第30話 牢獄王都、解放の咆哮
王都を覆う因果の網は、曇天の空を裂くように広がっていた。
黒と白の糸は街路を縛り、建物の屋根を穿ち、逃れようとする民をひとり残らず囚えようとする。
アリエル・ローゼンベルクは広場に立ち、紅黒に輝く剣を握りしめた。
胸元まで広がった黒い紋様は脈動を強め、体を蝕むと同時に力を増大させていく。
――まるで「廃墟」そのものが内部から叫んでいるように。
「……皆、聞いて」
アリエルの声は弱々しかったが、剣から奔る光がその意思を補った。
「因果の糸に操られる必要はない。抗う者の数が少なくても……私の刃が、その道を切り拓く!」
その言葉に応えるように、民兵たちは散り散りに抗い始め、カリサは大槌を振るって糸を砕き、リリアは傷ついた者を導く。
だが、上空から声が降り下ろされた。
「美しい……だが無駄だ」
セラフィエルが王城尖塔の上に立ち、糸を操る手を掲げる。
「廃墟の主よ。お前が糸を断てば断つほど、己の魂は崩れる。抗うほどに沈む運命を、いつまで保てるのかしら?」
続いてヴァルシュが羽ペンをかざし、因果の文字を空に記した。
「ここに記す――解放者の名は反逆者として塗り潰され、王都は秩序へ回帰すると」
彼の筆跡が光となり、抗っていた民衆の動きが再び鈍る。
まさに絶望の淵。
アリエルは唇を切るほど噛んだあと、叫んだ。
「そんな記録、私は認めない!」
剣を大地に突き立て、〈因果断絶・廃墟覚醒〉を詠唱する。
紅黒の光が爆ぜ、影と力が渦を巻いて広場全体を覆った。
――その瞬間、王都を覆っていた因果の網に大きな亀裂が走る。
無数の糸が悲鳴のように弾け、人々の体を縛る力が解けていった。
「……振りほどけ!」
アリエルの叫びに呼応し、市民たちが一斉に声を上げる。
「鎖を断て!」「自由を!」
かつてただの群衆だった人々が、自ら武器を選び、王都の各区で兵を押し返し始めた。
蜂起が拡大し、王城を取り囲むように反逆の旗が翻る。
セラフィエルの美貌に初めて険が走る。
「王都が……民衆に奪われる……?」
ヴァルシュも眉をひそめ、その羽ペンを握り直す。
「記録が歪む……ならば、次の頁に“解放者の死”を刻むのみだ」
その言葉に応え、因果の糸が再び収束し巨大な槍へと変じ、アリエルへと迫る。
だが彼女は逸らさない。
胸の疼きも、影の囁きも、仲間の叫びも抱きしめたまま――
「私は反逆者でいい! 希望を渡すためなら、廃墟すら力にする!」
剣が振り上げられ、紅と黒が混ざり合う閃光が王都を貫いた。
その咆哮は因果牢獄を一気に砕き、糸の牢は崩れ落ちた。
王都全体に解放の風が吹き、声が広がる。
「自由を! アリエルに続け!」
「反逆者ではない、解放者だ!」
勝利の歓声。しかし、アリエルは膝をつき、深く息を吐いた。
刻まれた黒い紋様が、心臓近くまで達している。
「……まだ、生きている。でも……あとどれだけ持つか」
崩れる牢獄を見つめ、セラフィエルとヴァルシュは沈黙したまま姿を消した。
その背中は、次なる計略を孕んでいることを示している。
解放の咆哮は確かに王都に響いた。
だが、その代償がアリエルの命を確実に削っていることを、彼女自身が最も理解しているのだった。




