第37話 王都攻略
戦争はこれで終了
「おい、何だこの値上がりは!!」
ハルトは契約書を見て叫んだ。オリーブの価格が三倍に跳ね上がっていた。
「戦争の影響よ。敗れた王国海軍が海賊になってるの。それでオリーブの輸入が滞っているのよ」
ブランチは不機嫌そうに言った。ブランチも仕入れ価格の高騰に不機嫌なのだ。
「そう言えば帝国がゲリア平原で大勝したそうよ。フリードリヒ五世も討死したって。今は王大子が指揮しているそうだけど……そうなるのかしらねえ」
「もし王都が陥落したら次はクラリスですか?」
「考えたくないわね。戦争は当事者にはなりたくないものだわ。なんとしてでも王国には頑張ってもらわないと」
ハルトとブランチはため息をついた。
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一方帝国軍は順調に王都へ歩を進めていた。
「勝ったも同然だな。あとは王都を残すのみだ」
ウェストリアは機嫌良さそうにワインを飲んだ。
「本当に騎馬民族に王国北部をくれてやるんですか?」
マルクスは不満そうに言う。マルクスはロマーノ人だ。野蛮人に土地を分けるのが気に食わないのだ。
「ああ。約束だからな。そもそも王国北部は草原しかないような場所だ。統治してる方が無駄に金が掛かるだろう。騎馬民族に渡してしまった方が楽だ」
ウェストリアは笑って答えた。
「そう言えばフリードリヒ五世には妾の子供がいるらしいぞ。平民との間に生まれた子供だから扱いに困っているらしい」
王国は貴族と平民の身分差が激しい。帝国もある程度の身分差はあるが、妾の子供でもその貴族や皇族の子供として扱われる。だが王国では非常に微妙な扱いになるのだ。
「聞いたことがあります。確か十五くらいの姫だそうですね」
マルクスの言葉にウェストリアは頷く。
「本来なら王族は皆殺しだが……関係が薄いなら生かしてもいい。何なら俺の側室にでもするか」
ウェストリアの言葉にマルクスは呆れた表情をする。ウェストリアは慌てて付け足した。
「別に下半身だけで決めてるわけではないぞ? ゲルマニス人を効率良く支配するための方法の一つだからな」
ウェストリアとマルクスが戦後について話していると、天幕に鷲が入ってくる。鷲はゆっくりとウェストリアの腕に止まった。
「どうだった? 王国軍はいたか?」
ウェストリアは鷲と話をし始める。神言の加護を知らない人間から見たら気でも触れたかのように見えるだろう。
「ありがとう。少し休憩したらまた偵察に行ってくれ」
鷲は一声鳴いてから飛び去っていく。
「ここから一キロほど離れた場所にある森に王国の騎兵が伏しているらしい」
ウェストリアがそう言うと、マルクスは答える。
「陛下の加護は便利ですな。軽騎兵を向かわせましょう」
ウェストリアとマルクスは笑いあった。
帝国は順調に王都へ向かっていた。
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ゲリア平原の戦いから十日が経過した。王国の伏兵はすべて帝国に発見されてしまい、まったく足止めになっていなかった。帝国軍はわずか十日で王都にまで進軍した。
「あとは王都だけだな。それにしても酷いな。王国の飢饉は」
王国の飢饉は深刻な物だった。もともと小麦がまったくなかったのに加えて、王国が小麦を徴収したのだ。進軍する上で立ち寄った村では大量の餓死者が出ていた。
「おかげで兵糧が残り少なくなってます」
マルクスがため息交じりに言う。二十万以上の大軍を食べさせる上に、王国の村々に施しまでしたのだ。いくら兵站がしっかりしているとはいえ底を尽きるのは時間の問題だ。
「仕方があるまい。戦後のことを考えればな。あとは王都の城壁を破るだけだ。三日も掛からんだろう」
ウェストリアが呑気に言った。王都の城壁は高く、分厚が帝国には新型の攻城兵器がある。まったく問題にはならなかった。
「ハノール候爵が到着なされました!!」
伝令の兵がウェストリアとマルクスに言った。二人は会話を中断してハノール公爵改めハノール侯爵を迎えに行く。
「これはハノール候、初めましてと言えばよろしいかな?」
ウェストリアは笑顔で言う。ウェストリアは裏切り者は嫌いだが、丁重にもてなさなくてはならない相手だ。
「陛下。お会いしたかったです。ところで私から提案があるのですが」
「どうしましたか、侯爵」
ウェストリアは少し嫌味を込めて侯爵と強調する。ハノール侯爵はそれには答えず、笑顔で言った。
「王都攻めは私どもの兵を使ってください。陛下に忠誠を示したいのです」
ウェストリアは「言われなくともそうするつもりだった」という言葉を飲み込んで笑顔で答える。
「分かりました。ではお任せしましょう。頼りにしていますよ」
ハノール侯爵はうやうやしく頭を下げた。
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王都攻略戦が始まった。城を攻撃するのは王国を裏切った貴族たち。帝国軍は安全な位置から攻城兵器で攻撃を加えるだけだ。
「楽な戦だな」
「はい。それにしてもハノール候爵は意外に働きますな」
ハノール侯爵は積極的に王都を攻めていた。つい前まで王国の貴族だったとは思えない。
「本当だな。少しは評価を改めようか」
ウェストリアがそう言った時、王国の王城に旗が上がる。二つの王国の国旗が交差している。
「降伏交渉か。良いだろう。マルクス、攻撃をやめるように指示しろ」
しばらくして帝国の攻撃が止んだ。
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「さて何の提案かな?」
ウェストリアは縛りつけた使者を見下ろしながら言った。交渉などしなくとも帝国の勝利は揺るがない。それがウェストリアが強気である理由だ。
「王大子殿下は王都を開城なさるおつもりです。ですがそれには条件があります。一つは王都を略奪しないこと」
ウェストリアは王都を略奪するつもりなどさらさらない。折角手に入れた土地を灰にしてしまうほど愚かなことはないだろう。
「もう一つは王族の存続です」
つまり自分の命は助けてくれという意味だ。使者の言葉にウェストリアはニヤリと笑った。
「ところで聞くがあなたの言葉は王大子殿下の言葉と同じと思ってよいかな」
「はい。王大子さまには全権を与えられています」
ウェストリアは使者のことばに大きく頷いた。
「その条件、飲もう。だがこちらからも条件がある。王族の存続についてだ。つまり誰か一人でも王族が生き残っていれば良いわけだ。エレイン王女、彼女以外の王族には死んでもらう」
ウェストリアの言葉に使者の顔は凍りついた。使者は口ごもる。それでは肝心な王大子の命が助からない。しかもエレイン王女はフリードリヒ五世の妾の子供だ。王国では王族か、そうでないのか微妙な扱いになっている。
「それは……」
「受けるのか、受けないのか。はっきりしてもらいたい。我が国の兵は血に飢えているぞ」
ウェストリアは軽く演技する。使者は真っ青な顔で言った。
「分かりました。王都を開城いたします」
こうしてエレイン王女を除く王族二十人の血と引き換えに王都市民の命は守られた。
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「さて、こうして王都が手に入ったわけだが」
ウェストリアは玉座に座りながら言った。
「陛下、それで統治のことなのですが……」
ハノール侯爵は手もみしながら言った。彼が帝国に裏切ったのは広大な領地が目当てなのだ。
「それについては後で話し合おう。我々にはまだ一仕事残っている」
ウェストリアは笑いながら言った。ハノール侯爵は首をかしげる。こうして王国が落ちた以上、他にすることなどないように思える。
「都市国家連合だ。これで西方の統一がようやくなされる。」
ウェストリアの言葉にハノール侯爵は目を見開いた。彼はウェストリアが都市国家連合を狙っていることを聞いていなかったのだ。
「陛下。私たちに都市国家連合を……」
「いや、その必要はない。あなた方の忠誠は十分に分かった。別に頼みたいことがある」
「何なりと」
ハノール侯爵は頭を下げる。ウェストリアはハノール侯爵の態度を満足そうに見る。
「松明と馬を集めてくれ。詳しくはアベール中将に聞いてくんだ。私はマルクスと都市国家連合について話してくる」
ウェストリアはそう言った玉座を後にした。
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「マルクス、早速都市国家連合に向かう。まずはクラリスに向かう」
ウェストリアはマルクスの顔を見て早々に言った。
「ですが陛下、兵糧が足りません」
マルクスは申し訳なさそうに言った。王都市民にも食糧を配ったせいで帝国の兵糧は底を尽きている。
「マルクス、この飢饉の原因は何だ?」
ウェストリアは唐突にマルクスに聞いた。マルクスは首をかしげる。
「不作と戦ではないですか?」
ウェストリアは頷く。
「だが他にも原因がある」
マルクスは必死に考えるが何も頭に浮かばない。マルクスは軍人だ。政治や経済はお門違いなのだ。
「商人だ。商人が小麦やライ麦を買い占めた。これが一番の原因だ。そして商人といえばクラリス、リンガだ」
ウェストリアがそう言うと、マルクスはようやくウェストリアの意図に気付く。
「なるほど。クラリスとリンガの商人から買えばいいわけですな」
ウェストリアは大きく頷いた。
「分かったな。まずは降伏勧告をすべての都市国家に出す。あとヒュピアに連絡してリンガを占領させろ」
ウェストリアの指示で将軍たちがあわただしく動き始める。ウェストリアは楽しそうに微笑んだ。
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王都陥落から一週間後の昼、ハルトとロアはウンディーヌで食事をしていた。
「旨いな、このペペロンチーノは。昨晩ロアが作ったペペロンチーノに比べると断然旨い」
「ハルトさん。何度も言いますが昨晩のペペロンチーノが不味かったのは私の腕が悪かったのではなく、オリーブが悪かったんです。石鹸用のオリーブを使ったからなんです!」
ロアの言葉にマリアが苦笑する。
「お姉さん……あんなに質の悪いオリーブ使ったら不味いのは当たり前だよ。ぺペロンチーノは調理は簡単だけど、だからこそ素材の味と料理人の腕が大切な料理なんだから」
ロアは頬をふくらます。ハルトはそんなロアの頬を指で押す。耐えきれなくてロアの頬から空気が漏れた。
「それにしても旨いな。さすがマルソーさんだ。昨日のロアのペペロンチーノは絶望的な味だったからな。絶望パスタなだけに」
「ハルトさん。上手いこと言ったみたいな顔してますけど全然面白くないですよ」
痴話喧嘩を始める二人。マルソーとマリアは呆れた目で二人を見る。
「ハルト・アスマさまはいらっしゃいますか?」
店内に大きな声が響く。ハルトが振り返るとドアに衛兵が立っていた。衛兵はハルトの胸についているバッジを見つけると、ハルトに近づいていく。
「緊急会議が開かれました。至急議会に向かってください!!」
ハルトは一瞬首をかしげる。ロアはそんなハルトを見兼ねて耳打ちする。
「緊急議会です。招集されたらすぐに向かわなくてはいけない会議ですよ」
ロアに言われてハルトは思い出す。
「ハルトさんのペペロンチーノは私が処分しておきますので早く行ってください」
ロアに後押しされてハルトは議会に急いで向かった。
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「遅いぞ、アスマ! お前が最後だ。変なところで飯を食ってるんじゃない!! もっと高級なところで飯を食わないと衛兵がお前を見つけられないだろ!!」
議会に入るとユージェックがハルトに怒鳴った。かなり機嫌が悪そうだ。
「何でお前に飯を食うところを指図されなきゃならん」
ハルトは言い返しながら椅子に座った。
「では早速議題に入りたいと思います。まずはこれを読んでください」
議員全員に紙が配られる。タイトルは降伏勧告だ。
内容をまとめるとこうだ。
・クラリスは武装を解除して、帝国軍に都市を明け渡すこと
・食糧を帝国軍に時価で売り払うこと
・降伏するのであればクラリスの自治はある程度保障される
・議員の身分は保障される。議員には男爵の爵位を授与する
・なお、降伏しないのであればクラリス全市民の生命と財産は保障されない
ハルトが紙を読み終わると、紙が破ける音が響く。ユージェックだ。
「ああ、ふざけやがって。帝国のせいで俺は大赤字だ!!」
ユージェックは王国貴族に金を貸していた。だが今回の戦争で王国貴族の多くが戦死、処刑、投獄、転封されることになった。ユージェックは莫大な借金を踏み倒されたのだ。ユージェックは借金を返さない人間を地の果てまで追いかけてきたが、さすがにあの世までは追いかけることはできない。
「まあまあ、マルサスさん。落ち着いて」
ブランチが穏やかな表情でユージェックを宥める。
「急報です! リンガの海軍が壊滅、帝国に降伏しました!」
それを聞いた途端、ブランチの顔が一瞬で真っ青になる。他の商人も同様だ。
クラリスはリンガから帝国の物産を仕入れて東方に輸出している。リンガの海軍が帝国に勝つことができたら帝国と交渉できる可能性があったのだ。だがリンガは敗北した。希望の芽は潰えたのだ。
「バカな! リンガの海軍は百五十隻、今では西方最大の規模のはずだ。そう簡単に帝国に負けるわけがない」
議員の誰かが叫ぶ。だが現実にリンガは降伏したのだ。
「降伏するしかないか……」
議員の誰かが呟く。それに反応したのはアドニスだ。
「降伏なんてありえません。自治なんて許されるはずがない。最悪略奪の可能性もあり得るのですよ。今すぐ傭兵を集めれば間に合うはずだ」
アドニスは魔法具を売っている。もし帝国にクラリスが編入されれば関税なしで帝国の魔法具が入ってくるのだ。アドニスとしてはそれを阻止したいのだ。
「クラリスには資金があります。傭兵を三万以上雇う資金が! 食糧だってクラリス市民を一か月は養えるほどあります。矢だって剣だって槍だって大量の備蓄がある。籠城すれば援軍が……」
「ウルフスタン!! もう少し考えて物を言え。アルトのアホどもが援軍など出すと思うか? それに傭兵? 馬鹿を言え! 傭兵は帝国と王国の戦争に参加するためにみんな国外に出ている!
クラリスに残っているんは千も満たないだろうな」
ユージェックが怒鳴り声を上げる。ハルトはユージェックに質問した。
「傭兵以外にこの国には兵はいないのか?」
「いないことはない。盗賊対策に必要だからな。だが三百も満たない。帝国は二十万もいるらしいぞ。千三百対二十万。話にならん」
ユージェックは鼻で笑った。まるで他人事のような言い方だ。本人もショックで頭が追いついていないのだろう。
「帝国と戦い国を焦土にされるか、早期に降伏して生命と財産を保障してもらうか……答えは出てますね」
ブランチは呟いた。
「……決を採りましょう。帝国に降伏するか否か。降伏に賛成の者」
議員全員の手が上がった。
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クラリスより南にアルトという国がある。都市国家連合に所属する国の中で最古の歴史を持つ。建国以来直接民主制で国を治め、エンダールス一世に征服されるまでは王や皇帝という存在を置かなかった。帝国の支配力が落ちるとキリシア州の都市国家をまとめ上げ、帝国に反旗を翻すために都市国家連合という組織を創り出した。
近年ではクラリスやリンガの台頭で国際的地位を落としつつあるが、それでも都市国家連合最大の人口と最古の歴史を持つ国、そして都市国家連合を主導した国として強い影響力を持つ。
今、建てられてから千年もたつアルトの国会議事堂は荒れていた。議題は帝国に降伏するか否かだ。四割の降伏派と六割の抗戦派で真っ二つに割れていた。
「自治など保障されるものか! なにが『ある程度』だ! 約束を反故する気に決まっとる」
「ではどうするというのだ! どう戦うと? 代替案を出せ! リンガの海軍は壊滅したそうだぞ。それでリンガとクラリスは降伏した。それによって北部の国の多くが帝国の軍門に下っているのだぞ」
「元々北部の連中は当てにしておらん。奴らは征服者である暴君エンダールスの建てたものを大切に保護しているような連中だぞ。元々半分帝国人のようなもの。南部の国で連携すればいい!」
「その南部の連携も覚束ないではないか! すでにレンバードが帝国に寝がえり、周辺の都市国家に侵攻しているのだぞ。敵は進軍中の二十万だけではない。降伏した北部の都市国家、裏切りを始めた帝国国境の都市国家、そして帝国の南方鎮台には五万の兵がいるというではないか! 合わせて三十万以上の敵と我々は戦うことになるのだぞ。勝てるわけがない!」
「例え国を焦土に変えてもアルトという国は守らなくてはならぬ! 人口は戻るが誇りは戻らんのだぞ!」
「何を言っている! 市民を守るのが我々議員だぞ!」
「貴様こそ何を言っている! 国を守るのが我々議員! 降伏などもってのほかだ!」
議論は平行線でまったく進まない。議会の最中にまたも凶報がアルトにもたらされる。
「ポルポ王は降伏するとのことです!」
議会がさらに荒れる。
「あの男! 武勇を自慢していたではないか! 帝国の三十万に怖気ずいたか!」
「これで五回目だ。南部の連携はガタガタだ! 降伏するより他はない!」
「何を言っている! たとえアルト一国でも戦うべきだ!」
「今降伏すれば自治はある程度保障される! ある程度がどのくらいかは皇帝の意向次第だが、それで降伏するより他はない!」
「冗談じゃない! 理由を付けられ搾取され続けるに違いない! 少しでも戦って有利な講和条約を結ぶべきではないか? 我々が勝てば他の都市国家も立ち上がるはず!」
議会がいつ終わるかはだれも分からない。
理想
クラリス「リンガがやられたようだ」
スフェルト「くくっ、奴は都市国家連合最弱」
アルト「腑抜けの帝国軍にやられるとは……都市国家連合の面汚しよ」
現実
クラリス「リンガがやられた。もうだめだわ。俺も抜ける!」
スフェルト「リンガの海軍は都市国家連合最強……もうだめだ。俺も降伏する」
アルト「だらしない連中だ。俺が叩き潰してやる」(逃げ腰)




