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6.私の弱さも全て抱きしめて。


思えば今までの私は、付き合っていても常に別れを考えていた。別れたときのために荷物はあまり置かないでおこう、自分のスマホに写真は増やさないでおこう。永遠を信じきれない私は、そうやって予防線を張っていた。いつかくる別れに、耐えられるように。そうやって出会いと別れを繰り返して過ごしていく中で、私は大人に成長した。


今までのお付き合いした人に言われたことがある。「結衣との間にある熱量に差を感じる。」と。そういう私の考えが、その差を生んでいた。


だって、本当に愛してしまった時。いつか別れがきてしまったら怖いじゃない。



「確かに、本当に辛いよ。」


久しぶりに会ったリコはそう言った。長かった髪の毛はバッサリと切られ、肩上で彼女の動きに合わせて揺れている。今は女子会前に、早めに合流できた彼女とお茶をしていた。会うのはきっと、彼女が収集をかけた以来。


「あの後、元彼に縋られたけどお断りしたわ。」

「そっか。…良い判断をしたね。」

「ふふ、ありがと!確かに終わり方は最悪だったけど。今振り返ると、アイツのことをちゃんと愛してたのは後悔してないって思う。」


あんなに酷い目にあったのに?とは口にしなかったけど、聡い彼女は感じ取ったらしい。苦笑しながら、そうなんだけどね、と口を開いた。


「アイツと一緒に過ごした時間の中で、楽しくて幸せな時があったのも事実だったから。…だから、確かに最悪な終わりだったけど、全力で愛したのは後悔してないよ。」


失うものもあれば得るものもある。過去の傷が足を止めることもある。


「だけどやっぱり時間が解決してくれるよ。…意外とね、人間はしぶといって本当だったみたい。」


そう笑ったリコは、とても綺麗だった。







「…チャーリー?」


女子会の後、すれ違った男女。その女性の姿に見覚えがあり、思わず声が溢れた。それが聞こえたのか、女性もこちらを振り返り、グリーンアイをさらに大きく開いた。


『ユイ!また会えるなんて奇跡だわ!』


濃密な、でも清潔感のあるローズの香り。緩やかに流れるブラウンヘア。端正な顔立ちの女性ーーチャーリーだった。こちらに駆け寄り、ハグを交わす。そう、きっとこれは文化なんだろうな。


『会えて嬉しい。前はあまり話せなかったから。』

『まぁ!私も会えて嬉しいわ!前回はそうよね、挨拶だけして終わってしまったから。』


私の言葉に瞳を輝かせてくれた彼女は、人懐っこいのだろう。連絡先を交換しようという彼女に頷いたところで、近寄る男性の存在に遅れながら気がついた。私が彼女に遅れて気がついたのも、エリオットではない…見慣れぬ男性に腕を絡めていたからである。


『ごめんなさい、紹介するわね。彼はコンラート・ローレンス。私の婚約者なの。』

『Hi.会えて嬉しいよ。』

『初めまして、ユイよ。私も会えて嬉しいわ。』

『ユイはね、エリオットの隣人で仕事仲間なのよ!』

『え!そうなのかい?』


驚くコンラートと私。え、エリオットを知っているの?聞くと彼は頷いた。


『エリオットとコンラートとは、スクールのときの友人なの。卒業後も度々会うのよ。』


チャーリーのその言葉に納得した。エリオットのチャーリーを見つめる瞳は、暖かな温もりを持つものだったから。まるで大切な家族を見守るような。私に向ける瞳とは違うもの。チャーリーの香りを知ってから、もやもやしていた気持ちは、もう落ち着いていた。




***




「うん、いいね。素敵な内容だった。」


佐久間教授が頷いてそう言った。それは、私とエリオットの仕事が終了したことを意味する。エリオットの研究論文の翻訳と一般リリース用の文書、その全てが終了した。ひとつの仕事が終わり、肩の力が少し抜ける。よかった…ここ最近で一番、難しかったから。ふうと漏れた息に、佐久間教授は「お疲れ様でした。」と笑った。


「クラーク先生もお疲れ様。」

「ありがとうございます。ユイのおかげで充実しました。」

「そのようだね。随分と生き生きしている。」


その言葉に何か含まれているのだろうか。それは佐久間教授、本人のみが知る。


「あとはハーパー先生のものかな。」

「はい。そちらはいま中盤くらいです。」

「了解です、引き続きよろしくお願いします。」


そして、ハーパー先生のものが終わったら依頼はお終い。それはこの職場で働くまでの期限だった。


「お疲れ様。」

「クラーク先生もお疲れ様でした。」


2人で話しながら研究室へ戻る。窓の外はしんしんと雪が降り始めていた。下を見ると、生徒たちが外で雪に触れている。大人になるとただ寒くて交通機関が心配な日だけど、ああいう姿を見ると微笑ましくて、こんな日もいっか、と思えた。


研究の翻訳も片付いた、ということは、エリオットの研究プロジェクトも終了に近づいている。プロジェクトが終われば、向こうの大学に戻り、約束されているポストにつくとのこと。それは確実。


2人で話しながら歩く、この時間はいつまで続けることができるのだろうか。




久しぶりに本屋に行き、カフェでお茶をする。洋服を見て、映画を見て。いつのまにか慣れていた一人の時間をなぞるように過ごしていた。なぜ慣れたのか。それは私がいつ独りになっても大丈夫なように、慣れさせてたから。自分自身に。


そう、慣れていた。慣らせていた。なんともない、気楽で楽しい時間……そのはずだった。


マンションについて、ポストに寄る。チラシや葉書を取り出して、宛先を確認していると、手元にふと影がかかった。大きな影。綺麗な革靴。…嗅ぎ慣れた、コーヒーと少しウッドな香り。香水じゃない、彼のもの。


「ユイ、こんばんは。」

「…こんばんは、エリオット。」


思い出す。初めて会った時を。


「ここで会ったのは2回目ね。」

「そうだね。俺の葉書は入っていた?」

「私のだけ。」

「それは安心だ。」


彼のジョークにも笑うようになった。警戒して距離をとることもしなくなった。会話を選ぶことも、しなくなってきていた。きっと彼も気がついているんだろう。


ポストを確認し終えた彼は、エレベーターの方向へ向かおうとする。広い背中がこちらを向いた。静かなエントランスでは、彼の落ち着いた声が少し響く。背中が遠くへ行こうとする。私の隣じゃないところへ。




「………ユイ?」


彼の顔がこちらへ向く。どうしたの、と問いかけられて首を傾げた。彼の視線を辿る。


「ーーーーあ、」


指が彼のコートの裾を引っ張っていた。この指は、私の指。つまり私が、エリオットを引き留めていた。


「ご、ごめん。なんでもない!」


慌てて指を離し、ちょうどきたエレベーターに飛び乗る。エレベーターの中では意味もなく口を走らせていた。彼に何も言われないように。心のうちを聞かれないように。そんな私を、エリオットは静かに見ていた。綺麗なグレーグリーンの瞳で。


「それじゃあ…。」

「ユイ。」


部屋の前につき、挨拶をしようと同時に、名前が呼ばれて視線を上げた。大きな歩幅でこちらまで近寄り、私の手が温かいぬくもりで包まれる。彼は目を細めて柔らかい表情をした。


「…ユイのペースでいい。無理に答えを出さなくても、私の心はユイのそばにあるから。」


いつまでも、ね。

そう話しながらも彼の瞳は、私を捉えて離さなかった。それはエリオットの優しさの中にある、もうひとつの気持ちが私の心を揺さぶるようだった。



「まって、ーーーーまって。」


離れていく温もりを追うように掴んだ。エリオットは少し驚いたように息を呑む。きっと、まだそのタイミングではないと思ってたんだろう。でも、今。今しかないと思ったから。勢いなのかもしれない。けど、その勢いすらきっかけの一つにしたかった。


私は臆病で、起きてもないことをずっと考えてしまう性格で。傷つくのが怖い。傷つきたくないから予防線を張る。ひとりでも大丈夫と虚勢を張る。

だけど。

ひとりで平気と思っていた時間も、これエリオットが好きそうだな、この洋服似合いそう、なんて考えが過ぎる。彼から知らない香りをすると胸がざわつくし、周りの関係性が気になって目で追ってしまう。あんなにも面倒だと思っていたエリオットとの時間も、いつのまにか日常になっていて、それが無いと落ち着かなくて。

まだ慣れない土地だろうに、文化やマナーを尊重して大切にしようとする姿。

研究や生徒たちに真摯に向き合おうとする姿。

私の気持ちを最後まで待とうとしてくれる姿。



「ーーーー私は貴方に惹かれているの。」



そんな貴方が私に注いでくれた気持ちにーーーーーーーーー嘘をつきたく無い。





「…それは、人として?」

「ち、がう。…エリオットを愛してるの。」


私を包むコーヒーの香り。熱い体温。力強い腕。空から降るキス。それは彼の気持ちを表しているようだった。抑えていた気持ちを表出しても良い、その喜び。それがひしひしと伝わってくる。ああ、可愛い。…私の想いを知っただけでこんなにも喜んでくれるの?可愛い…愛おしい。でも。


「ま、まって、ここ、家の前、ちょっと、ちょっ、ほ、Hold on(お願い待って)ーーーー!!」


同じフロアの人がこの時に部屋にいなかったことを願うばかりである。




「初めて入ったな、ユイの部屋。」

「そうね。……ねぇ、座っててもいいよ?」

「それは無理だ。体がくっついて離れない。」


そう言って腰に回す腕に力を入れるエリオット。キョロキョロと周囲に視線を巡らす彼はとても嬉しそう。そんな彼の様子に、まぁいいかと許してしまう私は、もうエリオットに甘いのだと思う。とはいえ動きづらいけど。

せっかく手が2本増えたんだもの。エリオットにはコーヒーとラテを運んでもらい、私は昨夜焼いていたケーキを切り分けて皿に乗せる。ココアとナッツのパウンドケーキ。それを見たエリオットは目を光らせていたから、やっぱり甘いものが好きなんだろうな。


ローテーブルの上に置いて、彼とクッションの上に座る。まだ床に座ることは慣れない様子だったから、ソファの購入を検討しようと内心考える。…私、結構好きな人を中心に考えるタイプだったらしい。


「美味しい!マフィンの時も思ったけど、ユイはとても上手に作るね。」

「ありがとう。作るのが好きなの。」


それは貴方のことを悶々と考えながら作ったお菓子なのよーーーなんて伝えたら重いだろうな。エリオットのことを悩みながら作ったお菓子を、エリオットが食べる。…やめよう、これ以上深掘りしたら更に新しい自分を発見することになる。頭の考えを打ち消した。


「…ねぇ、エリオット。」


なんだい、と言う声と共に頬に落ちるキス。そして、唇。コーヒーの味がする。香りも味もコーヒーなんて、なんだか面白い。


「私、貴方との間にいつか来る別れが怖いわ。」

「…別れ?」

「ええ。…永遠の愛を信じるのが怖いの。」


そう言って彼の背中に手を回す。こんな話をして彼の顔が見れなくて、だけど温もりが恋しくて、彼の大きな胸にそっと体を預けた。


「怖い、けどね……それでも、貴方のそばにいたい。」


ああ、どうしよう。一度話しだすと、口が止まらなくなる。視界がぼやけ出して、体が震える。


「ごめんなさい、こんな話をして。…こんな気持ち、初めてだから…逃げ方もわからないの。」

「逃げなくていい。私がいる。」


力強い声が聞こえた。ぎゅっと抱きしめられた後、少し体を離され、綺麗な指が私の目尻を拭う。ぼんやりとしていた視界でも、エリオットが優しく笑う姿は不思議と綺麗に見えた。


「臆病なままでいいさ。怖がる君を、私はずっと抱きしめているから。」


私、そんな貴方が好きになったの。

遠い国に着いて行ってもいいと、私の弱いところを見せても良いと思えるくらいに。



「…ねぇ、エリオット。聞いてもいい?」

「なんでもどうぞ?」

「貴方のこと。」


どんな家族のもとで生まれ育ったの?

どんな街で遊んでいたの?

どんな学校で学んだの?

何を感じて生きてきたの?


ハハッと彼は声をあげて笑った。


「愛する人が自分のことを知りたいって思ってくれることは、すごく嬉しいね。」

「エリオットはすぐに…私のことばかり知ろうとするから。ずるい。」

「君が魅力的だからだよ。そうだね、少しずつ知っていこう。」


これから時間はたくさんあるんだから、エリオットは熱を帯びた瞳で笑った。その深くて飲み込まれそうなほどの愛に、私はこれから挑戦していくのだろう。




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