7.貴方の愛に挑戦していきます。
後日談という名の最終話。
勇気を出して一歩前に踏み出したといっても、次の日はやってくる。考えることは山のようだし、やらなくちゃいけないこともある。それらに目を塞ぎたい気持ちもありながら、未来のためには取り掛からなくてはいけないのだ。
今日も今日とて私は仕事をこなす。今は新規依頼に取り掛かっていて、その翻訳作業を行なっていた。相手は海外在住のため、完全にオンラインでのやり取りのみ。キリのいいところまできたので、データを一度保存する。ちょうどキッチンからも呼び出しがかかり、腰を上げた。
「お、いい感じに出来てる。」
オーブンから天板を取り出すと、丸いベーグルが並んでいる。表面にうっすらと焼き色がついてるのを確認して、達成感を感じた。さすが人気レシピ様々。
作ったのはノーマルのものと、ブルーベリーとクリームチーズを混ぜ込んだもの。そのまま食べてもよし、カットしてスモークサーモンを挟むのもいい。働きながらこういうことが出来るのは、在宅ワークの特権だ。出来上がったベーグルの写真を撮って送信すると、すぐについた猫のスタンプに少し口角が上がった。
エリオットと付き合い始めて、あと少しで1ヶ月経とうとしている。クリスマスや年末年始は、帰国せずに日本で過ごすそうで、お互いの家で一緒にのんびりとした。そんな長期休暇が終わり、私達も仕事に追われているせいか中々会えていない……こともなく。マンションの隣人、というアドバンテージを私たち…というよりエリオットはかなり活用していた。
「おかえり。」
「ユイ、ただいま。」
慣れてきた挨拶を交わして、エリオットは後ろ手にドアを閉めた。鼻先は真っ赤になっていて季節外れのトナカイみたい。ちゅ、と頬に唇が当たるときに、冷たい鼻も触れて驚いてしまった。そんな私を見て、悪戯をした子どものように笑っている。
「今日は?」
「グラタン。」
「それは楽しみだ!」
私の頭にキスを落とし、洗面台へ向かう彼の姿を見送る。付き合ってから、以前よりも増した直接的な愛情表現にまだドキドキしている。これに慣れる日はくるのだろうか。キッチンに戻れば、チーズの香ばしい香りが漂っている。換気をするか迷ったけど、寒空の下帰ってきたエリオットの鼻先を思い出して、後に回すことにした。
「今日は何してたの?」
「家で仕事だよ。」
「新しいクライアントだっけ?」
「そう。海外のね。」
食事をした後は、お茶を入れてまったりとくつろぐことが増えた。新しく買ったソファに並んで腰をかけて、今日のことを教え合う。この時間はエリオットからの発案で生まれた。私のことを知りたがる癖はまだ抜けていないようである。
「打ち合わせはオンラインなんだろう?」
「うん、相手が本国住みだからね…。韓国だから、時差もそんなに大きくないし。」
久しぶりに扱った言語に少し焦ったのは秘密。慌ててその言語の本を購入し、感覚を取り戻そうとしている。最近は英語翻訳続きだったから。
「後はメールで?」
「そうだけど…。」
「プライベートな話は聞かれてない?」
近づいた顔はありありと警戒してます、と書かれていて思わず笑いそうになる。「ないよ。」と答えると、安心したように私のことを抱きしめた。
エリオットは嫉妬深い。そして愛が大きい。
以前ハーパー先生と話していた話題が頭をよぎった。それはどうやって生まれたものなんだろうか。元々?それともなにかきっかけがあって?少しずつ生まれた疑問を持ちながら、彼を安心させてあげられるように、質問に答えていた。
本から始まり、歯ブラシやルームウェア、コーヒー豆、なんて徐々に彼の私物が部屋に増えている。私の生活に彼の形跡が溶け込んでいくと、どこか満足げにしている。一度何気なく言葉にしてみると、眉を下げて「…置いておくのは嫌かい?」なんて言う。そんなことない、と伝えるとそれはもう嬉しそうに笑っていた。なんだこの32歳は。…可愛いな。
気持ちが通じ合ってから、エリオットはさらにストレートになってきた。愛の言葉や行動、後は“重さ”も。きっと今までは隠そうとしてたものが、じんわりと滲み出てきている。そんなことを日々感じるようになってきた。
「フジワラさんは苦しくならない?」
「苦しく…?」
「アー、えっと…。」
「窮屈、ですね。」
大学のカフェテリアで、首を傾げたハーパー先生に石田さんはすかさず言葉を補足した。そう、それ!とすっきりした顔である。今日はハーパー先生と対面での打ち合わせを行うためにお邪魔していた。それに偶然会った石田さんを含めて3人でランチを食べてに行っていたのだった。エリオットは残念ながら日帰り出張。朝、新幹線の写真が送られて来ていた。
「窮屈ですか。…うーん、今のところは大丈夫です。」
「それならよかった。お互いを縛りすぎるのも良くないからね。」
「依存し合うきっかけにもなりますから。」
うんうんと頷き合う2人。依存という言葉を内心繰り返しながら、持っていたラテを飲む。話は変わるけど…とハーパー先生は続けた。
「アイツがこっちにいるのはあと半年くらいだろう?どうするんだい。」
そう。エリオットの帰国スケジュールが先日、正式に決まった。彼は期間延長を願い届けようとも考えたらしいけど、あちらでの研究スケジュールにズレが生じることも考えて、断念したそうだ。つられて、ごめん、と大きな体で私に抱きついていた姿を思い出す。石田さんが「こちらでの研究も終わりましたし…。寂しくなります。」と肩を下げた。
「フジワラさんもここでの契約も後少しだろう?」
「そうですね…ハーパー先生が最後です。」
「着いて行くの?」
出て来た言葉に、ハーパー先生を見上げる。私の視線に気がついた彼は口角を上げていた。問いかけてはいるものの、確信に近いその質問。ハーパー先生がわりと食えない人っていうことは最近発見したことである。私はどうですかねぇと濁した。
「藤原さんも居なくなるのは寂しいです。」
そう言ってため息をついた石田さん。エリオットの論文翻訳が大詰めになるにつれて、自然と関わりが増えた彼女とはよく話す仲になっていた。年齢も近いし、彼女も私が打ち解けやすい存在だったのだろう。恐らく。今度ご飯行こうね、と伝えると「ぜひ!」と嬉しそうに笑ってくれた。
スマホの検索履歴に国際結婚という文字が増えたのはいつからか。動画配信サイトでも関連のものを見るようになったし、彼の母国のニュースも関心を持ってキャッチするようになった。きっとこの意識は、そういうことなんだろう。あの夜、私にそのままでいいと言ってくれた彼を思い出す。あの言葉を言ってくれた彼から離れるなんて、そんな気は毛頭無かった。
「(残り半年…は、想像してなかったけど〜!)」
とはいえタイムリミットまで時間は無さすぎる。考えることもやることも山ほどで、頭を抱える毎日。スマホの画面がパッと表示されて視線が移る。最寄駅についたというメッセージだった。
「肉まん。」
「そう、肉まん。」
「悪くないね。美味しい。」
そうでしょ、と私もかぶりつく。大阪出張ということでお土産に肉まんをお願いしていた。お供は緑茶。エリオットはどちらも物珍しそうにしている。馴染みないもんね。
「初めての大阪はどうだった?」
「楽しかったよ。賑やかで。あまりゆっくりと見られなかったのが残念だ。」
「出張だったからね。」
一泊して来ればよかったのに、と伝えると「ユイも一緒なら考えたよ。」と笑う。この人の行動基準は私を真ん中に置いている。言葉の端々から感じ取れる彼の気持ちに、なんだか少し照れ臭い。
「…今度、旅行でも行く?」
「いいね!行こう!」
ひとつの画面を見ながら行く先を決める。わくわくとした表情をする彼を見ながら、最近よく考える。私は彼の恋人という立場で、着いて行っても良いのだろうかと。
人間とはかくも欲深いのか。
彼に私を受け止めてもらったのに、これ以上を求めている自分は我儘なのだろうか。
***
「藤原さん?」
「ーーーあ、」
声をかけられた先にいたひとりの男性。誰だっけこの人。見覚えがあるような気はするけど…。戸惑っている私を察したのか、慌てたように男性は言葉を続けた。
「俺、森です。前の会社で一緒だった…。」
「ご、ごめんなさい!お久しぶりです。」
事務の森さん。思い出したことを伝えると、ホッとしていた。
「仕事の時は眼鏡かけていらっしゃったので、分かりませんでした。」
「プライベートは外してるんです。元々、そんなに視力も悪くはないので。」
照れたように頭をかきながら笑う仕草は変わらない。仕事の合間によくおしゃべりをしていた。懐かしいな、と自然と笑顔になった。
「あの、智也さんの件、すみませんでした…。俺が口を滑らせたばかりに…。」
「いやいや…あれ、なんで知ってるの?」
「実は少し噂になってたんです、あの人がひとつの駅に通い詰めてるって。」
ええ…社内で噂になるなんてどれだけ通ってたの。頭を下げる森さんに、気にしないで、と声をかける。不用意に言ってしまったのは私だし。何事もなく終えられたので、根に持つつもりもなかった。
「そういえば智也さん、仕事辞めましたよ。」
「え、そうなんですか?」
「はい、ご実家の方に戻られるそうで。」
智也は地方出身だったことを思い出す。へぇ、と返して「森さんは変わらず?」と聞く。智也の話を続けたい気持ちもなかったから…という思惑もあった。
「そうですね。部署メンバーは多少変わりましたけど、まだいる予定です。」
「そっか。頑張ってください。」
「ユイ、おまたせ。」
声がかかり、振り向く。こちらに手を振る高身長の美丈夫に森さんは目をまん丸にしていた。そうだよね、その反応になるよね…。エリオットに手を振り返すと、あっという間に隣に来た彼に、頭にキスを落とされる。
「ユイのお知り合い?」
「うん、前勤めてた会社の同僚。森さん、こちらは私の恋人です。」
「初めまして、クラークです。」
にこりと笑顔を見せるエリオットに、あれ?と少し違和感を覚える。それくらいに完璧にかっこいい笑顔だった。現に森さんは顔を真っ赤にしている。同性にもイケメンは通ずるものがあるんだなぁ…。慌てて挨拶する森さんに苦笑した。それじゃあ、と伝えると、「あ、はい!お元気で!」と森さんは早足で去って行った。
「…ごめんね、お邪魔しちゃったかな。」
「ううん、ちょうど話も終わろうとしてたし。気にしないで。」
「仲良かったの?」
「それなりにかな…。」
へぇ。と相槌をする横顔は口角が上がっていた。視線を移して、私をグレーグリーンの瞳の中に捉える。
「ユイ、家に帰ろうか。」
「え、エリオット。どうしたの…。」
マンションに着くと、そのまま隣の部屋まで手を引っ張られた。少しだけ久しぶりに入った部屋はコーヒーの香りが少し薄れていた。荷物だって少しだけ減っている気がする。それはきっと、この部屋で過ごす時間が減っているということ。
ドアを後ろ手で閉めた彼は、そのまま靴も脱がずに私を抱きしめた。痛いほどの力に少しだけ声が漏れる。びくともしない力を抵抗せずに受け入れるけど、さすがにこのままは…と思って声をかける。
私の声に体を揺らした彼は、少し力を緩めたあと、私の唇に口付けた。形の良い唇が、少しずつ角度を変えて触れていく。ちゅ、ちゅ、とリップ音が玄関に響き、意識も少しずつふわふわとしてくる。
突然の状況に混乱しながら、受け入れているとふと彼の顔が視界に写った。眉間に皺を寄せて形の良い眉が少し歪んでいてーーーーー瞳の奥がゾッとするほどに酷く冷めていた。
あ。私、今。
ーーーーーこの人を突き放してはいけない。
そっと手を頬に添える。ごめん、手、冷たいかも。内心そう思いながら、こちらに向く瞳に笑いかけた。気持ちが届きますように、と願いを込めて。
「ーーーエリオット、愛してる。」
くしゃりと顔を歪めた彼と、さらに力強く抱きしめられた腕に、もっともっと伝わりますようにと抱きしめ返した。
「…昔から、自分のものをシェアすることが嫌だったんだ。」
それはどんなに小さいものでも。例えばぬいぐるみ、本、洋服、食べ物。ただ、そう思うモノは多くなくて、だからこそ、“これだ”と思ったモノには強い執着心が巻き付くそうだった。私を後ろから抱きしめた彼はそう話し始めた。
「そんな自分が人にその感情を持ってしまう時が来たらどうなるか、怖かった。」
そしてその時はきた。幼少期に好きになった女の子。女の子と付き合うようになったエリオットは、段々と自分を抑えきれなくなったと言う。最初は、何をしてたのという質問から始まり、そこから誰と、いつから、と。
「自分の愛する人に近づく人が許せなかった。」
取られてしまう気がして、と震える声で呟いた。首筋に埋まる頭を、ぽんと撫でる。大丈夫、と伝わるように。
「だから、そこから縛ってしまった。」
時間、人間関係、女の子を取り巻くモノを。その子の隣には自分がいればいい、と本気で思っていた。女の子はどんどん顔を歪めて拒否をしたという。
「それで、貴方は異常だ、と言われてーー別れた。」
そして自分の持つ愛と他の人が持つ愛の違いを知りたくて、今の仕事に結びついたという。彼は笑った。
「あれからいくつかの人の出会ったけど…みんな、信じられない、耐えられないと言って去って行ったよ。時には自分を信用してない、とも言われた。」
自分を信用してないから、全てを知りたがるし縛りたがるーーーそう言われた時のことを思い出しているのだろうか。どこか違うところを見る瞳をしていた。
「ユイに初めて会ったときに、思ったんだ。この人だって。だから必死に抑えようとしてた。」
どんなに知りたくても、どんなに縛りたくても。ユイと別れたくないから、我慢してた。そう話す彼は、苦しいくらいに腕の力を強める。
「本当はユイの全てを知りたいし、交友関係も把握したい。異性とのやり取りをする姿は不快だし今日だって…どうしてやろうかって思ってた。」
「私を?」
「いや、相手を。」
も、森さん…。パッと浮かんだ姿に謝罪の気持ちが芽生えた。そういえば、去っていく森さんの顔色は少し悪かった気がする。
「…本当は、ユイがどこに行くかだって、知ってないと落ち着かないんだ。」
「……え、いやそれ、ストーカーの台詞だからね?」
「…うっ。わ、わかってる…。」
しゅん、と肩を落としたエリオットになんだか申し訳ない気持ちになって、頭をもう一度撫でる。ぱあ、と嬉しそうな顔をした彼は機嫌を戻してくれたらしい。
「これはユイのことを信用してないとかそういうことじゃなくて…ただ私がそういう愛し方しか出来ないんだ。…ごめん。言わなきゃとは思っていたけど…。」
「うん、わかった。」
「…うん?」
え?とした顔でこちらに顔をあげた彼。ふ、ひどい顔。少し漏れた笑いに、ますますわからない、という顔になった。
「エリオットの愛し方はそういうモノなんでしょ?教えてくれてありがとう。」
「…え、う、うん…。」
「知りたい…はそうね、別に聞かれて困ることもないし…今まで通り聞いてくれたら答えるようにするけど…報告漏れもありそうだし…。何か他にエリオットは希望ある?」
き、きぼう? そう、希望。ニーズ。
頷いた私に困惑しながらも彼は考え出した。
「じ、GPS…。あと予定を共有したい…。」
「別にいいよ?なにかいいやつあるかな。」
「え、いいのかい?」
目を丸くしながらも声には歓喜が混ざっている。別にやましいことはないし、だいたい家が職場、あとぶらぶらとするだけなので…支障ないことを伝えると、「そ、そうなんだ…。」と驚いていた。
「異性関係…は仕事は難しいけど…プライベートならなんとか?」
「す、スマホ見たい。あんまり連絡取らないでほしい、会うときは教えてほしい。でもできればそういう場には行かないで欲しい…。」
「ん、わかった。」
「oh…。」
「あ、でもどうしても行かなきゃいけない場合には相談するのはいい?」
「も、もちろん…。」
あとはー、とエリオットの要望を聞きながら話を進める。最初は困惑が強かった彼も、どんどん言うようになってきた。きっと今まで我慢してきたんだろうな、と出てくる要望をひとつずつ話し合っていく。そう、話し合っていけばいい。こうやって、ひとつずつね。
「ユイは私のことに驚かないんだね…?」
「…驚いたよ?ただ、少し感じてはいたから。」
付き合う前からちらほらと見える彼の嫉妬の影。愛情の深さや重さ。え、本当?!と驚く彼に頷いた。だって貴方、私とその他を見つめる瞳の温度が違いすぎるもの。
「それを覚悟の上で、貴方に告白したから。」
今更、嫌なんて言わないよ。だって貴方の愛に挑戦していくって決めたもの。
そう笑った私にグレーグリーンの瞳を細めて、重低音の綺麗な声で言った。
「……thank you yui.
ーーーI’m in love with you, Yui. Completely.」
恋してる、完全に君に。




