第71話 旗の誓い、存在を賭して
王都は深く沈んでいた。
黒幕の紋から広がる根は都市全域を絡め取り、街路は波打つ黒に覆われ、建物は影の内臓のように脈動していた。
人々は足場を失い、悲鳴を上げながら飲み込まれぬよう必死に縋りついていた。
祈りも炎も届かず、わずかな希望の光すら闇に呑まれて消えた。
アリエルは中央に立っていた。
胸の裂け目はもはや身体を超え、彼女自身が一つの紋と化していた。
鼓動は彼女のものではなく、王都の呻きと黒幕の心臓が重なった一拍そのものだった。
それでも剣だけはまだ手の中にあった。
ただ握るという行為が、最後の人としての証に思えた。
彼女は理解していた。
次の瞬間に呑まれるのは王都そのもの。
救うためには己の存在を傷口ごと爆ぜさせ、街に流れ込む影を断ち切らねばならない。
それはすなわち、自身が旗であり続けるには「自壊」をも選ばねばならぬという意味だった。
裂け目の痛みはすでに痛覚を超え、燃えるような熱と冷たい虚無が交互に駆け巡っていた。
彼女の意識は揺らぎ、影に沈めば楽になる誘惑が幾度となく突き上げる。
だがその誘惑の奥で、人々が必死に空を見上げ、旗を探す姿が確かに見えた。
リリアの声は掻き消されても続いていた。
カリサの炎は吹き消されても立ち上ろうとしていた。
二人の気配は倒れかけた彼女を束ね、存在の境界を辛うじて繋ぎ止めていた。
この瞬間、アリエルは選んだ。
立つことは守ること。
守ることは、己を裂くこと。
旗であるとは、人を繋ぐと同時に自らを削ることでしか果たせない。
剣が高く掲げられた。
紅黒金の光は裂け目と同調し、ひとつの大きな流星となって都市の闇を貫いた。
その輝きは彼女の存在そのものを代償にした一閃であり、希望と恐怖を同時に抱え込んだ人間の形そのものだった。
黒幕の身体と化した王都が割れる音が響いた。
根が避け、壁が軋み、夜空に走った光が影を押し返した。
完全な勝利ではない。
だが確かに、呑み込まれかけた王都は一瞬の呼吸を取り戻した。
その刃の代償として、アリエルの身体は限界を超えていた。
裂け目は全身を覆い、光と影が彼女の姿を霞ませていく。
旗はまだ立っていたが、その姿は今にも溶けて消えそうなほどに脆かった。
王都は息を吹き返した。しかし旗は、いまや消えゆく炎のように揺らいでいた。




