスマ、アイーシャと旅をした。この時、妖精に対する研究を開始する。ちょうどこのころから日記を書き始める。七十歳の頃、心臓の病を発症しクラリスに戻ることになる。八十二歳の頃、二人の妻、子供、孫に惜しまれる中、死去した。
家族
ロア・アスマ、アイーシャ(当時の砂漠の民は姓を持たない)、レア・アスマ含む九人の子供、二十人の孫。
ロア・アスマとアイーシャについて
ロア・アスマとアイーシャ、ハルト・アスマは非常に良好な関係であったと言われる。九人の子供のうち、誰がロア・アスマの子で誰がアイーシャの子かは現在の資料には残されていない。ただレア・アスマに関してはロア・アスマの子である可能性が非常に高い。
リリアーノ・アスマ
彼女はハルト・アスマの直系の子孫である。詳しくはリリアーノ・アスマの項目に記す。
出身地
ハルト・アスマは自らを東方出身であり、石鹸は自分の出身地の産物であると話した。だが石鹸はハルト・アスマが世界で初めて発明した物であり、他の地域には石鹸の原型に近い物はあっても石鹸そのものは存在しない。よって彼の出身地については複数の説が存在する。
東方出身説
東方とは今で言う大陸中央部を指す。説の根拠は彼の東方出身であるという発言である。だがハルト・アスマの外見特徴と大陸中央部の民族の外見特徴は一致しない。また石鹸のみならず米。味噌、醤油も存在しないので否定されている。
キリシア(西方)出身説
つまり東方出身であることが嘘であるという説だ。彼は語学が堪能で十代でキリス語、砂漠の民の言語、ガリア語、ロマーグ語、ゲルマニス語、騎馬民族の言語、狩猟民族の言語を操ることができたという。彼が東方出身であるならばキリス語、ロマーグ語、砂漠の民の言語はともかく、その他の西方のローカルでマイナーな言葉を知っていることはおかしいというのが根拠だ。もっとも彼の身体的特徴とキリシア人の身体的特徴はまったく一致しないので否定されている。
極東出身説
現在の通説である。根拠の一つは極東の民族の外見特徴とハルト・アスマの外見特徴が一致すること。二つ目は極東では米が主食で、大豆が一般的に食されていて、味噌や醤油に近いものも存在したことである。ただ石鹸に至っては原型になる物は存在しないので疑問視されている。
異世界出身説
いわゆるトンデモ説である。だが提唱者は多い。なぜなら彼自身の日記にそう記されているからである。(日記を書き始めた彼の年齢を考えると、認知症などの脳の障害があっても可笑しくないので、資料としては信用できるとは言い難い)また、異世界出身であるならばすべてに納得ができてしまうことも根拠の一つである。
終わりました。これでひとまず完結です。活動報告にあとがきを書きます。読んでくださると嬉しいです。




