第75話 人心の影、最後の防衛戦
王都の広場を覆う声は、ついに災厄そのものへと形を変えた。
民が互いを罵り、拒絶と崇拝が衝突するたび、その亀裂から黒い靄が噴き出した。
やがてそれは集まり、重なり、王都の中心に一つの巨大な影を構築していった。
それは人の姿を模しながらも、人ではなかった。
崇拝する者の祈りと、拒絶する者の憎悪が同じ器に注ぎ込まれ、肥大した黒の塊は街路全体を覆うほどに膨れ上がった。
人の心が生み落とした怪物は、かつての黒幕の操り手ではなく、民そのものの矛盾が凝縮した生き証のようであった。
大地は裂け、建物は根に絡まれ、避難する者をも飲み込む現象が同時に進行した。
王都そのものが黒い影の体内へと引きずり込まれていく。
上空を覆った闇の樹冠からは触手のような枝が落ち、街路を穿ち、民の影を絡め取った。
アリエルは立ち塞がった。
裂け目は全身を覆い、その姿はもはや「人」と呼べる輪郭を失っていた。
それでも剣は握られ、紅黒金の光が最後の炎のように燃え上がっていた。
その光に呼応して、リリアは力尽きかけた祈りを紡ぎ、カリサは拳から炎を絞り出して広場を守ろうとした。
だが広場の人々はもはや一つにはなれなかった。
旗を仰ぐ瞳と、拒む瞳が両立し、その矛盾はさらに影を肥大させた。
生まれた災厄は敵軍ではなかった。
それは外から襲い来る破壊ではなく、王都そのものが内側から産み出した崩壊の具現であった。
アリエルの身は限界に達していた。
光の刃を振るうたびに、彼女自身の存在が削れていく。
旗として立つことはすなわち、自らを崩壊させてでも影を断ち切ることに等しかった。
災厄の影と旗の刃が、ついに真正面から激突した。
光と闇の奔流がぶつかり合い、王都の中心が凄烈な閃光に包まれる。
その衝突は敵と味方を区別せず、全てをのみ込み、恐怖と希望を一つの渦に押し込めた。
この瞬間、王都は最後の防衛戦に突入した。
勝敗は未だ見えず、旗の灯火が残るか、影の災厄が呑み尽くすか、すべては刹那の均衡に委ねられていた。




