第60話 影軍進撃、旗の覚悟
王都を囲む夜は、不自然なまでの静けさに沈んでいた。
その闇を破って現れたのは、黒紋に操られた兵の群れだった。
かつての人間の面影を残しながらも、その眼は虚ろに塗りつぶされ、胸から伸びる根が互いを繋ぎ一つの群体となっていた。
その歩調は鼓動のように揃い、地を震わせながら王都を包囲する。
外套の男は丘の上に立ち、影の軍勢の先頭に身を置いていた。
彼の掌で波打つ黒紋は、全ての兵を束ねる心臓であり、王都を呑み込む器官そのものだった。
その存在は廃墟の残骸ではなく、新たに生まれ変わろうとする「意思」であった。
王都の民は防壁上に集まっていた。
かつては逃げ惑っていた人々が、いまは武器を手にして立ち並んでいる。
恐怖を残しながらも、守るべき旗のために剣を振るう覚悟が芽生えていた。
震える膝を支え合いながら、彼らは一歩も退かずに影の群れを見下ろしていた。
広場に立つアリエルは、胸の裂け目の脈動に苦しみながらも剣を掲げていた。
黒と金が入り乱れた傷は拡大を続け、もはや赤黒い炎を漏らす穴のようにも見えていた。
それでも彼女は膝を折らず、光と影を両手に宿した刃を掲げていた。
その姿は王都そのものの象徴となり、揺れる心を繋ぎ止める錨だった。
リリアの祈りは防壁を包み、淡い光の帳が人々を護る。
カリサの炎は焔の道を描き、迫る軍勢への先陣を切る焦熱となっていた。
二人の力は旗印の横に重なり、王都の盾と槌として輝く。
影の軍勢は止まらない。
数百の器が声なき咆哮を上げ、一斉に突進する。
その動きは戦闘ではなく、一つの「波」だった。破壊を目的とした奔流にほかならない。
王都の地面が震え、空気が張り詰める。
アリエルは深く息を吐き、裂け目に走る痛みを引き裂くように踏み出した。
旗を降ろさぬと誓った姿は、人々に踏み止まる力を与える。
民は刃を振り上げ、仲間と共に声を合わせた。
その叫びは恐怖の裏返しではなく、あらたに芽吹いた希望そのものだった。
今度は逃げず、共に抗うのだと。
外套の男は静かに微笑み、その瞬間を見下ろしていた。
人々が力を合わせるほど、旗は裂け目を広げる。
彼にとって、それこそが望む歪んだ未来であった。
影の波と人々の刃が、やがて衝突する。
王都を舞台にした大戦は、こうして幕を開けるのだった。




