第69話 臨界の街、崩壊前夜
王都の夜は不気味な震えに満ちていた。
歓声と罵声が入り混じり、街路は二つの群に分かれて対峙していた。
片方は旗印を讃え、救済を求める声をあげ、もう片方は怪物を拒絶し、滅びの源と断ずる声を響かせていた。
その声は重なり合い、共鳴し、やがて街全体を覆う不協和音となった。
地の下で黒紋が拍動を強めていた。
人々の怒りと恐怖が、根の網を通じて吸い上げられ、影の脈として王都全域に広がっていった。
影の芽は瓦礫の隙間から膨れ上がり、道端の影に形を与え、果ては灯火すら呑み込む黒を溢れさせた。
それは確かに生きており、王都そのものを苗床とする新たな災厄として目を開こうとしていた。
アリエルの胸の裂け目は夜空に共鳴し、脈動が街全体の鼓動と重なっていた。
その姿を仰ぐ者は救いを見出し、別の者は破滅を直視した。
光と影の両極を孕んだ旗印の存在は、もはや人の理解を超えていた。
ただ立っているだけで、希望と恐怖を同時に撒き散らす矛盾そのものが、王都を二つに引き裂いていった。
リリアの祈りは響き続けていた。
民の心を繋ごうと紡がれる光は、歓声と罵声の渦に押し流され、輪郭を持たぬ波紋に変わる。
カリサの炎もまた争う者たちを退けようと燃え立ったが、炎は怒号の影を消せず、不穏を照らすだけとなった。
そして黒幕は再び姿を現しかけていた。
具体的な形ではなく、人心の歪みそのものが輪郭を与えていた。
争いの叫びと恐怖のささやきが渦を成し、その中央に黒の外套が揺らめいた。
誰もその存在をはっきりと捉えられなかったが、確かにその場には「災厄の意思」が漂っていた。
夜空には雲が厚く積もり、月光すら屈するほどの闇が覆った。
その下で王都は揺れ、いずれ訪れる大規模崩落の前兆として地鳴りが走った。
影と光、希望と恐怖、救済と拒絶――全てが同時に膨張を続け、臨界に向かっていた。
崩壊はまだ訪れていない。
だが二つに裂かれた声が重なり続ける限り、王都そのものが次の廃墟へ沈む日は避けられなかった。
そしてその刻が、いよいよ近づいていた。




