第70話 王都崩壊、災厄の胎動
夜の鼓動は臨界を超えた。
王都の大地は裂け、石畳の下から根のような脈動が一斉に噴き出した。
それはただの残骸ではない。
黒幕が育み、民衆の恐怖を糧に肥大化した災厄そのものだった。
瓦礫の隙間、倒壊した家屋の影、川沿いの湿地、城壁の基礎――あらゆる場所から黒が芽吹いた。
芽は幾重にも絡み合い、やがて巨大な樹のように都市全体を覆い始めた。
その枝は家を呑み、道を割り、人々の逃げ場を奪い、王都そのものを苗床へと変えていった。
群衆の声は悲鳴に変わった。
救済を叫んでいた者も、拒絶を訴えていた者も等しく影に捕らわれた。
恐怖と憎悪の区別は意味を失い、災厄はすべてを均しく吸い上げた。
王都を裂いていた対立そのものが、黒幕にとっては一つの滋養でしかなかった。
アリエルの胸に走る裂け目は、災厄の胎動と完全に同調した。
彼女の鼓動と王都の脈動が一つになり、この街を覆う影が彼女の傷から溢れ出しているかのように見えた。
光と影の奔流が体内を駆け巡り、剣を握る手は裂け目と同じ色に染まりつつあった。
旗であることと怪物であることが、ついに境界を失おうとしていた。
リリアの祈りは無数の声を束ねようと輝いた。
だが街全体を呑むほどの闇は、その光をまるで薄紙のようにかき消した。
カリサの炎もまた、燃え盛る前に根の海に奪われ、火柱はすぐに闇に呑まれた。
二人の力は確かに届いていたが、都市全体を覆う災厄には焼き印ほどの痕しか残せなかった。
黒幕の姿は夜空にそびえ立つ影の樹の中央に現れた。
外套は虚空に揺らめき、掌の紋は王都全体の根と脈動を支配していた。
その存在はもはや一人ではなく、都市規模の廃墟を体現する中心核となっていた。
王都そのものが黒幕の身体であり、その心臓は恐怖に震える民の群れだった。
空が裂けた。
夜雲を割って影の触手が天を突き、月光すら覆い隠した。
王都は完全な闇に沈み、ただ裂け目の光と紅黒金の刃だけが人々の視界を照らしていた。
アリエルは崩壊の渦に立ち続けていた。
その身は限界を超えて裂け目と化しながらも、自らを旗印として掲げ続けた。
街を守り抜くためなのか、自らを証明するためなのかすら分からぬほどに、ただその剣を振り翳していた。
王都は既に決戦の舞台ではなく、廃墟と化す未来へ滑り落ちていた。
その運命を留められるのは、臨界を越えてなお立つ旗の存在だけだった。




