第50話 王都を覆う影、旗印の岐路
王都南部の広場を割った「芽」は、まるで人々の分裂そのものを写し取るかのように成長していた。
口々に飛び交った罵声、恐怖、狂気――その全てが黒い糸となり、異形の巨影を形作る。
それは四肢を持たぬにもかかわらず、都市を抱え込むような塊へと肥大化し、頭部と思しき部位には無数の口が開かれ、群衆の声を繰り返した。
『旗印は怪物……怪物が旗印……』
『滅びを抱いた解放者……滅びの未来……』
群衆は恐慌状態に陥った。
「うわあああ!」
「逃げろ!もうだめだ!」
建物を飲み込み、影の触手が路地を破壊していく。
アリエル・ローゼンベルクは剣を構え、その異形を睨み据えた。
胸の裂け目はついに心臓全体を覆い、黒と金の光が爆発するように脈動している。
立っているだけで命が削られるのを自覚しながらも、彼女は前に進んだ。
「……私は――ここで立ち止まらない!」
紅黒金の剣閃が一帯を薙ぎ払う。
だが異形は声を模して光を吸収し、より肥大化してしまった。
「効いていない……!?」
リリアが悲鳴を上げる。
カリサは炎槌を叩きつけたが、触手の群れに押し返されて膝をついた。
「こいつ……人の心から無尽蔵に喰ってやがる……!」
アリエルの頭に直接、囁きが流れ込んでくる。
『共に沈め……お前自身が廃墟となれば、この争い全てを呑み込める……』
胸の裂け目から黒い靄が噴き出し、剣を持つ腕が震える。
刀身に浮かぶ影が彼女自身の顔に重なり、視界を赤黒に侵食していく。
「……わ、私は……」
自我が崩れかけ、周囲の声も霞んでいく。
――その時。
リリアの叫びが届いた。
「アリエル様! あなたが誰であっても――私は、支えます!」
すぐ隣で、カリサが血に塗れながら槌を構えた。
「一緒に背負うって言ったろ! 勝手に怪物になるんじゃねえ!」
二人の声が、裂け目を覆う黒に亀裂を入れた。
「……私は、一人じゃない」
アリエルは震える脚で踏み込み、剣を振り上げた。
「これは私の刃じゃない――みんなの刃だ!」
リリアの祈りの光が背中から注がれ、カリサの炎が拳から迸る。
三人の力が再び交じり合い、紅黒金に白き輝きが混ざった。
「――〈因果断絶・黎明三重奏〉!」
斬撃が異形の体を貫き、内側から光を爆ぜさせた。
無数の口が叫びを上げながら崩壊し、人々の怒号と恐怖を解き放って消えていく。
広場に暴れていた巨影は、ついに塵となって四散した。
人々は呆然と立ち尽くし、その背を支え合い始めた。
「……争っていた俺たちを、庇った……?」
「怪物じゃない……解放者だ……!」
だが別の囁きも残っていた。
「やはりあの力は危うい……彼女ごと王都を呑み込む日が来るやもしれぬ……」
希望と恐怖が混ざり合う民衆。
その視線を浴び、アリエルは剣を下ろして膝をついた。
胸の裂け目は金と黒が入り乱れるまま、なおも鼓動している。
「……まだ……終わらない」
セラフィエルは高みからその光景を見下ろし、愉悦の笑みを浮かべる。
「いいわね……絆か、滅びか。彼女が選ぶその先こそ、新しい歴史」
ヴァルシュが記録を記す。
「――“解放者は、人々と共に在りながらも、絶えず廃墟と隣り合う”。よし、これを頁に留めよう」
救いと災厄の境界線に立ちながら、アリエルはなおも旗を掲げ続けた。




