第2話 図書館へ
「ここどこだっけ?」
ハルトは目を覚ますと辺りを見回した。自分の部屋は段ボールが散乱していたはずだ。それがどうしてこんなところに居るのか…とそこまで考えてようやく気づく。自分は異世界トリップしたことを思い出した。
「っていうか今何時だ……まあ、時計なんてないか」
ハルトは窓を開けて太陽の位置を確認する。太陽は真上で輝いていた。完全に寝過ごしたようだ。
「まあ、学校なんてないし問題ないか」
ハルトは開き直って、顔を洗いにドアを開ける。階段を下っていくと女将がいた。
「おはようございます、顔を洗いたいんですが井戸ってありますか」
ハルトが声をかけると、女将は苦笑しながら答える。
「ええ、こんにちは。井戸は裏庭にあるよ」
ハルトは礼をいって、裏庭に向かった。
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ハルトが裏庭に行くと、そこでは小さな女の子がシーツを干していた。物干しざおにシーツをかけようと飛び跳ねている姿はとてもおもしろいが危なっかしい。ハルトはたまらず声をかけた。
「それ手伝おうか?」
すると女の子はハルトの方を向いて口を開く。
「ううん、これはマリアの仕事だもん。お客様の手を借りちゃだめなの」
ハルトは感心する。しっかりした子だ。女将の子供だろうか、だとしたらこの宿は安泰だ。
ハルトがそんなことを考えている間に、シーツを干し終わったマリアは、ハルトを不思議そうに見あげる。
「お兄ちゃん、頭に寝癖ついてるけど今起きたの?」
ハルトがそうだと答えるとマリアはころころと笑う。
「あはははは、寝坊助お兄ちゃんだ」
ハルトはそれに苦笑いで答える。寝坊したのは事実である。おそらく今からマリアの、ハルトへの呼称は寝坊助お兄ちゃんだろう。
ハルトは寝坊助お兄ちゃんを連呼しているマリアを無視して、井戸に向かう。井戸の上には定滑車がついている。そして定滑車から伸びるロープの先…つまりハルトの目の前には巻き取り機?のようなものが付いていた。なぜ〝ようなもの″なのかと言えば、取っ手が付いていないからだ。代わりに、窪みに宝石がはめ込んである。果たしてこれはいったい何なのか?ハルトはマリアに聞いてみることにした。
「なあ、マリア。これ何か分かる?できれば使い方を教えてほしいんだけど」
するとマリアは誇らしげに胸を張り、
「これはね、巻き取り機の魔法具なの。すっごい高かったんだよ」
魔法具という言葉を聞いてハルトは驚くが、異世界トリップが起こったのだから魔法や魔術くらいあってもおかしくないだろうと納得する。
ハルトは改めてこの魔法具の使い方を聞くと、マリアはにやにやと笑う。
「えー、寝坊助お兄ちゃんそんなのも知らないの?うーん、教えてあげてもいいけどどうしよっかなー。そうだ!マリアね今日図書館にお勉強しに行くの。一緒に行ってくれたら教えてあげる」
ハルトはそれに快諾する。もともと情報収集のために行く予定だったのだ。それにマリアのお勉強に付き合えば、文字を覚えられるかもしれない。
「わあ、ありがとう。じゃあ教えてあげるね。この魔石のところに手を当てて回れって念じるの。前に回したかったら前に回っているのを想像して、早く回したかったら早く回ってるのを想像すればいいんだよ」
魔石とはおそらくこの宝石のことだろう。正直半信半疑だが、ものは試しだと手を当てて念じてみる。
すると魔石が青く光り出し、巻き取り機がゆっくりと回り始めた。しばらくしてハルトは顔を洗えるだけの水を手に入れた。石鹸なしでの洗顔はなんだか物足りない気がする。今日は石鹸を買いに行こうとハルトは決意した。
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顔を洗い終え、目がようやく覚めたハルトは自身が空腹であることに気付く。そういえば昨日から何も食べてない。ハルトは遅めの朝食…といより昼食を取ることにした。
「どこか安くて旨い飯屋知らないか?」
ハルトはマリアにおすすめの飯屋を聞いてみる。正直こんな小さな子に期待はしていない。最悪ロアにでも聞けばいいだろう。紹介料を取られるだろうが。
「ご飯食べるとこなら、向かいのお店がいいよ。お父さんがやってるの。安くておいしいって評判なんだ」
なるほど、妻の経営する宿の客がそのまま飯屋に行くわけか。いい連携だ。
ハルトはマリアに礼を言って飯屋に行こうとすると、マリアに一緒に行こうと提案される。ハルトとしては、マリアの父親にマリアと一緒に図書館へ行く許可をしなくてはいけないのでそちらのほうが助かる。こうしてハルトとマリアは飯屋に行くことになった。
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マリアと一緒に外へ向かおうとすると、女将に声をかけられる。
「あ、マリア。洗濯物は干し終わったかい? ってあんたは…アスマさんじゃないかい。マリアとどうして一緒に?」
ハルトはできるだけさわやかな笑顔を作り、
「裏庭で会いまして、すこし仲良くなったんですよ。今から一緒にそこの飯屋に行くところです」
そう答えると女将は驚いた顔をする。
「人見知りの激しいマリアがねえ……あ、『ウンディーヌ』に行くんでしたらカギをもっていくといいよ。割引してあげるから」
それはお得だ。ハルトはこの宿を紹介してくれたロアに感謝する。
それにしてもあの飯屋はウンディーヌって言うらしい。宿が風の精霊で飯屋が水の精霊。いいセンスだ。
「ありがとうございます。じゃあ行きますので。いくぞマリア」
「うん、行こう寝坊助お兄ちゃん」
その言葉を聞いた女将は眉を吊り上げる。
「マリア! いくらアスマさんが優しいからって、そんな失礼な呼び方をしてはいけません」
「……はい」
しょんぼりとするマリア。女将の言葉は続く。
「いい、アスマさんに迷惑かけるんじゃないよ」
「うん、わかった。行こうお兄ちゃん」
元気に返事をするマリア。ハルトはマリアの手を握って、飯屋に向かった。
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飯屋は広々としていて、宿と同じような内装だった。客も大勢いて、繁盛しているようだった。ハルトはマリアと一緒にカウンターに座る。しばらくして、目つきの悪い男性が現れる。
「お、マリアじゃないか。えーと、そこのあんたは……」
ハルトは部屋のカギを取り出して、見せながら言う。
「そこに宿泊している客です。マリアに一緒に食事しようと誘われまして。ここはいいところですね」
男性は納得した顔をする。
「おお、ハンナのところのお客様でしたか。これはすまん。俺はマルソーだ。この店の店長でマリアの父親だ」
マルソーはにっこりと笑うが、目つきが悪いせいでかなり怖い。それとようやく判明したが、女将の名前はハンナというらしい。ハルトは忘れないように心に刻んだ。
「で、何にするんだ。おすすめはこの串焼きだが」
マルソーはメニューを指さして言う。串焼きと指摘されると、指摘されたところが『串焼き』と書かれているようにしか見えなくなる。さっきまではミミズがのたうちまわっているようにしか見えなかったのにだ。ハルトは自分はこんなに言語感覚が優れていただろうかと疑問に思う。
「おい、お客さん! お客さん!」
そこまで考えていたら、マルソーに声をかけられた。どうやらぼーっとしてしまっていたらしい。隣ではマリアが心配そうにこちらを見上げている。
「ああ、すみません。少し考え事をしていて。串焼きでお願いします」
「マリアもお兄ちゃんと同じの!!」
「はいよ、すぐできるからね」
しばらくすると、マルソーが串焼きを持ってきた。玉ねぎと赤ピーマンと豚肉が串に刺さっている。
「ほら、熱いうちに食べてくれ」
言われるままにハルトは串を手に持って肉に齧り付いた。塩味と肉の旨み、そしてレモンか何かの酸味が口に広がる。おすすめというだけあって旨い。
「ところでお客さん、あんたどこから来たんだい?ここらじゃ見ない顔だが」
ハルトは女将に言ったのと同じように遠くから来たとだけ答える。
「ふーん、ってことは旅人ってことか。ここの飯はどうだい。いままでの旅で何番目位に旨い?」
さてどう答えたものかとハルトは悩む。「一番旨い」はお世辞にしか聞こえない。かと言って低くしすぎると気を悪くするだろう。ハルトは慎重に言葉を選んで答える。
「ほかの料理を食ってみないと分からないけど、この串焼きだけなら10番目くらいには入るかな」
ハルトがそう言うとマルソーは凶悪そうに笑う。
「いやー、照れるね。もう一本おまけしてやるよ」
お世辞には弱いタイプのようだ。気分良くしてもらってる間に、図書館の件を切り出す。
「ん?いいのかいお客さん。観光とか忙しいんじゃないか」
不思議そうな顔をされる。まあ、当然だろう。
「約束は約束ですからね。それに図書館でこの国のこととか調べたいんですよ」
本当のことだ。正確にはマリアに文字を教えてもらいに行くのだが。
「そうかい。マリア、お客さんに迷惑かけずにお利口でいるんだぞ」
「うん」
口に肉の油つけた顔でかわいらしく頷いた。顔はハンナ似で良かったと思うハルトだった。
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銅貨4枚……大銅貨1枚を支払って、おつりの銅貨6枚を受け取ったあと、飯屋を出て、ハルトとマリアは図書館に向かう。
「なあ、マリアは図書館で何の本を読むんだ?」
ハルトはマリアに聞いてみる。9歳、10歳くらいにしか見えない子が何の勉強をするのか興味がある。
「算数の本とかいろいろだよ。マリアね、お父さんとお母さんのあとをついでお店を大きくするの」
本当にえらい子だ。この年で将来設計ができているとは。過去の自分に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。
「なあ、マリア。文字を教えてくれないかな。お礼ならするからさ」
「えー、マリアはお勉強に忙しいんだよ」
「そこを何とか、マリア先生」
ハルトはマリアに頼み込む。幼女に教えを乞う15歳。まったくもって情けない絵面だ。
「しょうがないな。先生は厳しいですからね!!」
『先生』というフレーズが気に入ったようだ。おだてに弱いところはマルソーになのだろう。
そうこうしているうちに図書館にたどり着く。かなり大きい。市立図書館の3倍の大きさがありそうだ。
「都市国家連合最大の図書館なんだよ」
マリアは胸を張る。クラリスは都市国家連合有数の都市だと説明していたロアを思い出した。なるほど、高価な本をこれだけ集めることができるのだ。かなり財力のある都市なのだろう。
図書館の中に入ると奥にもう一つ扉があり、兵士が二人立っていた。隣の受付には女性がいた。図書館に入るには受付を済ませなくてはならないようだ。セキュリティーは万全のようだ。ハルトは受付を済ませるために女性に話かける。
「すいません、図書館に入りたいんですが」
受付の女性はまったく表情を変えずに言う。
「では市民登録証か滞在許可証をお出しください」
ハルトは自身の許可証とマリアの登録証を渡す。女性はしばらくそれを確認する。そしてそれらをハルトに返して、
「ではハルト様とマリア様ですね。ご確認させていただきました。どうぞごゆっくり」
まったくの無表情で言った。
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「ずいぶんと広いな」
中に入ってみるとその広さが分かる。見渡す限り本が並んでいる。図書館だから当たり前だが。
「じゃあ、まずは絵本で文字を教えてあげるね」
マリアはそういって絵本を持ってくる。やはり、ハルトから見るとミミズがのたうち回った跡にしか見えない。
「それ、なんていう題名なんだ?」
「勇者アトラスの冒険だよ。」
表紙を指さすマリア。また不思議な感覚がハルトを襲う。さっきまでは何が書いてあったのか分からなかったところが『勇者アトラスの冒険』と書かれているようにしか見えなくなる。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
心配そうにこちらを見上げるマリア。またぼーっとしてしまっていたようだ。
「いや、何でもない。読み聞かせてくれないかな。」
「うん、分かった。分かんないところは質問してね。昔、昔あるところに………めでたし、めでたし。お兄ちゃん、読み終わったよ。お兄ちゃん?」
「ああ、すまん。その本貸してくれないか?復習したいんだ」
本を受け取るハルト。普通なら一回読み聞かされただけで本に使われている文法や単語は覚えられない。だが、どういうわけか今のハルトは一回読み聞かされただけで文法や単語を理解できてしまうのだ。ハルトはまさかと思いながら絵本に目を通す。さっきまではただの文字の羅列にしか見えなかったものがはっきりと文章として理解できる。
(いったいどういうことだ……。俺はいったいいつからこんなに天才になった?しかし、冷静に考えてみれば異世界で日本語が通じていることの方がおかしい。もしかして俺は無意識のうちにこの国の言葉を話しているんじゃないか?だがそんなことが起こるわけ……いや、異世界トリップが起こったんだ。ありえないことが起きてもおかしくない。意識してマリアに日本語で話しかけてみよう。それで通じなかったら俺の仮説は正しいということになる。)
ハルトは絵本を閉じてハルトに向き直る。そして強く日本語を意識しながら話しかける。
『マリア、お前何歳だ?』
ハルトの心臓が高鳴る。果たして通じるか……。
「お兄ちゃん、今なんて言ったの?」
不思議そうな顔でこちらをみる。ハルトの仮説は正しかったようだ。
『すまん、つい俺の故郷の言葉で話しかけてしまったみたいだ。』
「え? だからなんて言ってるの?」
またも同じ反応。ハルトは焦る。
(やばい……オン・オフの仕方が分からん。どうすれば……マリアに通じるように意識してみようか。)
「すまん、つい俺の故郷の言葉で話しかけてしまったみたいだ」
「なあんだ、お兄ちゃんドジだなあ。気を付けてね」
今度は通じた。ほっとするハルト。どういう仕組みか分からないが、利用させてもらおうと考えるハルト。この機能を使えばあっという間に文字を覚えられるだろう。
「マリア、あともう少し付き合ってもらえないか」
ハルトはその後もマリアに文字を教わり続ける。教わるとはいっても、マリアが朗読を続けてハルトが文字を追いつづけるだけの簡単な作業だ。ハルトは3時間もしないうちに簡単な文章だけなら読めるようになってしまった。
「うわあ、お兄ちゃんすごいね!」
驚いた顔をするマリア。ついさっきまでまったく文字が読めなかった男が、もう自分と同じくらい文章を読めるようになったのだから。
「マリアの教え方が上手だったからだよ。ありがとう。俺は辞書でも読んでくるよ」
ハルトはそういってマリアから離れて、辞書を取ってくる。簡易な文章だけなら読めるようになったので、あとは独学だ。辞書を開くとほとんどの単語が分からない。ハルトは読めない単語の横に書いてある注釈を読んでいく。一度意味が分かればすっと頭に入っていく。黒く塗り潰されていた辞書が徐々に白くなっていく。
「お兄ちゃん、もう時間だよ」
ハルトが辞書を読み終えたところで声をかけられた。どうやらいつの間に閉館の時間になってしまったらしい。
「すまん、つい夢中になってね。じゃあ帰ろっか」
ハルトとマリアは図書館をあとにする。文字が理解できるようになると街の様子も変わって見える
。看板に書いてある文字の意味が分かるようになったからだ。
「お兄ちゃん、あれ買って!」
マリアが指さした方を見ると『ドルフィッツ』と書かれた看板があった。ドルフィッツは小麦粉・砂糖・卵でできた生地をボール状に丸めて、串に刺して揚げた料理で、都市国家連合でよく食べられているお菓子だ。ハルトはそういえば何か礼をする約束だったと思い、了承する。
「すいません、ドルフィッツを2本ください」
「はいよ、600ドラリアだ」
ハルトはちょうど600ドラリア払って揚げたてのドルフィッツを受け取る。ドルフィッツをマリアに手渡すと嬉しそうに笑った。
「ありがとう、お兄ちゃん」
マリアがドルフィッツを口にしたのを見届けてから、ハルトもドルフィッツを口に運んだ。甘く、生地がサクサクして旨い。ハルトとマリアは気分よくシルフー亭に帰った。
残り残金388000