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異世界商売記  作者: 桜木桜
第三章 拡大編 第三部
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第38話 占領

今回は長い

 議会が帝国に降伏することを宣言してから三日経った。クラリスの商人や職人たちは兵糧などの軍需品の用意や帝国兵士に売る商品、皇帝に献上する贅沢品の準備で追われていた。ハルトもまた忙しい商人の一人だ。


 「ハルトさん! 石鹸の追加注文です!」

 「またか! 六百ドラリアまで値上げしたのに衰える気配がないな。……七百まで上げれば良かったかな?」


 都市国家連合改めキリシア州には入浴の文化がある。これは元々帝国のエンダールス一世によって持ち込まれた文化だ。帝国には本国、属州すべての都市に入浴施設が存在する。帝国人は貴賤を問わず風呂に入る人間なのだ。

 だが王国改めゲルマニス州には入浴の文化がない。独立の際に帝国の文化を嫌った王国貴族が帝国の作ったインフラ、娯楽施設のほとんどを破壊してしまったのだ。ゲルマニス人は三日に一度、水浴びすれば綺麗好きな方だ。


 帝国の兵士は戦争中の約二か月、風呂に入っていない。王都での入浴を期待した帝国の将兵もいたようだが残念ながら風呂は王都にはほとんどなかった。

 つまり二十万以上の人間が風呂に入りたくてたまらない状況なのだ。だからクラリスの入浴施設の関係者は準備に追われている。

 今のクラリスでは石鹸は入浴の必需品だ。だからアスマ商会には莫大な量の石鹸の依頼が舞い込んできたのだ。


 石鹸は急に用意できるものではない。最速で二週間はかかる。だが幸運にもアスマ商会には莫大な量の石鹸の在庫があった。


 「売り渋りしておいて良かったな。戦争がいつ終わるか分からなかったから材料を節約するための処置だったが……こんなことに役に立つとは」

 ハルトは材料費の高騰を理由に石鹸を値上げして売り渋っていたのだ。値上げしても欲しがる人間もたくさんいたが、材料がないと言われてしまえば引き下がるしかない。


 「おい、アスマ。儲かっているみたいだな」

 そう言ってドアを開けて入ってきたのはユージェックだ。とても機嫌が良さそうだ。

 「お前ショックからは立ち直ったのか?」

 ユージェックは王国貴族に借金を踏み倒され、莫大な資産を失ったのだ。三割弱を失ったという噂もあれば七割以上も失ったという噂もある。中には破産寸前という噂も流れていた。元気そうなところを見る限り、破産寸前の噂はユージェックに恨みのある人間の願望だったようだ。

 「ああ。過ぎたものは仕方がなからな。取り敢えず皇帝陛下に頼んで生き残っている貴族からの回収を手伝ってもらうことにしている。皇帝陛下は王国貴族の力を弱らせたいだろうから協力してくださるだろう」

 ユージェックは笑いながら言った。完全に立ち直ったようだ。


 「それでだ。陛下に頼み事をするならまずは心象を良くして置かなくてはならない。俺は陛下を風呂で接待することにした。処女奴隷はまだ売れてなかったからな。そいつらに陛下の体を洗わせる。陛下は女好きらしいからな。お喜びになられるだろう。本題に入るが石鹸を売ってくれ。一番いい石鹸だ。お前も宣伝になるんだから悪い話じゃないだろう?」

 ユージェックの言葉にハルトは頷く。

 「それは俺も考えてたところだよ。料金はいらない。その代りしっかり宣伝してくれ。……ついでに聞くがお前、陛下の悪口ずっと言ってたがその辺どうなんだ?」

 ユージェックはハルトを睨んで答える。

 「強い者に媚びるのは商人として当然だろ。あとお前、陛下に俺のことをチクってみろ。破産させるぞ」

 「俺がお前に破産させられるよりお前の首が飛ぶ方が早そうだが……まあ、言わないよ。得がないしな」

 ハルトが軽口を叩いていると、ロアが奥から木箱を持ってくる。


 「これがアスマ商会で一番良い石鹸です。新作なんです」

 ロアはそう言って木箱をユージェックに渡す。ユージェックは木箱から石鹸を取り出す。その石鹸は少し黄色がかかった白色だ。

 

 「これは……甘い匂いがするな。薔薇か?」

 「半分正解だな」

 ハルトは得意気に説明する。

 「これは牛乳石鹸に蜂蜜と薔薇の香油を混ぜたものだ。材料費は高いが質はかなりのものだよ。ちなみに木箱は職人に作らせた物で二万もする」


 西方では蜂蜜は高級品だ。数少ない甘味料であるのと同時に、薬でもあるのだ。庶民が手を出せる価格ではない。薔薇の香油も同様で貴族などの一部の富裕層に愛されている。


 「ちなみに価格は二十万だ」

 ハルトは値段を告げる。二十万は高すぎると考えてしまうのは普通の庶民だからで、世の中には美容の為なら何千万掛かっても良いという人間はいる。この蜂蜜石鹸は二万も二十万も対して変わらないだろうと考えられる人間相手の商品だ。


 「なるほど。取り敢えずサンプルとして貰っておくよ。使い心地が良かったら使わせてもらう」

 ユージェックは木箱を持ち去っていく。金を払う気はないようだ。ハルトは陛下に献上する分は金は払わなくていいという意味合いで言ったのだが、ユージェックに少し勘違いした状態で伝わってしまったようだ。今更訂正するのもバカらしいのでハルトは黙ってユージェックを見送った。


_______


 ロアとマリアは門のすぐ近くにいた。これからクラリスを占領する将兵や皇帝の顔を拝むためだ。ロアとマリア以外にもたくさんの野次馬が集まっている。恐怖もあるが、好奇心がそれに勝っているのだ。


 「「皇帝陛下万歳!! 皇帝陛下万歳!!」」


 クラリス市民が歓声を上げて門をくぐる帝国軍を歓迎する。マリアは群衆に交じりながらそれを見てため息をつく。

 「みんな掌ひっくり返すの早すぎ。わけわかんない。占領されるのに……不安とかないのかな?」

 マリアの呟きを聞いたロアが答える。

 「でも逆らっても仕方がないですからね……土下座するなら徹底的にしないと。それに二十万の兵士が駐留するってことは人口が一時的に二十万増えると考えることもできますし。世の中考えようですよ」

 マリアはロアの言葉を聞いても納得いかなそうな顔だ。唇を尖らせて言う。

 「うちのお父さんなんて図書館でロマーノ料理を調べて試作してるんだよ。帝国兵に媚びる気満々。クラリス市民として誇りとかないの?」

 ロアは苦笑する。ハルトも石鹸を帝国に売り捌く気満々だからだ。しかも皇帝に献上品まで渡すつもりだ。まったく耳が痛い話だ。

 「ところでお兄さんはどうしてるの?」

 「ハルトさんは皇帝陛下をお出迎えしてます。議会でこれからのことを話し合うんだそうですよ」

 ハルトも一応議員である。議員らしいことはまったくしていないが。


 「治安とか悪くなるのかなあ……」

 「どうでしょう? 王都では略奪は行われなかったそうですよ。村では食糧を分け与えたりしたそうですし。その辺は心配する必要はないんじゃないですか?」

 「略奪するものがなかったからじゃない? クラリスは豊かだから狙われてもおかしくないと思うけど……うちも傭兵を雇って自衛しないと」

 治安の悪化はある程度目を瞑るしかないだろう。クラリス市民にできることは傭兵を雇って自衛するか、占領軍の慈悲にすがるしかない。


 「何事もないと良いですけどね」

 ロアは呟いた。


_______



 一方ハルトは議会にいた。ハルト以外の議員も集まっている。普段の議会と違うのはイスや机が撤去されて、簡易玉座が置かれていること。その玉座には皇帝が座っていること。大勢の騎士が帯刀して皇帝の周りに控えていること。ハルト達が膝をついて頭を下げて、それを皇帝が見下ろしていることだ。


 「我が国に降伏したのは賢明な判断だった。クラリス市民の生命と財産を守ったのはそなたらの功績だ。その功績を称え、男爵位を授けよう」

 侵略者が図々しく言った。ハルトは何か言ってやろうと思ったが、命が惜しいのでやめる。

 「今から男爵位の証である宝剣を下賜する」

 皇帝……ウェストリア帝がそう言うと騎士が宝剣を持ってきて議員一人一人に下賜する。ウェストリアはそれを眺めているだけだ。皇帝の目の前で下賜されるのはそれだけでも名誉なことだが、貴族制のないクラリス市民である議員達は不満そうだ。


 「軍需品が集まりしだいクラリスを経つ。クラリスには治安維持(・・・・)のために三万の軍を駐留させる」

 ウェストリア帝の言葉に議員達の顔が引きつる。補給が終わったら軍はいなくなると思っていたからだ。実際、条約には兵を駐留させることは書いていない。

 

 「へ、陛下、兵の駐留は聞いておりませんが……」

 勇気ある議員が恐る恐るウェストリア帝に物申す。ウェストリア帝は発言した議員を穏やかな顔で見つめる。

 「クラリスはどこの国だ?」

 「都市こ……帝国です」

 議員は都市国家連合と言いそうになり、慌てて修正する。ウェストリア帝はそれを気にした様子はせず、言葉を続ける。

 「余は誰だ?」

 「て、帝国の皇帝陛下です」

 議員は声を震わせて答える。ウェストリアの顔は穏やかだ。だがそれが逆に怖い。質問の意図が見えないことも恐怖を拍車させる。


 「帝国の皇帝はどのような権限を持っているか知っているか?」

 「は、はい。まずは行政権。そして帝国議会の発議、拒否権。人事権。最高神祇官です」

 ウェストリア帝は満足下に頷いて言う。

 「大体あっているな。だが重要な物が抜けている。全軍指揮権(インペリウム)だ」

 議員はウェストリア帝の機嫌を損ねたのではないかと顔を真っ青に染め上げる。ウェストリア帝は表情を変えずに続ける。

 「全軍指揮権(インぺリウム)は帝国内の兵士すべてに号令をかける権限だ。つまり余はこの国のどこにでも兵を駐留させることができる。分かったかな?」

 議員は首を大きく縦に振る。その顔は気の毒なほど真っ青だ。

 「さて、他に何か疑問はあるか? 分からないことがあるなら聞くといい。余に答えられる内容ならいくらでも答えよう」

 ウェストリア帝はラベンダー色の瞳で議員達を見回す。ハルトを含めて議員達は押し黙ってしまう。その美しく輝く瞳には人を納得させ、支配させる力があった。


 議員達が何も言えなくなるのをウェストリア帝は見て立ち上がろうとする。それを議員の一人が引き留める。ユージェックだ。

 「何だ? ユージェック・マルサス殿」

 ユージェックは目を丸くする。自分の名前を憶えていることに驚いたのだ。


 「いえ、実は我々議員一同は陛下を歓迎するために準備をしていまして。お風呂とお食事を御用意しています。どちらからがよろしいですか?」

 ユージェックの言葉にウェストリア帝はあからさま嬉しそうな顔をした。

 「そうか、じゃあ風呂からいただこうか」

 ウェストリアは笑って言った。


_____



 「というわけで三万の兵が駐留することになったわけだ」

 「それはまた……強引ですね。降伏したからには仕方がないですが」

 ハルトは議会であったことをロアに話す。ハルトもロアも占領軍には悲観的ではない。もともとクラリスは二級市民の影響で治安はお世辞にも良くないし、人口が三万増えると考えればいいだけだ。


 「ところでウェストリア帝はどんな人ですか? イケメンだと聞いたんですが」

 ロアは身を乗り出してハルトに聞く。兵の駐留よりも興味があるような顔をしている。第四次帝王戦争を勝利に導いたかのフリードリヒ王を討ち取り、西方を統一した人間だ。今、ウェストリア帝は話題の渦中にあるのだ。

 「うーん、イケメンというか美青年だったな。実は女ですって言われても納得するくらいだ。というか実は女だったりしないか?」

 「さすがにそれはないんじゃないですか? 女好きと聞きますし」

 ロアはハルトの『ウェストリア帝女説』を否定する。とはいえウェストリア帝は実は女なのではないかと疑ったのはハルトだけではない。帝都でもウェストリア帝は実は女という噂は存在する。だがウェストリア帝に抱かれた女は数多くいるので完全にガセネタだ。中にはウェストリア帝は女でしかもレズと主張している人間もいるが。


 「他に印象は?」

 「そうだな……髪と目がキレイだったな。宝石みたいだった」

 「なんか口説いてるみたいな表現しますね」

 ハルトは肩を竦める。実際に宝石のようだという印象を受けたのだから仕方がない。

 「でも怖かったな。いつでもお前たちの首を刎ねられるっていうような目だった。表情は穏やかなんだが目が笑ってないんだよ。ああいう人間とはお近づきにはなりたくないね」

 ハルトの言葉にロアは首を傾げる。いまいち想像ができないのだろう。


 「でそのウェストリア帝は今頃処女奴隷と一緒にお風呂に入っているわけですか。ハルトさんの石鹸、気にいるといいですね」

 「まあな。でも自信はあるぞ。偏見さえなければあれは泡の実よりもずっと良い物だからな」

 ハルトは自信ありげに言う。間違いなく気にいって貰えると確信しているのだ。


 

 「あ! ハルト、お疲れ様。どうだった?」

 ハルトとロアが話していると、アイーシャがやってくる。なぜか顔が赤い。

 「無事終わったよ。……お前酒臭いな。真昼間から飲んでるのか?」

 ハルトは顔をしかめる。ハルトは異世界に来てから酒を飲むようにはなっているが、さすがに昼から飲まない。あくまで嗜む程度だ。特にハルトの家には飲むたびに潰れてリバースする人間がいる。ハルトはそれを反面教師にして絶対に暴飲はしないのだ。


 「実は帝国には砂漠の民だけで構成された部隊があってさあ。その人達と飲んできたんだよ。お爺ちゃんに親書を渡すために橋渡しをしてくれって頼まれてね」

 そう言われてハルトはアイーシャが砂漠の民の族長の孫であることを思い出した。ついつい忘れてしまうのだ。

 「それは大変だな。ところであの人……ウマルさんは受け入れるのか? 朝貢しろとか、降伏しろとかそういう内容だろ?」

 ハルトはアイーシャに聞く。あの気難しそうな筋肉達磨がウェストリア帝の上から目線の親書を受け取るとは思えない。

 「大丈夫。お爺ちゃんはああ見えて頭柔らかいから。利益が出るなら受け入れると思うよ。まあ、帝都まで来て土下座しろ何て内容ならさすがに蹴るかもしれないけど。手紙だけで臣下の礼をとるくらいなら普通にするよ」

 アイーシャが笑いながらハルトの疑問に答える。言われてみるとウマルはハルトの商談を受け入れたりと、柔軟な対応をしているように見える。人は見かけに因らないのだ。

 ウェストリア帝もわざわざ砂漠の民を怒らせるような書き方はしないだろう。砂漠の民と矛を交えても帝国にはまったく利益がないのはエンダールス一世の敗戦で証明されている。


 

 ハルト、ロア、アイーシャが話していると衛兵が息を切らしながら走ってくる。衛兵はハルトを見つけると敬礼して言った。

 「ハルト・アスマさまですね。陛下がお呼びです!」

 ハルトは待ってましたとばかりに衛兵に着いて行った。


_____

 

 

 ハルトが案内されたのはホテルだった。ハルトがユージェックたちを招いて密会をした高級ホテルだ。ウェストリア帝は足を組んでハルトを見降ろしていた。

 「ご苦労だ。お前は下がるといい」

 ウェストリア帝の言葉に衛兵は頭を下げて部屋をでる。部屋にはハルトとウェストリア帝の二人だけだ。


 「ふむ、加護持ちか……言霊の加護、ずいぶんと便利な物を持っているな。羨ましい限りだ」

 ウェストリア帝はニヤリと笑う。対照的にハルトの顔は引きつった。

 「そう警戒するな。余は『千里眼の加護』というのを持っている。これはまあまあ便利な加護でな。遠くを見たり、透視したり、相手が何の加護を持っているかも分かるのだ」

 ウェストリア帝は大したことではないというように言った。ハルトとしては戦々恐々だ。

 「安心しろ。余はお前の加護を誰かに話したりはしない。だからお前も『千里眼の加護』については誰にも話すな」

 ウェストリア帝は優しそうな声で言う。ただし目は笑っていない。ハルトは返答の代わりに深く頭を下げた。


 「さて、余がお前に『千里眼の加護』について話したのはお前が欲しいからだ」

 ハルトは一瞬混乱した。古代ローマではホモは一般的という豆知識が頭をよぎる。同時に『ウェストリア帝女説』を思い浮かべた。

 「あ、説明が足りなかった。性的な意味ではない。私は男色家でもないし、女でもない」

 ウェストリア帝は楽しそうに笑う。わざと言ったようだ。ハルトは胸を撫で下ろした。


 「お前の石鹸は素晴らしい物だ。その加護もな。帝都に来い。俺は帝国中興の祖と呼ばれる自信がある。俺について来ればお前の名も載るぞ」

 いつの間にかウェストリア帝の一人称が余から俺に変化している。それだけ本気だと言うことだ。

 「陛下、勧誘は嬉しいのですが……お断りします」

 ハルトがウェストリア帝の勧誘を拒否すると、ウェストリア帝は身を乗り出した。

 「金か? 女か? それとも爵位か? どれが欲しい、何でもやろう」

 ウェストリア帝はハルトに魅力的な提案をする。ハルトは清廉潔白な人間ではない。異世界に来てすぐのころだったら金も女も爵位もすべて貰って喜んでウェストリア帝について言っただろう。だが今は違う。


 「私にはやらなくてはならないことがあるのです。それを成すまでは。それに私は陛下の言うほど有能な人材ではございません」

 ハルトにはロアの両親の仇を討つという大きな目標がある。少なくともそれを成すまではクラリスを離れられない。

 「そうか、それは残念だ。気が変わったらいつでも宮殿の門を叩け。いつでも向かい入れよう」

 ウェストリア帝はあっさりと引き下がった。やる気のない人間を強引に誘っても意味がないと言うことだろう。


 「さて、話は変わるがお前の石鹸……蜂蜜石鹸を購入したい。あとサンプルとして普通の石鹸、高級石鹸、牛乳石鹸もな。蜂蜜石鹸は一千個、他の石鹸は百個ずつだ。いつまでに用意できる?」

 ハルトは在庫や生産速度を思い浮かべてから答える。

 「蜂蜜石鹸は一か月はかかります。申し訳ありません。他の石鹸は今すぐご用意できますが」

 ハルトの返答にウェストリア帝は顔をしかめた。

 「そうか……三日から一週間以内にクラリスから出なくてはならない事態が発生する予定だからな。一か月も待てんな」

 ウェストリア帝はぶつぶつと呟いてからハルトに言った。


 「数か月後に北キリシア州総督府が置かれる予定だ。そこに石鹸を届けろ。いいな」

 ハルトは頭を下げる。帝都まで運べと言われるかもしれないと思っていたからだ。総督府が置かれるとしたらリンガかクラリスのどちらかだ。近所で住むならそれに越したことはない。ハルトはそれを了承して頭を深く下げ、退室した。


 一人になったウェストリア帝は呟く。


 「そう言えばあいつの髪、アスカとおんなじ色だったな。目の色も肌の色も。黒髪黒目なんてアスカ以外に見たことないが……偶然か。案外、俺が知らないだけで黒髪黒目は一般的なのかもな」


 案外気が付かないものだ。



______



 「よし! ウェストリア帝から注文を受け取ったぞ。一か月後に蜂蜜石鹸一千個だ」

 ハルトはロアに戦果を報告する。ロアは顔を綻ばせた。

 「やったじゃないですか。『皇帝陛下も愛用』って宣伝すれば売れること間違いなしですね!」

 ロアは嬉しそうに笑う。アスマ商会はクラリスのローカル商店で、世界的知名度はサマラス商会の方が圧倒的に上だ。これから支店を展開する上で『皇帝陛下も愛用』の売り文句は役に立つ。


 「ところで一千個も買ってどうするつもりなんですかね? 一か月に一個でも八十年は掛かりますよ」

 「土産じゃないか? 派閥の貴族とか愛人とか家臣とかに配るんだろ。だとすると帝国貴族からの受注が増えそうだな。一千個だけじゃなくてもっと作らないと」

 ハルトとロアは皮算用を始めた。


_____


 帝国軍がクラリスに駐留して三日後、ガリアの北東鎮台では慌ただしく兵が動いていた。総勢一万五千の兵士が武器を持ち、隊列を組んでいる。


 戦である。


 では敵は誰なのか。騎馬民族か? 否、彼らとは停戦か結ばれている。今、ウェストリア帝と共に肩を並べて戦った彼らが帝国を攻めるとは考え難い。では王国か? 否、王国は当に滅んでいる。

 

 北東鎮台の司令官であるラゴウ将軍が姿を現す。彼の横には十二歳ほどの子供がいた。


 「皆のもの、よく聞け。この方は亡きペンティクス殿下の御子息であるレイス殿下だ!」

 ラゴウ将軍は演説を始める。内容は卑劣な策で殺されたペンティクス皇子の仇を討ち、暴君ウェストリア帝から帝位を簒奪しようというものだ。


 将兵たちは夢中でラゴウ将軍の言葉に耳を傾ける。北東鎮台にいる将兵はすべて元ペンティクス派だ。元々要地や中央に配属されていたのに、ウェストリア帝によって北東鎮台という辺境に飛ばされた人間だ。中には爵位を剥奪された者や、身内が処刑された者もいる。帝位簒奪に加担することに何の戸惑いもなかった。


 演説はレイス皇子の言葉で締めくくられる。その言葉はたどたどしいものだが、亡きペンティクス皇子の面影があった。将兵の中には号泣する者もいた。


______



 「本当に勝てるのか? ラゴウよ」

 レイス皇子は心配そうに聞いた。レイス皇子はまだ十二歳だ。当然ながら戦に出たこともなく、用兵もろくに学んでいない。ウェストリア帝から逃れるのに必至だったからだ。心配するのも当然だ。

 「勝率は三割です。確実に勝てるとは言いませんが、この機会を逃したら次はありません」

 ウェストリア帝は西方の統一というエンダールス一世と同じ偉業を成し遂げてしまった。これからウェストリア帝の権力は高まり、元ペンティクス派に勝ち目はなくなる。レイス皇子を隠しておけるのも時間の問題だ。

 

 ウェストリア帝は敵が多い。元ペンティクス派以外にも他の元皇子の派閥や、ウェストリア帝の中央集権化政策に反対の地方豪族、そして元老院。

 ウェストリア帝の派閥の軍人、貴族の多くは戦争で国外にいる。国内に残っているウェストリア帝の兵力は一万前後。十分に勝ち目のある数字だ。勝負は二か月。ウェストリア帝に内乱の報告がなされてから帝都に帰還するまでの間で帝都を陥落させ、元老院を脅して帝位をレイス皇子に移すのだ。あとは全軍指揮権(インぺリウム)で兵を集めて、相次ぐ戦いで疲弊した遠征軍を倒すのだ。

 「そうか、信頼しているぞ」

 レイス皇子は無邪気にほほ笑む。ラゴウ将軍はその微笑みを見て決意を新たにする。


 「ラゴウ将軍、俺抜けていいですか?」

 将兵たちが気を引き締めているところで間抜けな声が響いた。声を発したのはぼさぼさの髪の男だ。気ダルそうな表情を浮かべている。

 「勝てませんわ、この戦。俺は命大事にがモットーですので。前金は返す」

 そう言って金貨の詰まった袋をラゴウ将軍に投げ渡した。ラゴウ将軍は顔を真っ赤にして袋を床に叩きつける。

 「貴様! お前が剣聖などと謳われるようになったのはペンティクス殿下が蛮族であるお前を登用したからだぞ。御恩を果たそうという気持ちはないのか!]

 男は肩を竦める。

 「御恩って言ってもねえ……お金だけの清い関係だし。一番金払いが良さそうで勝てそうだったのがペンティクス皇子だっただけだし。ああ、ウェストリア帝に仕えれば良かったな」

 男の発言に血の気の多い将軍たちが剣の柄に手を置く。それを見て男はニヤリと笑う。

 「待て、セリウス。お主この戦負けると言ったな? その根拠は何だ」

 レイス皇子は周りの将軍を諌めて男……セリウスに聞いた。セリウスは肩を竦めた。


 「勘ですね。しいと言えば上手く行き過ぎてるかなあと思って。それに不自然だ。あのウェストリア帝の性格から考えればラゴウ将軍が今息をしているほうが不思議だし、北東鎮台なんかに左遷するなんてあり得ない。しかも国内の兵力の大部分を遠征で国外に出すなんてあり得ないミスだ。ウェストリア帝がそんなミスをするような男ならペンティクス皇子は今頃皇帝だよ。それにあのリュティス候が腰の怪我? 都合が良すぎるなあ。間違いなく罠だね」

 「貴様はそんな憶測で我々が負けるというのか!!」

 ラゴウ将軍の言葉でセリウスが肩を竦めた。憶測にすぎないことは自覚しているのだろう。


 「というわけで抜けさせてもらいますね。レイス皇子。ご安心を、決して情報は話しません」

 セリウスは優雅に一礼する。将軍のうちの一人がその言葉で爆発し、セリウスに斬りかかった。セリウスは相手の剣を人差し指と親指で掴み、手首を捻って剣を破壊する。

 「俺と戦いますか? 雪原の民である俺と? まだ帝位簒奪の方が勝機があるんじゃないですかねえ」

 にやにやしながらセリウスは言った。レイス皇子は今にも斬りかかろうとしている将軍達を諌めた。

 「剣をしまえ。あやつは剣聖だぞ。討ち取るには最低でも百はいる。兵を減らすのは得策ではない」

 主君に諌められて、将軍達は剣をしまう。ただし、いつでも抜き放てるように柄に手を置いたままだ。

 「これは賢明なご判断です。我々雪原の民に勝てるのは砂漠の民か牙竜くらいでしょうから。では失礼しますね。ぜひ頑張ってください」

 セリウスへらへらとした笑みを浮かべて去っていく。ラゴウ将軍はレイス皇子に詰め寄った。


 「殿下、あのような男の言葉は忘れてください。所詮あやつは蛮族の傭兵。我々は必ず勝てます」

 「分かっておる。お前は帝国一の将軍だ。この戦は勝ち戦だ」


 レイス皇子と将軍達は遅くまで軍議を交わした。


______


 「さてどうするか。職なくしちまったな。どこへ行こう」

 セリウスはふらふらとした足取りで歩き始める。体調が悪いわけではない。元々こういう歩き方なのだ。

 「所持品は剣一本とロマーノ銀貨一枚。肉食ったらあっという間に無くなっちまうなあ。帰りてえ、母さんの手料理食いてえ」

 セリウスは遠い故郷、西方の人間が北方と呼ぶ針葉樹林のさらに北の永久凍土不毛の地に思いを馳せる。家出した身であるため今更帰ることはできない。

 「まあ、なんとかなるかあ。俺、剣聖とか言われてるし」

 セリウスは東に向かって歩きだした。


______


 ラゴウ将軍とレイス皇子の反乱の報は数時間でガリアと旧王国領を結ぶ関所に伝わった。関所の一室には十人の魔術師がいて、大きな水晶玉を囲んでいた。床には大きな魔法陣が描かれている。

 「やはり陛下の読み通り反乱が起こったか。早速知らせるぞ」

 魔術師たちは水晶玉に手をおく。この水晶玉と床の大きな魔法陣は共鳴の魔法具だ。演劇で使われるようなチャチな物ではなく、帝国の魔術省が極秘で開発した大がかりの物で発動には莫大な量の魔石と一流の魔術師が必要だ。複雑な動きを伝えることは難しいが、遥か遠方にまで魔術を届かせることができる。

 魔術師たちが念を送ると水晶玉は振動を始める。振動には一定の規則があり、大きな振動と小さな振動が組み合わさっていた。

 共鳴の魔術はガリアの関所から十キロ先にある山小屋に設置された水晶に届く。山小屋にいる魔術師達は水晶の振動を読み取り、別の水晶玉を使って十キロ先の水晶玉にまったく同じ振動を共鳴で伝える


 こうしてリレー方式によって振動はクラリスにまで届いた。


_____


 「陛下、ガリアで内乱が発生したようです。総勢一万五千。陛下の読み通りですね」

 マルクスは振動から読み取った内容をウェストリアに伝えた。ウェストリアは大きく頷く。

 「そうか。では手筈通りに退却しよう。俺は騎兵だけで先行して、アベーレ中将と合流してラゴウを始末する。お前はアルトを攻め落として都市国家連合を完全に支配下に置いておけ」

 「は!」

 マルクスは片膝をついて頭を深く下げる。その顔に心配の色はない。


 元々この戦の主目的はウェストリアの権力基盤を強固にするためのものだ。そのためには反ウェストリア派の貴族が目障りだ。厄介なことに彼らは決して表だってウェストリアに反抗をしない。


 そこでウェストリアは一計を講じた。王国と都市国家連合の攻略を名目にウェストリア派の兵力を国外に出して反乱を誘発したのだ。そのために敢えてレイス皇子を見逃し、ラゴウ将軍配下を北方鎮台に左遷させた。

 ラゴウ将軍が帝都を落とすには最低でも三つの属州の関門を突破する必要がある。ウェストリアはあらかじめに関門に大砲と兵を配置させて、帝都まで進軍ができないようにした。またラゴウ将軍の通らなくてはならない属州は過去に一揆がおこった地域で、それを鎮圧したのはラゴウ将軍だ。農民による妨害と関門の守備兵力にラゴウ将軍は悩まされることになる。

 帝都はカトレア率いる近衛騎士団が守っていて、ガリアのリュティスには仮病で休んでもらっているリュティス侯爵もいる。守りは盤石だ。


 あとは王都に駐留する兵のうち歩兵三万ほどを全速力で移動させる。あらかじめ街道には松明と休憩所を設置してあるので無理な行軍が可能だ。ウェストリアは騎兵を率いて歩兵三万と合流して、疲弊したラゴウ将軍を討てばいい。

 その後ラゴウ将軍と戦わなかった貴族たちを処分して、この戦で功を上げた軍人たちを地方に置けば帝国はウェストリアの天下だ。


 「ラゴウ将軍は軍事の天才だ。だが相手が悪かった。なぜなら俺は鬼才だからな!!」

 ウェストリアは高笑いした。


_____



 「ウェストリア帝だけ帝都に戻るそうですよ。何があったんでしょうか?」

 ロアはパンを齧りながらハルトに聞く。ハルトは肩を竦めた。

 「知らん。そう言えば三日から一週間以内にクラリスを去るとか言っていたが……なんでだろう。ホームシックとか?」

 「内乱があったとかあり得ません? あの人敵が多そうですし」

 「だとしたら不味いが……でもマルクス将軍だっけ? あの人はアルトまで進軍するそうだぞ。反乱が起こったなら全軍引き上げないか?」

 二人はそろって首を傾げた。二人が真実を知るのは二週間後のことだった。

 

異世界版中国大返し。この戦でウェストリアは賢帝なんて呼ばれるようになりますが、それは別の話です。次回は戦後処理とクラリスの法律や税制度、身分制度の改正になります。

ちなみに共鳴の魔術具の振動はモールス信号になっています。


参考 帝国の身分制度(一部に例外有)


皇帝……一番偉い。いろいろな権限をもつ。伯爵や侯爵を兼任することもある

皇族……皇帝の家族。皇帝の妻、子供、孫、弟までが皇族に含まれる。


貴族……様々な特権を持つ。貴族を任命できるのは皇帝で、皇帝の権力によって貴族の力は大きく左右される。


大公……皇族の嫁を貰った同盟国(属国)の王など。世襲される。


公爵……皇帝の弟や子供に与えられる。五世代に渡って世襲される。五世代以内に皇族の血を取り入れない場合、取り潰しになる。血のプール。領地はほとんどない。


侯爵……属州に一人だけ置かれる。属州にいる伯爵の中で一番権力の強い人間がなる。ほとんどの場合世襲されない。三千以下の私兵を持っていい権限がある。伯爵を兼任する。


伯爵……日本で言う県知事。国境に置かれた伯爵は辺境伯と呼ばれる。基本的に世襲だが、あまり調子に乗ると転封されたり、降格されたりする。伯爵の代表は侯爵と呼ばれる。三百以下の私兵を持っていい。


子爵……伯爵と比べるとグレードが大きく下がる。日本で言う市長。


男爵……あまり偉くない。生活レベルは金持ちの商人と変わらない。金で変える唯一の爵位。世襲されない。高級官僚は大体持っている。ちなみに年金が毎月百万貰える。爵位の値段は約二十億。元を取るには百年以上生きる必要がある。


騎士……ほとんどの貴族は騎士学校に通うことで騎士の称号を持っている。地方騎士と近衛騎士で分かれる。地方騎士と近衛騎士は日本で言う地方公務員と国家公務員Ⅰ種ほど違う。


平民……税金を払っている国民。属州、本国どちらも平等の扱いを受ける

奴隷……物。都市国家連合よりも比較的人道的な扱い


神官……特別枠。身分の上下に囚われない。ちなみに帝国は多神教。

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