第二話 鋼鉄(ショットガン)
白い、天井。
——ここは?どこだ。
白い漆喰の天井。
太く、重厚な梁。
古い家具の匂い。
懐かしい。
奥軽井沢の屋敷だ。
僕が使っていた2階の南側の部屋。
アール・デコのテーブル。
籐編みソファー。
アザミを模した真鍮のカーテン掛け。
子供のころ、あれに触るのが好きだった。
記憶とともに安心感が訪れる。
鮮明になっていく思考とは逆に、身体は強張っていた。
深呼吸がそのまま乾いた咳になった。
むせる。
胸が痛い。
体を起こそうとする。
動かない。
もう一度、力を込める。
僕は気づいてしまった。
——下半身の感覚がない。
背筋に氷が伝うような感覚。
ブランケットをそっとめくりあげる。
脚はある。
二本とも。
だがあるべき感覚が、ない。
喉が、どうしようもなく渇いていることに気づく。
視線だけを横に動かす。サイドテーブルの上に、グラス。
水が入っている。
腕を伸ばす。
あと少し。
指が触れた。
その瞬間、グラスが床に落ちる。
甲高い破砕音が、部屋に響いた。
心臓が跳ね上がる。
水が広がり、ガラスの破片が光を散らす。
しばらくして、ドアが開いた。
「セツナ?」
サトミだった。
いつもと変わらない、美しいサトミ。
やわらかな微笑み。
「目が覚めたんだね。よかった」
その声を聞いた瞬間、胸の奥がほどける。
「……サトミ。
僕は……記憶がないんだ。
一体、何があったんだ?」
彼女は一瞬だけ、目を伏せた。
「雪道で、車がスリップして……
事故だったの」
事故。
その言葉に、断片がよみがえる。
強烈な衝撃。
横転する車体。
骨が軋む音。
折れる感覚。
白い視界。
だが、その先が思い出せない。
「大きな事故だったの。
でも、命は助かった」
彼女は床にしゃがみ、散らばった破片を丁寧に拾い始める。
動きに迷いがない。
「新しいの、持ってくるから」
そう言って、部屋を出ていった。
*
それから何日も、僕はベッドの上で過ごした。
——脊髄を損傷している可能性が高い。
車椅子生活になるかもしれない。
サトミに、そう告げられた。
その事実が、じわじわと胸を圧迫する。
小説家としての人生は?
——書くことはできる。
でも。
——それが何になる。
——そして、何より。
サトミを抱きしめられない。
サトミは子供を望んでいた。
僕は、まだいいよ。
そうやって逃げ回っていた。
心と身体が溶けるような。
そんな夜は、もう来ない。
悲しみと恐怖に押しつぶされそうになる。
だがサトミは、そんなことを微塵も気にしていないかのように、かいがいしく僕の世話をする。
食事を用意し、体を支え、穏やかな声で励ます。
完璧な介護。
完璧な妻。
——だが。
あの衝撃で、どうして里美は傷ひとつ負っていない?
僕はあれほどの痛みを感じたのに。
そして——ソクラは?
「ソクラは、どうなったんだ?」
そう聞いたとき、サトミはわずかに視線を落とした。
「ソクラは、駄目だったの」
彼女の瞳が、わずかに遅れて瞬いた。
僕の思考は、ある一点へと収束していく。
考えたくない予感。
悪い方の予感。
*
父の書斎。
もう亡くなった父の、あの重い扉。
車椅子を軋ませながら、僕はそこへ向かった。
引き出しから、鍵を取り出す。
ロッカーを開ける。
油の匂い。
冷たい金属。
職人の銀象嵌。
父の散弾銃。
両手で握る。
重い。
だが、確かな重み。
——真実を、確かめる。




