刺された理由
バッドエンドではありませんが、誰かが報われる訳ではない作品です。
「どう…しっ…て…?」
腹部に刺さっていたナイフを抜き取られ、出血の激痛によって床に倒れたリリーは、ナイフを持ったまま冷たくリリーを睨むライアを見た。リリーの意識は薄れていき、気を失ってしまった…。
◇◆◇
「リリー・スプリング伯爵令嬢。スプリング伯爵家の長女で高等部の3年生。卒業を控えた矢先に君の親友、ライア・スノウ子爵令嬢と食事中にナイフで刺された…いやー、ビックリしたよね?」
意識を失ったリリーは、気が付くと何処もかしこも真っ白な空間に居て、そして喋る黒猫が目の前に居た。あまりにも異質な状況だというのに、リリーは何故か落ち着いている。
「ほら、夢を見ている時ってさ、自分が人間じゃなかったり、魔法が使えていても不思議と受け入れているだろう? そんな感じなんじゃないかな?」
黒猫の言葉になるほどな、と思い納得してしまう。猫なのに喋るとか、何故自分の事を知っているのかなんて、夢だと思えば納得出来なくはない。
「ねぇ、どうして刺されたんだい?」
しかし、夢の中でも納得出来ない事がある。それはリリーが刺された理由が分からない事だ。親友にナイフで刺されたのは、現実で起こった事だった。リリーが死んでしまったのかも分からない。もしかしたら、ここは死後の世界なのかもしれなかった。
「そんな事…分からないわ。」
リリーには、本当に身に覚えが無かった。学園に入学して、何となく一緒に行動する事になったライアとは喧嘩をした事もなく、ずっと仲良しだった。
「…本当に、分からないんだね?」
黒猫の言葉にリリーが頷くと、白い空間の一部が歪んで映像が浮かび上がってきた。
『え、そうなの!?』
まだ歪んでいる映像から何処か聞き覚えのある声が聞こえてきて、リリーは不思議そうに眺めていると、歪みが消えて、はっきりとした景色を映し出した。
『ええ、入学前から婚約者になったんです。』
リリーとライアが隣に座って話をしている映像が流れていた。リリーはこの光景に覚えがあった。それは、学園の外の庭だった。2年生になったある時、リリーはライアから聞いたのだ。
「ライアが、サマー令息と実は婚約者同士なんだ、て聞いた日だわ。」
マーカス・サマー子爵令息。何時も周りに女を連れていて、初対面からリリーは良い印象を持てなかった。クラスも違っていたので関わる事は無かったのだが、ライアの婚約者だと知って関わる事になった。
「ライアは、サマー令息の態度に凄く悩んでいた。でも、サマー令息に“学生時代の間だけ、好きに過ごさせて欲しい”って言われて頷いちゃったから仕方がない、と言っていたの。」
「へぇ~、貴族って案外緩いんだね。」
「そんな訳ないわ、婚約者がいるのに他の女と一緒にいるなんてあり得ない事だわ!」
黒猫の言葉をすぐに否定したリリーに、黒猫はそうなんだと、あっさり返事をした。
『あ、マーカスにも他の人にも黙ってて下さいね! その、つい話を聞いて貰いたくて…言ってしまっただけで…。』
苦笑いをするライアの姿を最後に、水晶は消えてしまった。
「それで、君は何かしたのかい?」
「…ライアの話を聞いて、サマー令息に言ってやったの。“ライアの気持ちを考えろ、婚約者が居るのなら態度を改めるように”ってね。」
伯爵令嬢のリリーに逆らえないと思ったのか、マーカスは悔しそうに頷いた。その後マーカスが女と一緒に居る姿を目撃する事はなくなったし、ライアもマーカスの事で何も言わなくなった。
「えー、でも黙っていて欲しい、て言われてたよね?」
黒猫が少し驚いた声を出したが、リリーは首を振った。
「ああいう男は、ちゃんと言わないと駄目なのよ。勿論、私の方が身分が上だったから言いやすかっただけで、誰でも言える訳ではないけどね。貴族として、婚約者としての振る舞いが出来ていなかったのよ、あの最低男は。」
リリーは一人の女として、貴族の一人として。そして何より、ライアの親友としてマーカスを許せなかった。
「そう言えば、君は刺される3日前に、婚約者が出来たんだよね?」
唐突な黒猫の言葉に少し驚くも、リリーは頷いた。
「えぇ、サウリ・オータム伯爵令息とね。」
学園で出会ってからよく話をするようになり、好きになっていた。そんなサウリに婚約者になって欲しいと言われた時、とても嬉しかった。
「ライア・スノウにも話したのかい?」
「えぇ、勿論。」
「祝福の言葉を言って貰えたのかい?」
「…いいえ、あの時は確か…“そうですか”と言われたわ。」
リリーが思い出してみると、祝福するような言葉は確か無かった。でも、だから何だというのか。
「……もしかして。」
リリーの口から一言溢れた。ライアはサウリに惚れていたとでも言うのだろうか。仮にそうだとして、好きな人を取られそうだからと言って親友を殺そうとするのだろうか…。
「……。」
「…答えが出ないなら、本人に聞いてみなよ。」
考え込むリリーに黒猫がそう言うと、リリーの数歩先の空間が歪んだ。
「…っ、ライア!?」
気が付くと、歪んだ場所からライアが現れた。ライアはリリーを見て凄く驚いた顔をして、不安気に辺りを見渡し始めた。
「えっ!? な、なに…ここは何処なの?」
「夢の中みたいなものだよ。リリーはね、君に聞きたい事があるんだって。どうせリリーを刺しちゃったんだし、正直に答えてあげなよ。」
黒猫がそう言うと、ライアは戸惑いながらも落ち着きを取り戻し始めた。リリーと同じように、ライアも何となくこの状況を受け入れたのだろう。
「…ねぇ、ライア、教えて欲しいの。どうして、どうして私を刺したの!? 私、何か悪い事をしたの?」
リリーの質問を聞いて、ライアはリリーを睨みつけた。その目は、リリーを刺した時と同じように冷たかった。
「…私は黙っていて欲しいと言ったのに、貴女は彼に言った。」
その内容が、マーカスの事であるとすぐに分かった。今までライアはリリーに敬語で話をしていたのに、喋り方が変わった。その異様な様子にリリーは一瞬言葉に詰まったが、ライアに反論した。
「それはっ、サマー令息は直接言わないと分からない人だったからよ! それに、私が言ったから彼は女遊びを止めたんじゃない。」
「…所詮他人事なのよね。貴女にとっては。」
正論を返したつもりのリリーだったが、ライアは全く怯まずに、呆れたような様子を見せた。初めて見るライアの態度に、リリーは刺された時の記憶を思い出して怯えてしまう。
「…マーカスはね、あれ以来一度も私に笑いかけてくれなくなった。話しかけても無視される事もあるし、冷たくなったわ。私は、嫌われたのよ。」
「な、何それ。自分が悪いのにそんな態度を取っているの? 本当に最低な男ね…でも、それならどうして私に相談してくれなかったの!? 相談してくれたら私…。」
「何言ってるの? 全部貴方のせいよっ!! 貴女が彼に余計な事を言うからこうなってしまったんじゃないっ!! それなのに、貴女に相談ですって?…するわけ無いじゃないっ!!」
リリーの声を遮り、殺気と憎しみを込めてライアは怒鳴った。リリーはその気迫に押されるも、必死に言葉を返した。
「っ、で、でも元々悪いのは令息でしょう!? そ、そもそも、そんな程度の低い男とライアが婚約を維持する必要なんてないわ! 今までの事を全部、両家に話せば分かって貰える筈よ。ライアばかりが我慢するなんて、そんなのおかしいわよ!」
「私はっ!! マーカスを心から愛しているのっ!!!」
必死にライアを宥めようとするリリーに、ライアは涙を流しながら叫んだ。
「他の女に笑いかける度に嫉妬したし、すっごく嫌だった…。でも、学生の間だけだって言ってたから、その間だけ我慢すれば良かったのよ…でも辛くて、貴女に気持ちを話してしまって……本当に、後悔してる。」
泣きながら、言葉をつっかえながらも話すライアを、リリーはただ見つめる事しか出来ない。
「貴女に言わなければ、卒業まで我慢していれば、マーカスの心は私のモノになっていたのに…もう気持ちは私から離れてしまった…。」
ライアは涙を拭うと、再びリリーを冷たく睨みつけた。
「それなのに、貴女はオータム令息に愛されて、婚約者になるだなんて…私を不幸にしておいて、幸せになるだなんて絶対に許せなかった!!」
「…そんな、理由で私を…? で、でも卒業まで我慢したって、彼みたいな人が…。」
「うるさいっ!! だまれ、リリーッ!!」
マーカスみたいな男が、約束を守ってライアを愛するとは限らない。そう言おうとしたリリーにライアは叫んだ。
「貴女が思っている事が、全部正しい訳じゃないっ!!! 他人の事情に勝手に首を突っ込んで、恩着せがましいのよっ!!!」
ライアの言葉が空間に木霊する。リリーは何も言い返せずに立ち竦むしかない。
「…さて、君はどうする?」
黒猫の静かな声がリリーに届いた時、リリーの視界が歪んでいき、意識を失った。
◇◆◇
「あ、マーカスにも他の人にも黙ってて下さいね! その、つい話を聞いて貰いたくて…言ってしまっただけで…。」
リリーがふと意識を取り戻すと、隣にはライアが居た。学園の庭で、ライアがマーカスの婚約者である事を聞いていた。
…時間が戻っている。黒猫が何かをしたのだろう。 不思議とリリーは何が起こったのかを受け入れていた。リリーの様子を心配そうに見ているライアに、リリーは何でもないと言って、その場をやり過ごした。
そして、月日は流れて卒業した。リリーはサウリと婚約者になった後、暫くして結婚した。リリーは穏やかで平和な日常を過ごしていたがある日、ライアがマーカスを刺すという事件が起こった。
マーカスは学生の間だけ遊びたい、と言っていたが卒業して、ライアと結婚しても女遊びをやめられなかった。マーカスの態度に両家の親は流石に注意をしていたらしいがマーカスは聞かなかった。スノウ子爵は離婚しろと何度も言ったそうだが、マーカスを深く愛するライアは離婚を認めなかった。そして、限界を迎えてこうなってしまった…という事なのだろう。
卒業してからは疎遠になっていたけれど、学生時代は親友として過ごしていた為、リリーの父親はリリーを気に掛けた。
「リリー、お前は入学前からスノウ嬢がサマー令息の婚約者だった事を知らなかったんだろう。もし知っていたら、お前は注意しただろうからな。そうすれば、こんな事にはならなかったかもな…。」
父親はそう言って、何とも言えない顔をした。しかしリリーは、何とも思っていない顔できっぱりと答えた。
「いえ、もし聞いていたとしても他人事でしたし、助けて欲しいと言われない限り何もしませんでした。それに、ライア達の場合は注意しても無駄だったと思います。」
そんな親子の様子を伯爵家の窓から覗いていた黒猫は、暫くすると初めから存在しなかったかのように姿を消した。
黒猫の正体とか、何がしたかったのかは何も考えていません。ただ、魔法要素を加えて2人に直接話をさせたかっただけです、あと時間の巻き戻りも 笑
相手の為を思ってやった事が、相手の為になるとは限らない。どう足掻いても幸せな未来になるとは限らない。人の感情って難しい…とふと思いながら書きました。
このような作品でも、最後まで読んで下さりありがとうございました!




