第77話 境界を越える旗、人を離れて
王都はなおも呻き続けていた。
黒い樹のようにそびえる影の枝が街を覆い尽くし、根は大地を締め上げ、建物と人の声を吸い込んで肥大していた。
崩壊は止まらず、希望と恐怖を等しく呑み込み、街は影の心臓として脈動していた。
アリエルの身は限界を越えていた。
胸の裂け目は全身にまで広がり、皮膚の代わりに光と影の文様が躍り続けていた。
その姿はもはや「人」と呼ぶには遠く、ただ剣を掲げた「象徴」として形を残していた。
民衆はその姿に絶望を重ねた者と、なお救済を信じた者とに分かれ、声は渦を巻いて影をさらに拡大させた。
だがアリエルは倒れなかった。
肉体が崩れてもなお立ち続けることこそが、旗であることの証であった。
祈りを求める声も、拒絶の囁きもすべて抱き込み、彼女の剣は両極を讃える光と闇を同時に帯びていった。
矛盾そのものが刃となり、存在を削る痛みが力に変わっていた。
リリアの光は糸のように途切れかけていた。
それでも彼女は最後まで祈りを離さず、崩壊しかけた旗を繋ぎ止めていた。
カリサの炎は骨を焼き切るほどに燃え、倒れぬよう背を支える火柱となっていた。
仲間の力が支えとなり、アリエルは限界を越えてなお一歩を踏み出した。
影の怪物は咆哮を上げた。
それは人の怒号と悲鳴の集合であり、王都の声そのものでもあった。
その咆哮を真っ向から受け止め、アリエルの刃が振るわれた。
紅黒金の閃光が奔った。
光と闇が絡み合い、一振りの剣閃が影の枝を裂き、根を焼き、大地を貫いた。
それは勝利のための一撃ではなく、存在そのものを賭した「境界を越えた一閃」であった。
旗は人であることを失い、人は旗に救いを託すことをやめられなかった。
矛盾の両極に立ち続けたその姿は、希望と恐怖のどちらですらなく、「人を繋ぐ意思そのもの」へと変貌していた。
王都の空は閃光に裂かれ、影と光がせめぎ合う渦が全体を包んだ。
その中心で、アリエルの姿は崩れながらもなお輝いていた。
もはや人ではなかった。
だが旗としての意味は、ここで最も強く刻まれていた。




